8. 初の高総体は練習でも緊張するね





 8月の半ば。全国高等学校総合体育大会、通称『高総体』が始まる。夏休みに差し掛かっていることもあり大変暑い。とても暑い。


 「琉椰りゅうやくん。今のちょっと早かったよ」

 「……だね。ありがとう。気を付ける」


 壮行式も終わらせ、その後の部活。ここに来て僕に早気が出てきた。僕自身理解しているため意識して直していかなければならない。僕は一度息を吐いて気を整えてから再度執りかかる。『大三だいさん』からの『かい』。10秒程経ってから『離れ』。ヒュッと矢は空を斬り、的の中心よりやや右斜め下の辺りにあたる。


 「うん。修正もちゃんと出来てるね。気を付けてね」

 「うん」


 ポンと右肩に手を置かれて前方に移動する気配を察する。香織先輩の怪我はしっかりと治りつつある。とはいえまだ安静だ。


 「……………」


 目を伏せ、いつの間にか香織先輩を追っていた目を床に落として続く乙矢おとや2本を手に取る。動作は焦らず、流れ作業にならないように一つ一つの動作の合間に一拍置く。三射目を放つ。中る。今のところ二射的中。一射目は早気はやけにより中らなかったのだ。だとしても中て弓という中てることに注力する人にはならないように留意しながら最後放つ。









 「ねぇ、琉椰くん」

 「うん? どうかした?」


 帰宅後、前と同じように添い寝していると後ろから声が聞こえた。


 「緊張してる?」

 「……してないと言えば嘘になるね」


 大きな大会に出るのは初めてだ。緊張するなというほうが無理がある。


 「あしたはまだ予選もない練習だけど大丈夫そう?」

 「多分大丈夫。この緊張も楽しんでいきたい」

 「ふふっ、そっか。ね、琉椰くん」


 トンっと背中に何か当たる。


 「…………私の分まで楽しんでね」

 「…………………」


 そりゃあそうだよなぁ。怪我してなければ今頃……。


 「香織、そっち向いて良い?」

 「へ? ん、いいよ」


 寝返りを打って、右腕を香織先輩の頭の下に入れてそっと抱き締める。


 「琉椰くん?」

 「うん? どうかした?」


 そういえば今日は珍しく添い寝したいって言っていたっけか。僕を見つめる香織先輩の目を見つめ返して優しく頬にかかる髪を指で払う。


 「んっ……やっぱり、琉椰くんには敵わないなぁ」

 「え?」

 「だって……私が何か言いたいのあるの分かってるんだよね?」


 彼女の言葉に合点がいった。僕は頷きつつ枕にした右腕を起こして彼女の後頭部を包むように右手を当てる。


 「まぁ、何か言いにくいことあるんだろうなとは思うけど……だからって問い詰めたりはしないよ。言いにくいってことは今は話せないってことでしょ?」

 「……ぁう……そ、そういうわけじゃ……」


 しどろもどろになる香織先輩を微笑みながら見つめる。


 「だから今は聞かないよ。聞いたところで力になれるか分からないのが僕としては辛いし」

 「琉椰くん……」


 あははと苦笑する。それは紛れもない僕の本心だ。僕はただの一介の高校生に過ぎない。それ故に何かできるかと言われたらほぼほぼ何も出来ないだろう。僕はそれが悔しいのだ。香織先輩の彼氏とうたっているくせに何も出来ないのかと。だから。


 「僕はきみが言ってくれるまでちゃんと待つつもりだよ。それが今できる精一杯のことかな」


 ギュッと抱き締めて、全身で香織先輩の温もりを感じる。すると僕の胸許がじんわりと濡れてきた。香織先輩の肩が小刻みに震えていた。僕はそれに気付かないフリをする。


 「……落ち着いた?」

 「…………ぅ、ん。ごめんね。そういう日じゃないのにこんなことしちゃって」

 「いーよいーよ。そうしたい時はしていいよ。言ったでしょ? 尽くしたいんだって。だから好きなだけ甘えなよ」

 「……うぅ〜、りゅ〜や〜!」


 呼び捨てにされたのは初めてだ。だけど悪い気はしない。ぐりぐりと額を胸板に押し付ける香織先輩の後頭部を優しく撫でる。というかもう寝ないといけないんだけどなぁ。


 「……琉椰くん」

 「んー?」

 「……キスしたい」

 「ん。いいよ」


 背中を丸めて寝転んだ状態でもしやすいように顔を近づける。香織先輩は左手をきゅっと僕の着てるシャツの胸の部分を軽く握って顔を上げてキスをする。じんわりと広がっていく幸福感に僕は自然と笑みを浮かべる。唇を離して互いに見つめ合う。


