10. 大会中なのにこんなの聞いてないって





 2日目。団体予選の3回目の行射ぎょうしゃは終わり、男子チームの結果としてはそのまま予選の決勝は行ける結果だった。あとは女子チームの方と個人戦のみとなった。


 「どう? これで決勝進めるかどうかだけど、緊張してる?」

 「もうね、めっちゃしてる。でもやれるだけのことはするつもりだよ」

 「そっか。頑張って弦宮つるみやさん」

 「ありがと鏑木かぶらぎくん」


 今回も介添かいぞえ役として替矢かえや替弦かえづるを持ちながら弦宮さんと会話する。弦宮さんは確かに緊張してるような面持ちだけど何処どこか楽しげな雰囲気もあって良い表情だなと思う。


 「あー、うちらにも応援ちょうだい。ほらほら男子」

 「おう。頑張ってこい」

 「がんば〜」

 「え〜、ちょっとやる気感じなくない?」

 『それは気のせい』


 先輩方は緊張した素振りはなく楽しそうだ。


 「……なんか、緊張してるわたしがバカみたいだね」


 その様子を一緒に見てた弦宮さんは苦笑いした。


 「そうかな。僕はそうは思わないけどね」

 「えっ? そう?」

 「先輩方、そろそろ行きません?」

 「あ、そうだね。行こっか」

 「あ、ちょっと……もう」


 柔道場の壁に立て掛けられているデジタル時計に目を向ければそろそろ向かわなければならない時刻で先輩方に発破をかける。少し後ろで呼び止められる声が聞こえたけれど聞かないようにした。関先輩方は今回も荷物番してくれるようで手を軽く振って送ってくれた。


 「にしてもさ。後輩くんってば凄いね」

 「え、いきなりなんです?」


 向かってる最中に自分のことを呼ばれたような気がしてパッと返してしまう。早道先輩は少しだけ顔を後ろに向けて続けた。


 「だって今のとこほぼ全中じゃん?」

 「あー、確かにそうですね。言われてみれば」


 そう。この予選を通して男子の的中率で高いのは僕なのだ。九割だったと記憶している。


 「え、自覚なかったの?」

 「いえ、まぁ……自分の的中数にそこまで関心なくて……的中よりどうしても射型しゃけいの方に目がいくんですよね」

 「めっちゃ羨ましい〜。あたしさ気にしちゃうんだよね〜」

 「あ、ウチもウチも」

 「やっぱりみんなあるよねそれ。けどま、後輩くんみたいに的中にこだわってないのが良いのかもね」


 ふんふんと頷く早道先輩。僕は少し理解が難しく首を傾げる。


 「……多分それが僕のスタイルだから、ですかね」

 「スタイル?」


 半歩前を歩く弦宮さんが鸚鵡返おうむがえしする。


 「そう。僕は射型をより綺麗にすればその分的を狙う姿勢も良くなるでしょ? だからまずはそこを徹底的に磨くってのが多分僕のスタイルなんだと思う。的中も気にしたりとかあれやこれやに手をつけたら始末がつかないだろうし、僕は多分そういったマルチタスクは得意じゃないんだろうね。だから先輩方が羨むようなことじゃないと思うんだ。人には人の……個性? があるだろうし」

 「なるほどぉ……」

 「それは一理あるね。というか一点集中が一番だよ何事も」


 なんか今度は賛同が多い。一体どういうことなんだろうか? ま、まぁ……分からないけどそういうことなんだろううん。


 「ま、それ聞いたのもさすがに今のままだとキツイかな〜って思った早道なのですよ」

 「と言いますと?」

 「いや〜、だってさ……うちがまず的中率低いでしょ? この中だとさ。だから後輩くんみたいな子ってどういうこと考えてるのかなぁとか気になったんだ」

 「あぁ……なるほど。そういうことですか」


 早道先輩の言っていることが理解出来た。


 「そういうことなら簡単ですよ。やってる時はただひたすら無感情、無思考、無の境地ですよ。僕はただその時は何も考えずにただ出来ることをその一瞬に込めてやってるだけです」

 「はぁ〜なるほどねぇ……いやはや、出来すぎた後輩くんですわ」


 そうなのだろうかと首を傾げそうになるけれどまぁそうなのだろう。独学で今までやって来たのだからそう言われてみれば確かに出来すぎたことだ。そう思い返しつつ選手控え室に入る。出番はそれなりに早く少しだけ待っていると入場の声が掛かる。そこからは私語の一つたりともせずに予選決勝に上がるための最後の行射にり掛かった。









