11. 心は一つだから








 高総体の全日程が終わった。琉椰りゅうやくんの個人結果は二回の行射ぎょうしゃで合計5中と惜しくも本戦出場は叶わなかった。二回目の行射で弦が切れて急遽きゅうきょ、張り替えを行った。最初の一射目が的中したあと弦の張り替え後何故か的中しなかったのだ。


 「…………ごめん香織」


 行射が終わった後の琉椰くんの顔は悔しそうな顔で歪んでいた。


 「どうして私に謝るの?」

 「どうしてって……あれ、なんでだろ……?」


 多分、大会前に私があんな事言ったからなんだろーなって思ったけれど全然そんなのは気にしてなんてない。むしろ。


 「でもどうして二射目以降は中らなかったの?」

 「最初は我慢してたけど……」


 琉椰くんは腕組みしてた腕を離して左手を見せてくれた。


 「も、もしかして潰れちゃったの!?」

 「いや、潰れたってより多分一回目の後ケアし忘れてて手の内を変えたりした時に豆がまくれたんだろうね。二射目で手の内変えた時に痛み走ってさ。それ以降集中切れたんだ」


 見せてくれた左手の手のひらはと触れる部分の皮が捲れ上がってた。


 「どうして見せてくれなかったの? すぐに絆創膏貼らなきゃ……!」


 私は鞄から救急セットを入れてるポーチを取り出す。


 「あーまぁ……ミーティングしてたからそれ終わったらってなぁなぁにしてたら……ね?」

 「ね? じゃないってばも〜。ほら、そのまま私に見せて」

 「う、うん。ごめん」

 「ごめんじゃないのー」


 ポーチから消毒液とガーゼを取り出す。


 「あぁ、蓋開けるよ」

 「ん、お願い」


 琉椰くんがその消毒液を持って右手の親指の腹で蓋を開けて私が持ってたガーゼに垂らしてくれた。指先に消毒液の濡れた感覚を感じて琉椰くんの左手でポンとつける。


 「いっ……つ〜」

 「やっぱり痛いんじゃん。放置はダメだからね?」

 「気をつけるよ」

 「ん、はい、良いよ」


 絆創膏を貼ってぺっと貼ったところを指先で触れる。するとほんの少し琉椰くんは痛そうに顔を顰めた。


 「あ、ね、琉椰くん」


 ポーチを鞄にしまってから琉椰くんに声を掛ける。ぐっぱーしながら琉椰くんは私を見た。


 「この前のこと……なんだけどさ」

 「え? あ、あー……うん」


 すぐに思い至ったみたいでバツが悪そうな顔で頷いた。私はそれを見て微笑む。


 「家に帰ったらあげるね」

 「…………へ?」







 帰宅後、いつものように香織先輩の家にお邪魔する。夜も遅く、バスで学校まで着いたのは外が暗くなり始めに近かった。僕は一度帰ろうかと思ったけれど香織先輩に腕を引かれてしまった。


 「おかえり〜お姉ちゃん、りゅーやお兄ちゃん」

 「ただいま〜霞澄かすみ

 「た、ただいま霞澄さん」

 「大会どーだったの〜?」


 リビングのソファでくつろぎながら聞いてくる霞澄さん。僕は香織先輩と見合ってから彼女が頷いたのを確認して口にする。


 「あちゃーそっかぁ……本戦に行けなかったんだね」

 「うん。そうなんだ。僕としてもあまり納得いく結果じゃなかったけどね」


 肩を竦めて苦笑する。


 「私、着替えてくるね」

 「あ、うん、分かった。と、そうだ。香織は何食べたい?」

 「ん〜……じゃあオムライス! 琉椰くんなら作れるでしょ?」

 「おっけー……期待しないでおいて」


 香織先輩は「え〜なんでよ〜」と可笑しく笑いながら自室に向かっていった。僕はキッチンに向かう。


 「霞澄さんもオムライスで良い? とはいえ香織みたいなあんなオムライスは作れないと思うけど」

 「全然おっけーだよ〜! というか疲れてるんじゃないの? だいじょーぶ?」

 「そこは全然大丈夫かな」


 炊飯器から釜を取り出して一度水ですすぐ。丁度貼った絆創膏に水が当たることもあり少しみる。とはいえ我慢は出来ないほどじゃないからそのまま続行する。水で濯いだ釜を炊飯器に戻してからお米を小さく細かな穴が空いているボウルに二合半程入れ、水で研いでいく。研ぎ終わったら釜に入れて倍速で炊飯する。