 「……おやすみ、琉椰くん」

 「うん。おやすみ、香織」









 翌日、弓道場に集合し、道具等の確認を行ったのちに学校側で手配したバスに乗り、会場に向かった。今日は1日目ということもあり、最後の練習で、明日が団体戦の予選1日目だ。


 「準備、出来てるみたいだな」


 少しラフな格好の矢嶋やじまさんは僕達を見渡してふと目が合い、僕は頷く。


 「今日は練習だ。やり過ぎない程度に練習に励むんだぞ。それぞれの射型は妻木つまぎがカメラで撮っておく。行射後、気になる場合は妻木に言ってくれ」

 『はいっ!』

 「良し、良い返事だ。早速練習しに行くか」

 「って言っても入れる人数も限られるんじゃ……」


 ふとそれが気になりつい気になったことを口に出す。


 「あぁ、それもそうだったな。んじゃあ……妻木、鏑木かぶらぎ

 「あっ、は、はい」

 「はい」

 「お前たち二人で記録を頼んだ。最初は女子チームから練習するか。男子は矢の回収。前半はそれで行こう」


 香織先輩と目が合い見合わせる。互いに頷き合って矢嶋さんに目を戻しながら頷く。


 『はい!』


 部員全員で返事をする。


 「良し。それじゃあ移動するぞ」


 そういえば荷物はどうしようかと思っていると僕の肩に手が置かれる。


 「荷物は俺が見ておくから安心して見に行ってこい」

 「せ、関先輩。良いんですか?」

 「あぁ。それに、参考になるだろうしな」

 「そうですね。分かりました。お願いします」


 関先輩の申し出に素直に応じて礼をして皆の後を追う。観客席の方に向かえば真ん中の方でデジカメを携えた部活ジャージ姿の香織先輩が座っていた。丁度その真隣が空いているのを確認して隣に座る。


 「琉椰くん、こっちお願いできる?」

 「うん。分かった。デジカメの方は大丈夫そう?」

 「ん、全然だいじょぶ」

 「りょーかい」


 膝の上に置いていた的中シートとシャーペンも付いているボールペンを受け取る。ボールペンは香織先輩のものでどちらの方で書こうかと一瞬悩むがシャーペンの方が書き直しもしやすいだろうしと思いシャーペンの方をペン先から出して射位しゃいを見る。


 「…………皆、上手いね」

 「あぁ、うん。確かにそうかも。でも……」

 「……? どうかした?」

 「へ? あ、あぁ……いや。その……やっぱり香織の射型の方が一番綺麗だなって」

 「…………! も、もう……ほ、ほら前見る!」

 「ははっ、うん」


 香織先輩は照れ隠しなのか分からないけどそう言って僕の目線から顔を隠すようにデジカメを顔の前で構えてそう言ってくる。紛れもない本心だということを香織先輩は分かっているからこその反応だということを僕は分かっている。だからこれ以上何も言うことなく、ただ先輩方の射型しゃけいや的中を見つつ他の学校の出場する人たちの射型を観戦した。







 その後、後半は僕たちの男子チームメインで練習した。最初は各々の射型を自分で確かめつつ行射ぎょうしゃし、その後に『大前おおまえ』である関先輩から始まり、『落ち』の僕での行射を執り行った。的中の方はそこまで悪くはなかった。ざっとだけど僕の的中率は八割以上だと思う。的中に関しては申し分はない。ただ時折射型が崩れるところがあると自覚している。だから矢の回収を先輩方に任せて香織先輩の方に向かう。


