第21夜 穴
朝がきて鏡を見る。
ぼさぼさに寝癖のついた前髪を上げると、丸い卵形の顔に、くりっと大きな目がついていた。
その目はどこか怯えているような、人生を悲観しているような、悲しげで緊張しているように観える。
あまり気にせずに、一通り、身支度を整えてから外に出た。
通りに出て、初めに出会ったのは、水色のランドセルに黄色い帽子を被った小学生の女の子。
彼女は、私の視線に気づくと、睨んで走り去ってしまった。
たまたまそこにいたあなたを見ていただけなのに……そんなに邪険にしなくても……。
そうは思ったが、相手は小学生。
気にしないと心に言い聞かせながら、さらに先へ行くと、集団登校する学生たちが。
友達と談笑しながら歩いていく彼らの目は、爛々と輝き、いまだに人生の憂いを知らないようだ。
私は私であることを、こんなに恥じて、苦しんでいるのに……。
淡い嫉妬心を気づかれないよう、うつむいて歩を早めた。
さらに先へ行くと、公園のある道へ来た。
砂場で、幼稚園生くらいの幼な子と、白いワンピースを着た母親が、塔を作っていた。
砂を積み上げてできた塔は、幼な子の身長ほどもあった。
きゃっきゃと喜ぶ我が子と一緒に、母親は砂を寄せて、さらに塔を大きくしようとしている。
ふいに、私の中の邪悪な何かが“早く崩れてしまえばいい”と言った。
その途端、塔は土台から見事に崩れてしまった。
子は泣き叫び、母親が抱きしめてなだめる。
何か悪いことをしたような、罪悪感に駆られて、私は気づかれる前に、公園から出て行った。
そこでふと、視線に気づいて振り返る。
先ほどまでの幼な子は泣き止んでいた。
公園は静寂に包まれていたが、何か違和感を感じた。
もう一度、母親と幼な子を見ると、彼らは後ろを向いて再び塔を作り始めていた。
………………
さっきまでの違和感の正体が掴めないまま、私は公園を後にした。
* * * * *
夕方の帰り道。
私は、朝に来た道を帰っていった。
そこで、親子が砂場で作っていた塔はどうなっただろう、と好奇心に駆られながら、公園に立ち寄ってみた。
だが砂場に塔はなく、代わりに黒いものがあった。
何かと思って、近づくと、それは穴だった。
暗くて深い……その奥を覗くと、どこまでも底が見えずに、一切の光も届かない。
ふいにどこかから“こっちへ来い”という声がした。
私は名状し難い気持ちに駆られながら、その穴のふちに立った。
穴の中から“もういいのよ”と呼ぶ母の声がした。
声は優しく、もう何もかも全てを赦せてしまいそうだと、気持ちが軽くなってきた。
穴の上の何もない宙空に、ためらいなく一歩を踏み出し、私は落ちていった。
穴に吸い込まれていたが、私の身体は不思議と重くもなく、ゆったりとした浮遊感に包まれていた。
上を見上げると、小さく射していた出口の光が、生き物の口のように閉じて見えなくなっていく。
落ちる……落ちる……落ちる……
もう二度と戻れない、繰り返される日常。
その全てに飽きた私は、この瞬間も、果てのない底へ向かって落ち続けている。
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