 「ところでさりゅーやお兄ちゃん」

 「うん? どうかした?」

 「お姉ちゃんと何かあった?」

 「……え? いや……大会の時は前日と1日目の夜にデートしたくらい…………かな何かあったとしたら。どうして?」


 リビングの方に目を向けてあったことを伝える。ソファに寝転がりながら霞澄さんは「ふぅん」と言った感じで頷いた。


 「んー、わたしの勘違いだと思うんだけど〜……きょうたぶんだけど何かあるかもな〜って」

 「大分ざっくりしたこと言うじゃないか」

 「え〜だってもしかしたら起きないかもしれないし? ま、何があるのかわたしにはわかんないけどねー」

 「無責任な……」

 「にゃはは〜」

 「いや、褒めてないからね?」


 とはいえ「女の勘」というものなのだろう。あながちバカには出来ないな。







 晩御飯を食べた後僕が先にお風呂に入る。珍しく僕からというのもあり、不思議に思いつつも頭を洗う。


 『琉椰くーんはいるよ〜』

 「んっ……!? はっ!? ちょ、な、なにして!?」


 いきなりそう声をかけられたものだからシャンプーが危うく目に入りかけて焦った。


 「ち、ちょっ、ちょっと待って! タオル! そこにハンドタオル置いてるはずだから取ってくれる!?」

 『あ、これかな? 入ってい?』

 「取り敢えずそのタオルを渡してくれると嬉しいなぁ。そしたら入っていいから」

 『は〜い』


 急いでシャワーでシャンプーを洗い流してからカラカラと少し空いた隙間から伸びている手に握られたタオルを受け取り、すぐに腰に巻く。


 「よ、よし……良いよ」


 顔を俯けたまま了承する。僕の声を聞いてさらにお風呂の扉を開けられ、外の冷気が侵入し、濡れた僕の体を冷やしていくのを感じ少し体を震わせる。そして扉が閉まる音を聞き取る。


 「あ、なんで俯いてるのー?」

 「いや、なんでってそりゃあ香織の体見ないように……」

 「水着だからだいじょーぶだよ〜」

 「へ?」


 咄嗟とっさに顔を上げる。鏡越しで僕を見る香織先輩と目がバッチリあった。そして香織先輩は水着を着ていた。それもビキニと言われるものを。香織先輩はスタイルが良い。だからだろう。黒のビキニの上が隠せてるには隠せているのだろうけれど、胸が大きい分いやに強調されていて僕はそこに目がいってしまい、恥ずかしくなって逸らす。


 「あ、今私の胸見たでしょ〜」

 「うっ……ご、ごめん」


 目線がバレてしまった。凄い恥ずかしい。


 「でも、琉椰くんなら良いよ」

 「…………それは殺し文句すぎるよ」

 「にゃっはは」


 そう。香織先輩のその言葉は僕の理性をぐらつかせるのに十分過ぎるほどなのだ。今まで何度もキスをしたけど一度もその先に及んだことがない。というよりもキスだけでも充分なくらい幸せを感じるからということが大きい。とはいえ、その分何度も香織先輩に対して劣情イケナイコトを覚えたことも少なくないが。


 「…………ってなんで抱きついてるのさ」

 「えー、いーじゃーん。ふふっ、どうどう? お風呂の中でぎゅーってしてるとさ……ドキドキ、するよね」

 「……っ! い、いいから背中を流してくれるなら背中を流して欲しいかなぁ……!?」

 「ふふっ。は〜い。あ、ボディソープ付けて付けて」


 急に抱きつかれ、そして左耳から囁かれて僕の内心は嵐のように荒れ狂っていた。僕は耳が弱かったのかと気付きを得たけど、それよりも普段ぎゅっとしていた時は服を着ていたからこうしてほぼ地肌同士がくっ付いているこの状況に未だ着いていけていないということもある。何せ、直で香織先輩の温かさや柔らかさを感じているのだから。