 「……なんだあれ」


 僕の少し先では香織先輩を囲むように男子が数人話しかけているように見える。香織先輩の顔は心底めんどくさそうに嫌そうに僕の目には映った。まぁ確かに香織先輩は眉目秀麗びもくしゅうれいという言葉が当て嵌まるだろう。そして今香織先輩は右腕を負傷中だ。それにかこつけてナンパでもしているんだろう。みっともない男達だ。


 「…………はぁ」


 これ以上放っておくことはできないな。男数人は流石に僕でも怖いが、何もしないのはもっと最低だ。僕は一度息を吐いてから近寄る。


 「すみません、僕の彼女に何か用ですか?」


 比較的腰を低く、礼儀正しく行こう。それでも引かなかったら多少変えても問題ないだろう。


 「あ、もしかしてマジで彼氏なの?」

 「はい。僕は彼氏ですが……何か?」

 「マジかよ……やっぱ男いんじゃん。他のにしようぜ」

 「い、いやぁ……でもよ、こんな綺麗な女他にいねぇって」


 下衆な野郎だなコイツ。さっきまで僕が隣にいなかっただけでしなかったのか。頭どうかしてるんじゃないか?


 「ナンパはやめていただきたいですね。彼女は俺の女なので」

 「は?」

 「え?」


 もう取り繕う気は無いかな。こんな人達に礼儀正しくするのも疲れるだけだし。


 「行こ、香織」

 「あ、う、うん」


 香織先輩は少し驚いた感じの顔をしつつ頷いて僕は彼女の左手首を掴んで強引にその囲まれた輪から引き上げて足早に立ち去る。そもそもこういった場所でそんなことしてるんじゃ無いよボケ共が。


 「……り、琉椰くん?」

 「え? あ、ごめん。痛くなかった?」

 「あ、それは全然良いんだけど……ごめんね」


 選手控え室として宛てがわれた柔道場前のそこまで人通りの少ない通路で立ち止まる。掴んでいた手首を離して向かい合う。


 「全然謝らなくて良いよ。香織は僕から見ても美人だし正直目を引かれるのは仕方ないことだよ」

 「で、でも私、琉椰くん以外興味ないしいっぱい断ってたのにそれでも全然離してくれなくて……怖かった」

 「まぁ、そうだろうなとは思った」

 「それと……口調、変わってたことも」

 「あ、あー……」


 やっぱり気付くよなぁ。見上げる彼女の視線から逸らすように目を動かして頬を掻く。


 「…………中学の頃はさ、俺って言ってたんだ。そこまで背も高くなかったし自衛目的で変えてたんだ。でもこうして背が高くなってきて、ほら僕の目つき少しキツイでしょ? だから相手と話す時とかは努めて僕で行こうって思ってさ」

 「そう、だったんだ……いつも僕って言ってたから少し新鮮、かも」


 ふにゃっと微笑む香織先輩。今更だけれど全肯定気味じゃなかろうかと思った。こんな見た目の人が俺って怖くないのだろうか?