 「わ〜! おつかれさま〜みんな!」

 「香織〜! ね、どだった!? よかったかな?」


 僕が控え室に使っている道場に戻ると香織先輩は戻ってきていて早道先輩方と囲んで話していた。僕は取り敢えず貼られていた結果を他校の分と合わせてメモしてきた。男子は決勝に駒を進めたことは確実だった。女子の方はというと。


 「ギリギリ通過したよ!」

 『やった〜!!!!!』


 見事、どのチームも決勝に進めた。いやはや女の子達が嬉しそうに抱き合っているというのは実に華があるなぁ……うん? この思考は危険な匂いがするぞ? 今すぐやめよう。良し。


 何か良くないことを考えかけていたため頭の中からふるい落とす。足を止めていたため再度進む。視線を少し落としていたためそれを上げたのと同時にこちらに目を向ける香織先輩と目が合った。それと同時に右側から影が押し寄せているのにも気付いた。右側に目を向ければすぐ目の前には数本の弓が雪崩なだれこんでいた。弓立てを使っていたとしても何かしらの弾みで倒れたりすることもある。あるのだが今じゃなくても良くない?


 「い……ッ!」


 条件反射とは恐ろしいもので、右腕を顔の前に上げ始めたのだ。そして雪崩れ込んできた弓たちはどれもこれも持つ分には軽いためそこまでの重さは感じない。けれど素材が素材で勿論、当たれば痛い。特に弓の角が。そしてその弓の一本が手首のしかも丁度突起のある骨、尺骨茎状突起しゃっこつけいじょうとっきにジャストミートした。手の甲にも当たったりしたけれど……まぁ我慢はできる。ガラガラ音を立てて崩れる弓に気付いた他校の生徒が駆け寄ってくる。


 「だ、大丈夫ですか!? す、すみません!」


 上弭うわはずの部分が目に当たったりしなくて良かったと安堵しつつ腕に立て掛かる弓を返す。


 「いえ、大丈夫ですよ。でも気を付けてくださいね。まぁ僕もここを歩いたのも悪いですし」


 申し訳なさそうな顔をするその生徒に声を掛けて早足で戻る。


 「だ、大丈夫なの琉椰りゅうやくん」

 「分からない。少し痛みはあるけど少し冷やしてれば大丈夫でしょ。あ、これ各学校の記録。僕たちのとこもメモしておいたから確認して」


 香織先輩が近寄りペタペタと右手首を触ったりするのを抑えつつ記録用紙を渡す。確か体が熱くなったりした時の熱冷ましで保冷剤あったはずだと思い出しながら自分の鞄を漁る。そして案の定見つけて、タオルで包み、右手首に当てる。無駄な心配はかけさせない方が良いだろう。今は大会に集中してもらいたいし。


 (とはいえ、結構鋭い痛みが走ったなぁ……これ腫れたりしなきゃ良いけど)