 「かゆいとこない〜?」

 「あ、う、うん。大丈夫」

 「ん、わかった。はい、次は右腕〜」


 わしゃわしゃと背中からうなじ、右腕とボディタオルで泡に包まれていく。そして香織先輩が動く度に肩や背中にかかる髪の毛にこそばゆさを感じる。


 「琉椰くんってほんとに筋肉質な体だよねぇ」

 「……そう、かな。筋肉、つきにくい体質なんだけどなこれでも」

 「え〜そうなの? でもほら、こことかカチカチじゃん」


 ぺちぺちと腕やら背中を触る香織先輩。まぁ確かに腕に関しては力込めれば力瘤ちからこぶが少し浮かぶくらいにはついていると思う。けどそれくらいなのだ。


 「僕さ、中学の頃に言われたんだ。筋肉つきにくい体質だって。その分、脚の筋肉のつき方的に短距離走向きで瞬発力に長けてるって」

 「へぇ〜。陸部だったんだ〜」

 「幽霊部員みたいなものだったけどね。けどまぁ、今も鍛えてはいるから……ほら、体育祭の時にさ香織をお姫様抱っこしたでしょ?」

 「あ、したねぇ。少し恥ずかしかったんだよ〜?」

 「いや、あれはきみがそっちが良いみたいなこと言ったから……いや、まぁ、それくらいの筋力はあるよ。とはいえ見た目ヒョロいけど」


 別にそこまで腹も割れてるほど鍛えてるわけでもないしそれなりだな。


 「えへへ、少し恥ずかしかったけど……でも嬉しかったな。ね、重くなかった?」

 「全然?」

 「ほんと?」

 「うん。きみを抱き上げたあとは転ばないように走ることに専念してたからそこまで気を割いてなかったかな多分」

 「そっかー…………体重増えてたんだけどな」


 お風呂場故に香織先輩の呟きは聞き取れた。聞き取れてしまったけれど聞かなかったことにした。


 「あ、流すね〜」

 「うん」


 一度ボディタオルを桶に入れてシャワーを手に取った。それを見てから僕でシャワーの方にノブをひねる。


 「はい、おわり〜」

 「ありがとう」

 「んへへ。洗われるの悪くないでしょ」


 楽しげに笑う香織先輩の顔を鏡越しで見て僕は素直に頷く。


 「……まぁ、たまには、かな」

 「え〜毎日はだめ?」

 「ダメだからね?」

 「は〜い」

 「そんな残念そうにしてもダメはものはダメ」


 僕の方が身も心もダメになりそうだからね。


 「それじゃあ僕は湯船に入るよ」

 「え〜私も洗ってほしいなー」

 「うぐ……」


 そんな甘えた声で言われるのは反則だ。


 「………………前の方は自分でやってね」


 結果、僕が折れるしかない。香織先輩はパァッと花が咲いたように嬉しそうに笑って頷いた。








 「……ねぇ、これはきみが疲れない?」

 「え〜うーん……今は大丈夫かなぁ」


 お風呂から上がった後、香織先輩の部屋に向かい、ベッドに腰かけたと思いきや香織先輩は自分の膝をぺちぺちと叩いた。僕は断るのも野暮だと思い、横になって香織先輩の膝の上に頭を乗せた。


 「耳かき、してみたかったんだ〜」

 「…………そうなんだ。えっと……じゃあ、うん。お願いしようかな」

 「えへ、はーい♪」


 いつの間に買っていたんだろうか? 目を動かすと彼女の左手には梵天のついた耳かき棒があった。用意がいいなぁと感心した僕は目を閉じる。するとだんだん耳の穴付近で耳かき棒の先端が当たる感覚がした。それに少しゾワっとした感覚がしつつもそのまま受け入れる。


 「私ね?」

 「うん?」

 「左手でやれるようにがんばったんだ。だからその……痛く、ない?」

 「大丈夫。そのまま続けてほしい」

 「わかった〜」


 ゾリゾリと耳の中で動く音を直に聞いてなんとも言いようのない快感が押し寄せる。途端に眠気に襲われて、薄く開いていたまぶたが重くなりつつある。


 「ふふっ。琉椰くんの顔、気持ち良さそうな顔してるね」

 「……ん。初めて人にされたからよく分からない感覚するけど……香織の手付きが優しくて落ち着く」

 「そっか。眠くなってきたんだね」

 「ん、そう」

 「じゃあ寝てていいよ。こっち終わったら起こすね」

 「……わかった」


 左手で耳かきをしつつ治りかけの右手で僕の頭を撫でてくる。右手の方は治り、あとは腕だけで支障のないようにしながら動かしてる。自分に向けてくるその優しさの温もりに僕は素直に受け入れて言われるまま目を閉じる。そして気付いたら眠ってた。