 「えっと……怖くないの?」

 「んーん、琉椰くんはかっこいいもん。俺っ子な琉椰くんも私は好き」

 「そ、そう……で、でもさすがにもう俺はあんまり言わないよ」

 「えーなんで?」

 「な、なんでってそりゃあ……背伸びし過ぎだろうし」

 「え〜そうかなぁ」


 おどける香織先輩に苦笑して「戻ろう」と声をかける。


 「あ、待って」

 「……? んっ……」


 きゅっと道着を掴んで背伸びしながら触れるようなソフトキスをしてきた。


 「……今日、朝だけしかしてないし」


 やっぱり香織先輩は甘えん坊な人だ。ふにゃりとはにかむ彼女の頭を優しく撫でる。


 「……お邪魔、だったかな?」

 「ふぇあっ!?」

 「な、那須先輩……!? い、いつからそこに?」


 突然後ろから声を掛けられて僕と香織先輩は飛び上がるように驚いて僕は振り向く。


 「いつからってそりゃあ……キスしてるとこ?」

 「……な、なるほど」

 「び、びっくりした……」

 「あはは。驚かせてごめんね。でも戻ってくるのが遅かったからさー」

 「あ、それは私が悪いやごめん」


 香織先輩は僕の隣に立って頭を下げる。


 「何かあったの?」


 那須先輩は察したようで僕を見て首を傾げる。さて、言って良いのかどうかと香織先輩の方に顔を向ければ目が合い、頷いた。それを見てから話す。


 「あ〜ナンパねぇ……大丈夫だったみたいだね。リュウくんそっち行ったの意外と早かったんだけど戻ってくるの遅くてさー」

 「それはほんとにごめんね〜那須くん」

 「いいよいいよ。二人に何もなかったんなら全然。ほら、皆のとこ戻ろう二人とも」

 「うん。そうしよっか。ね、琉椰くん」

 「うん。那須先輩、ありがとうございます」

 「も〜、リュウくんってば真面目だね〜」


 たは〜と笑いながらきびすを返して先に歩いていく那須先輩。やはり那須先輩は周りに目を配っている良い先輩だなと関先輩同様に尊敬の念を抱いた。その後、控え室として使用させていただいている柔道場に入り、集合して矢嶋さんと明日についての確認をした後に道具を片付けて練習を終えて宿泊するホテルへと向かった。






 ホテルへと送迎してくれたタクシー会社のバスと運転手に礼をしてホテルの中に入る。チェックインは矢嶋さんがしてくれた。


 「部屋割りだが……すまない。鏑木は一人になってしまうが構わないか?」

 「全然問題ないですよ。女子と一緒になるのも流石に問題ですからね。鍵はどれですか?」

 「鏑木はこれだな」


 団体として泊まれるようなホテルではなく所謂ビジネスホテルのようなものなので二人一組の部屋割りとなった。男子五人、女子十一人(矢嶋さん含めて)という人数で、順当に組み分けできた。香織先輩は矢嶋さんと同室にするかどうかで話をしていたようだけれど結局矢嶋さんとは別になった。僕達が泊まる階は5階で女子の面々はエレベーターで向かい、それを待っていると那須先輩がこう提案してきた。


 「待ってるならさ、そっちの階段で向かわない?」

 「えっ…………大分あるぞ?」

 「それはちょっとキツイって……」

 「お、割とアリかも」


 まぁ、那須先輩の言うことには一理ある。階段を使うのも良いだろう。筋力トレーニングの一環としてもなるだろうし。


 「リュウくんはどっち派?」

 「えっと……どっちでもは…………駄目ですよねはい」

 「そうだねぇ。選んで欲しいかな〜。今ほら2対2だからさ」

 「……………」


 5階までは階段でも大分ある。さて、どうするべきかとエレベーターと階段を交互に見てからふと思いついた。


 「あ、じゃあこうしません?」







 5階に着いた。こっちを選ぶんじゃなかったと正直思った。


 「…………いやー、案外きついね」

 「そりゃあそうですよ……足が今笑ってますもん」

 「……同じく」


 そう。僕は階段を選んだ。筋力トレーニングになるならと思ったことがまず間違いだった。三階あたりで大分きていた。息はさほど上がってはいないけれどもう足がキツイ。もはや笑えてくるくらいに。


 「お〜ようやく来たか」


 エレベーターから少し離れた場所で待っていた関先輩と角巻かどまき先輩。二人の顔からは労いの雰囲気があった。


 「お疲れ。どうだった階段」

 「後悔するくらいヤバかったです」

 「いや〜ごめんね〜」


 僕は角巻先輩の言葉に真顔で即答した。那須先輩は悪びれもしない笑みを浮かべたまま自身の後頭部を掻いた。


 「それじゃあしっかり休まないとな。ここ、大浴場もあるみたいだが後で行くか?」


 関先輩の言葉に全員頷き、解散した。矢嶋さんから預かった部屋の鍵で開けてから中に入る。扉を閉めつつ壁に備え付けられている真ん中が空洞になっているものに目を向ける。


 「あ、これ付けるんだ。なるほど」


 どうやら鍵に付けられている細長いアクリル棒を入れるらしい。そうすると部屋の電気がつくという仕様のようだった。僕はやったことはないけど動画で見たあるゲームの仕掛けみたいだなと思った。