 「どう? 香織が記録したのと的中数は同じだよね?」

 「あ、う、うん。それは大丈夫」

 「良かった。これであとは決勝と個人戦だけだね。あ、デジカメはどこに置いてるの?」

 「わたし持ってるよ〜。見る?」

 「うん。見せてくれる?」

 「はい」

 「ありがとう」


 えて触れさせないようにしつつ弦宮さんからデジカメを借りて撮ったものを見返す。見返しつつも痛みがまだ引いてなく自然と眉根まゆねを寄せる。


 「琉椰くん」

 「え、あ、うん、なに?」


 不意に真隣から声を掛けられてハッと我に返って隣を見る。


 「右手、ほんとに大丈夫?」

 「え、あー……実を言うとちょっと痛い。保冷剤で冷やしてはいるけど…………痛みが引いてないのが続くとさすがに行射は諦めることになるかも」


 一度当てていた保冷剤を退ける。やはり当たり所が悪かったようだ。ほんの少し青たんが出来ていた箇所がある。内出血でも起こしていたのかなとまるで他人事のように思った。


 「……湿布あったはず。ちょっと待ってて」

 「え、あ、あぁ……うん」


 香織先輩は後ろを向いて、鞄に手を伸ばした。チャックを開けて中を弄ると可愛らしいポーチを取り出し、前に向き直る。


 「あ、あった! ちょっとおっきいかもだけど貼るね?」


 肌の色に遜色そんしょくない色の薄い湿布を取り出して僕を見た。


 「分かった。……動かそうとすると少し痛みが走るな」

 「まだ動かさない方いいかも」

 「だね。ありがと」

 「後半に響かないと良いけど……」


 湿布を左右に引っ張るとカバーが外れる仕様のようで片側を抑えて患部に貼る。これで多少良くなれば良いけど。


 「それはおいおい、かな」

 「どう? 手動かせる?」


 手を握っては開いてを繰り返す。その動作の分だけは問題なくて大丈夫と頷く。僕の反応で安堵したような笑顔を浮かべた。とはいえだ。後半、予選決勝は今から出番が来るまで一時間あるかないかだ。それまでしっかりと休ませよう。









 それから約一時間経過して準備に取り掛かる。ゴム弓を引くと僅かばかり痛みを感じた。この分なら耐えられるけれど……どうすべきか。


 「鏑木」

 「は、はいっ。なんです?」

 「……悪いんだが、休んでもいいぞ」

 「えっ?」


 関先輩からそう声を落とされた。僕は大きく目を見開いて関先輩をまじまじと見る。


 「さっきの事で怪我したんだろう? だから今は休め。個人戦に賭けろ」

 「あ…………」


 関先輩は僕の今の状態をかんがみているのだと気付いた。そう。団体戦の後にあるのは個人戦の行射。個人戦は今日しか無いためどちらかを選ばなければならない。そう言っているのだ。僕は顔をうつむかせて逡巡しゅんじゅんする。このまま臨んでもし結果が振るわなければ本戦に行けない。そうなれば関先輩の弓道はここで終わる。それはなんとか防ぎたい。けれど今の状態で出来るのかと言われれば分からないと言わざるを得ない。関先輩は僕の答えをしっかりと待ってくれている。僕は長い思考の末。


 「────、……すみません」

 「あぁ。だが、そんな顔はするな鏑木。お前は来年もあるんだからな。その時はしっかりと支えてやるんだぞ」

 「……はい」


 深く頭を下げる。関先輩は僕の左肩をぽんぽんと叩き、そう優しく言ってくれた。そう言われるほど今の僕の顔は酷いんだろう。こんな怪我で団体予選決勝を僕は棄権せざるを得なくなったんだ。頭を上げて関先輩の言葉に頷く。


 「まぁ、任せておきなよリュウくん。ね、部長」

 「あぁ。今までお前の射に任せっきりになってたとこあったしな。しっかり結果見せてやるさ」


 先輩方はとても優しい人たちだと思った。もし関先輩が休めと言ってくれなければ僕はこのまま出ていただろう。怪我を隠してそのまま出てきっと酷い結果だっただろう。正直、ゴム弓を引くだけで少しキツかったから。弓矢を持って向かっていく先輩方の背中を見て改めて礼をした。







 先輩方の行射の結果は奇しくも一中差で終わった。予選決勝での的中数は同じだったが、それまでの結果を鑑みてだったという。それでも先輩方は僕の前では悔しがるといった顔はせず比較的明るかった、と思う。


 「琉椰くん。右手、どう?」


 観客席で他校の選手たちの射型を見ていると隣から身を寄せながら香織先輩は声を掛けてきた。僕は右手を前後に揺らしたり握っては開いてを繰り返す。


 「大分マシになった。個人戦には間に合うね」

 「そっか。この後の予定だと行射2回執り行うけど行けるんだね?」

 「うん。香織、ちゃんと見てて」

 「まっかせてよ」


 関先輩達に僕もいればきっと進めていただろう。だからその悔しさを個人戦でぶつけよう。







 個人戦は立射で行う。僕の配置は中盤の列で二番手の位置で行う。『大前おおまえ』の人に続いて入場する。前の列の人たちが終わり、椅子から立ち上がって一礼の後に前に進む。本座ほんざから射位しゃいに入るにあたり、そのまま流れのままに足踏あしぶみの体勢を執る。足許あしもとに矢を半矢置きつつ、甲矢はやを半矢持ち射法八節に則り、動いていく。的に顔を向けて『打起うちおこし』、『引分け』、『大三だいさん』をし、『かい』をする。