 「……りゅーやくーん」

 「…………ん、あ、おわってた?」

 「うん。あ、ちょっと待ってねー……ここくらいかな? ……ふー」

 「ふぇあっ!?」


 肩を揺すられて起きるけどまだ寝ぼけていて、そこに香織先輩は優しく息を耳に吹きかけた。唐突の吐息と息吹に僕は耳を押さえながら驚く。


 「ぷふっ。そこまで驚くんだ〜。目、覚めた?」

 「う、うん……そう、だね」

 「じゃあ今度は顔こっち向けて寝転がって〜」

 「ま、まだやるの?」

 「そりゃあそうでしょ? 両耳ともお掃除しなきゃ」

 「…………分かった」


 寝返りをうって、顔を香織先輩の胴体の方に向ける。部屋着のシャツが僕の視界を覆う。それと同時にホワイトムスクの匂いが漂う。今使ってる柔軟剤だ。その匂いと優しく気遣うような耳かきとでいつの間にかリラックスしていた。


 「……は〜い、こっちもおわったよ〜」


 彼女の優しい声音を鼓膜が拾い、震わせる。


 「…………ん、ありがと」

 「あ、ちょ〜っと待ってねー」

 「……? うん」


 少し衣擦れの音と共に、シャツの布地が視界に迫る。すると。


 「ふぅー」

 「……っ」

 「ふふっ、ぴくってお耳震えた」

 「そりゃあまぁ……息吹きかけられたから……」


 僕を見下ろす香織先輩の微笑んだ顔を見上げて少し気恥ずかしく感じて目を逸らす。


 「もすこしだけ膝枕、する?」

 「……うん。そ、それと」

 「ん〜?」


 もう一度目を合わせる。


 「またしてほしい」

 「耳かき?」


 僕は頷く。初めて人にされた。最初はこそばゆい感覚だったけれど直ぐに心地良さに変わり、落ち着くことができた。それは彼女だからというのが大きいだろう。


 「ふふっ、うんっ」


 香織先輩は頷いた後、顔を近づけてきた。さらりと横髪が僕の頬をくすぐる。チュッとフレンチキスをしてくしゃっとまた僕の髪を撫でた。僕は香織先輩に頭を撫でられるのが好きだなと思いながら自然と目を閉じて気付けば寝息を立てた。




 「────おやすみ、りゅーや」







 琉椰くんに耳かきをした後、そのまま琉椰くんはまた眠った。私だけが知ってる彼の寝顔。いつもは大人びた雰囲気の顔立ちも今は歳下こうはいなんだと分かるようなそんなあどけなさのある寝顔。そんな彼氏の琉椰くんの寝顔を見つめて大好きだなぁって思いなおす。それと同時にきゅぅって締め付けられるような胸の痛みも感じる。好きっていう感情は良いものばかりじゃなくて苦しいんだって初めて知った。


 私は琉椰くんの優しさを知ってる。男らしいところも知ってる。ほんの少しだけ過保護なところも。私自身、そんな彼の優しさに我儘わがまますぎる甘えを出してしまってるところがあることを理解してる。そんなめんどくさくて重いとこを琉椰くんは嫌な顔ひとつもしないで受け止めてくれる。最近になってそんな彼の優しすぎるとこに苦しさを感じてしまうことがあった。


 私は治りかけの右腕に視線を向ける。この怪我から私の情緒がおかしいんだって改めて気付かされた。きっかけは全然なんでもないようなことだったりするしそんな時に琉椰くんに当たってしまったことがある。今思うとほんとヤーな女だなぁって思う。でも琉椰くんはそんな私の八つ当たりを驚きはしたけど嫌がったりしないで受け止めてくれた。八つ当たりなことをわかってたから。そんな琉椰くんのお人好しなとこに甘えすぎなことがある。


 (こんな私を嫌いになったりしないのはなんでなんだろ……)


 そんな自分が私はキライだ。大っ嫌いだけど、好きなんだ。琉椰くんが好きにさせてくれた。だからこれはそんな彼に対するお礼なんだ。この先も幸せばかりじゃないかもしれない。それでも────。



 ────好きになったことは間違いじゃないんだ。


 ねぇ、琉椰くん。きみはこんな私を好きでいてくれますか? 嫌になったり、投げ出さないでいてくれますか? もしもそんなことがあったら……私はきっと自分のことが嫌いになりすぎちゃうんだろうなぁ。でもね。本当に琉椰くんが大好きなんだ。


 「────おやすみ、りゅーや」


 愛おしく思う歳下彼氏の頭を撫でながら、呼び捨てで彼の名前を呼ぶ。ただそれだけで好きが溢れるのを感じながら寝顔を見つめて笑顔を浮かべた。



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