 「それでボタンで灯りの調整も出来ると。すごいなぁ」


 設備の良さに頷きながら部屋の奥に進み、一人用のソファに鞄を置いて着替えを取り出す。着替えといっても部活ジャージだが。道着を脱いでベッドに置いて部活ジャージに着替え終えてから部屋の中を見るとハンガーラックを見つけてそこに掛けられているハンガーの一つに道着の上を掛けてハンガーラックの方に干すように袴を掛ける。靴を脱いで足袋たびを脱いで靴下に履き替えて足袋を鞄に入れる。


 「ん? あぁ、香織からだ」


 着替え終わってからラインが入っていることに気付いてスマホを見る。お友達とこっちに来て良いかとのことだった。別に構わないけれど……さすがに如何だろうかと悩んでいるとノックされた。誰だろうかと思い覗き穴から確認すると香織先輩だった。行動力の高さすご。


 「来るの早くないかな?」

 「あはは、ごめん」


 ドアを開けて香織先輩を見て苦笑する。香織先輩はごめんねと少し茶目っ気のある笑みで言うので肩を竦める。


 「ごめんねー鏑木くん。香織ちゃんが行こって聞かなくてさ」

 「あ、それ言っちゃダメだよ〜」


 香織先輩がもし怪我をしていなければチームだった弦宮さんは顔の前で手を合わせて謝った。


 「別に大丈夫だよ弦宮つるみやさん。さっき着替えたばかりだったから反応遅れただけだから。とりあえず二人とも入りなよ」

 「おじゃましまーす」

 「そ? なら良いけど。お邪魔します」


 二人を部屋の中に入れてドアを閉める。


 「部屋の作りは一緒だと思うよ。とはいえ僕からしたら少し広いと思うけど」

 「まー鏑木くん一人だしね」

 「でももうくつろいでるね」


 香織先輩の指摘通り、靴を脱いでからは備え付けのスリッパを履いている。流石に素足にはなれなかったけど。


 「えーとそれで? もしかして集合まで時間潰したいから話したかった感じ?」

 「そー。だって全然話し足りないんだもん」

 「なるほどね」

 「あ、うちはその付き添いで来ただけだよ〜」

 「えー、みさちゃんも一緒に話そうよー」


 二人は和気藹々わきあいあいとしながらベッド脇に腰掛けた。弦宮さんは僕と同学年だけど香織先輩の親しみやすさでとても仲が良さそうだ。それが見れただけで僕としては微笑ましく思う。二人の会話を聞きながら鞄から本を取り出して机の前にある椅子に座り読み始める。


 「あ、何読んでるの琉椰くん」


 少ししてから香織先輩に話しかけられ顔を上げる。


 「んー? あぁ、前に那須先輩にお勧めしてもらった本だよ」

 「へぇ、何て題名なの?」

 「『十角館じゅっかくかんの殺人』っていうミステリ小説」


 読んだところにしおりを挟み本を閉じて二人に見せる。


 「わ、難しそう」

 「あ、これ知ってるかも確か漫画あったよね」

 「そうみたいだね。漫画の方はまだ読んだことないけどこっち読んでから読んでみようかな」

 「全然良いと思うよ」


 前に一度調べたことある程度だけど漫画の表紙がとても綺麗な絵柄だったと記憶している。


 「ね、琉椰くん。読み終わったら私も読んでみたいから貸してほしいな」

 「分かった。って言っても時間かかると思うよ。そこまで読むスピード早くないから」

 「ん、待ってるね」


 香織先輩の言葉に頷く。本を机の上に置いてスマホを確認する。


 「あ、もう少しで集合の時間じゃない?」

 「あ、ほんとだ」

 「じゃあ一階に行こ?」

 「そうだね」

 「分かった」


 スリッパを脱いで靴を履く。財布とスマホを手に取る。


 「二人は貴重品は持った?」

 「持ってるよ〜」

 「同じく持ってきてるよ」

 「りょーかい。それじゃあ行こっか」


 部屋を出る時にスイッチとして付けていた鍵を外してポケットに入れて部屋を出る。エレベーターに乗って一階のロビーに向かった。







 ファミレスで晩御飯を食べた後、自由時間として各自ホテルに行くよう矢嶋さんに言われ、各自解散となった。時間としても19時に回って少しだった。


 「琉椰くん」

 「どうかした香織」


 ツイっと袖を引かれ首を傾げる。


 「近くにさモールあるみたいだから一緒に行かない?」

 「うん。良いよ。久々にデートしようか」

 「ふへへ、うんっ」


 ファミレスからほんの少し歩いたところにショッピングモールがある。香織先輩に右腕を抱き締められながら向かう。先に如何どうやら先輩方も行ってるようでチラホラと散見された。