 (あぁ、これはあたるな)


 無意識にそう考えスッと離れる。弓返ゆがえりと共に矢は空を切り一直線に飛んで的の中心よりやや左下に的中する。


 『良ォしッ!』


 集中しているからだろうか。先輩方の掛け声が遠く感じる。顔向けを戻しながら弓倒ゆだおしをし、再度続ける。自分でも驚くほどに集中している気がする。やはり独りだからだろう。個人戦だから自分の射型と向き合っていると思う。二射目。これは的の中心に中る。残り半矢。乙矢おとやを残している。弓倒しをしてから腰を曲げて乙矢2本を手に取る。弓起ゆおこしをする。顔の前に中仕掛なかじかけが来るように上げて右腕をその前に持ってきて乙矢の一本を弓手の人差し指で支える。取ったことを確認してから矢をつがえる。ガチっとはまる音がしてから中仕掛けに嵌る矢筈やはずを勝手で隠しながら下弭しもはずを左膝に当ててから勝手を腰に戻す。


 「…………………はー」


 小さく息を落としてから構える。的に顔を向けて水平に打起うちおこす。ゆっくりとした動作で弦を引く。頬に矢を当てる。そして本当に少しずつミリ単位で尚も引いていく。その状態こそが『会』だ。そして離れる。三射目もまた的の中心よりやや右下に的中する。


 『良しッ!』

 「………すぅー……ふー………」


 静かに呼気こきする。ラスト一射。顔向けを戻し、最後の矢番えをする。後ろで矢を射る音がする。しかし外したのだろう。「あぁっ!」という観客の落胆する声が響く。僕はスッと顔を上げ打起しする。ギッと弦が僕の耳許で音を上げる。ゆっくりと引いているからそんな音を上げるのだろう。大丈夫。弦が切れたとしてもこの射は────。


 『良しッ!!!!!』


 中るのだから。







 琉椰くんの射型は本当に堂々としていていつになくのびのびとしている。琉椰くんの集中している時特有の引き締まった目つき。右手の怪我も全然マシになったみたいでそれすらもものともしない顔で弓を引く。もし今右手がちゃんと出来てるなら両手をギュッて握ってたと思う。構えてたデジカメに映る琉椰くんじゃなくて私自身の目で澄んでいる彼の射を見つめる。


 「……リュウくん凄いですよねほんと」

 「うん。琉椰くんはなるべくしてなったってぐらい上手いよね」


 私の隣で記録を録ってる那須くんがボソリと呟いたのに頷く。独学でしかも高校入ってから始めた私と同じ歴でほぼ皆中かいちゅうな琉椰くん。悔しいけどこれは素直に琉椰くんの才能なんだと思う。私は調子が良くても皆中はそんなに出せないんだもん。練習でもバンバン出してる琉椰くんの方がおかしいんだよってほんの少しだけ嫉妬してる。


 『私、琉椰くんみたいな人の射型になりたかったな』

 『そうなの? 僕は香織の射型に憧れたから今があるんだけど……僕なんてまだまだだと思うけどな』

 『もー、そういうとこだけは鈍いんだから〜。私は部活の時でもいっぱい皆中出してる琉椰くんの腕に嫉妬してるの〜』

 『ははっ、なんだそんなことだったんだ』

 『そんなことってなによ〜』

 『だって、僕の射型は────』


 いつぞやの時の昼休みでそんなふうに話した事を今思い出した。そう。琉椰くんは確かに才能がある。それは「」という才能だと思ってる。あの日の部活見学でたった一度の見学で私の射型を真似て、それを自分の物にした努力。


 「琉椰くんの射型は私が育てたんだ〜」


 なんてそんなことあるはずないのに那須くんに自慢げに言う。「私の彼氏、凄いでしょ」って。那須くんは楽しげに笑った。


 「確かにそれはあるかもですね。リュウくんの射型、妻木先輩つまぎせんぱいにそっくりですもん」

 「…………そっか」


 琉椰くんの最後の一射が放たれた。小気味良い的中する音と共に私はどこか腑に落ちた感覚がした。どうして、琉椰くんの射型に嫉妬したのか。どうして、琉椰くんの射型が私の心を傾けたのか。どうして……。




 ────私は、琉椰くんに恋をしたのか。




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