 「どこみる〜?」

 「んー……適当にぶらつくのはどう?」

 「ん、全然アリ」

 「じゃあそうしようか」

 「んっ」


 目的もなくモールの中をぶらつく。時折何かしらのお店に入っては商品を見たりと本当に冷やかしといった感じだった。


 「あ、あのぬいぐるみかわいい」

 「あーあのクレーンの?」

 「そそ」

 「それじゃあちょっとやってみよっか」


 ゲームセンターに立ち寄り、香織先輩が目に掛けたクレーンゲームの前に立つ。


 「取れそう?」

 「どうだろ……取り敢えずやってみるよ」


 100円入れてボタンを押してアームを操作する。アームが下がっていき、ぬいぐるみを掴み上がっていく。


 「あっ、いけそう!」

 「いや、これ途中で落ちるかな」


 僅かに掴んでいた部分が重力に従って落ちた。多分一番上まで行ってから落ちると察したらその通りになり、アームが動いた瞬間に落ちた。


 「わっ、ほんとだ……でも落ちた場所良いところじゃない?」


 香織先輩は指差しながら首を傾げる。落ちた状態が穴の方向にぬいぐるみの足が片足だけあり、ぬいぐるみの重心は頭付近だと過程すればいささかキツイだろう。


 「ちょっと難しいかな……でも頑張ってみるよ」


 再度100円を投入して操作する。けれどギリギリ落とすことができなかった。


 「うーん……どうする? 違うのやってといいよ?」

 「いや、このままやろう。多分次で落ちると思う」

 「そう?」


 とはいえ、容易に行かないとは思ってる。少なくとも軽く焦燥感を感じてる。けどなるべく顔に出さないようにしながら再度やる。すると今度は運が良かったようで右のアームで頭部分が持ち上がり、そのまま落下して手に入った。膝を曲げ、ぬいぐるみを取り出す。


 「わっ! 取れた!? 取れたよね!?」

 「うん。取れたよ。はい」

 「いいの?」

 「もとよりきみに渡すつもりだったし」

 「ありがと……えへへ」


 ぬいぐるみを渡し、香織先輩は顔をほころばせながら右腕でぬいぐるみを抱える。喜んでくれたなら数百円くらいの出費は如何てことないかな。ぬいぐるみを抱き抱えて嬉しそうな表情を浮かべる香織先輩の頭を優しく撫でる。


 「えへへ、もっと……撫でて?」


 頭を撫でられて心地良さそうな表情に変わり言われるまま撫で続ける。しばらく撫でてからふと手を止める。すると香織先輩はきょとんとした顔で首を傾げ見つめているその顔に顔を近づけてキスを落とす。


 「んっ……り、琉椰くん……?」

 「ごめん……可愛かったからしたくなった」


 左手で口許を隠して目を逸らす。


 「ふふっ、そっか。ね」

 「う、うん?」


 ぬいぐるみの頭部で口を隠しながら香織先輩は見つめてくる。気恥ずかしさでしっかりと見ることは出来ずにいる。


 「もし、さ? もし、琉椰くんの成績がとっても良かったら……ご褒美、あげる」

 「……えっ、え?」


 急にそう言われて僕は慌てる。その様子を見てにんまりと笑い、爪先立ちになって僕の耳許で。


 「……だから、あしたがんばってね」


 そう囁いてチュッとリップ音を鳴らした。すぐに離れた香織先輩は目を細めながら笑っていた。




 ────ほんと、敵わないなぁこの人に。そう言われたら頑張るしかないじゃんか。




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