第20夜 梅雨上がりの交番

 梅雨上がりの暑い日。



 路上で、お爺さんが水色のワンピースに麦わら帽を被った小麦色の肌の女学生に声をかけたと騒ぎになった。



 取り押さえた男性から、交番につれて来られたお爺さんに女性巡査は訊ねる。



 お年はおいくつですか?



 70歳。



 相手の年齢は15歳ですよ。



 わしも心は15歳じゃて。



 女性巡査は首を傾げた。



 お爺さんのつぶらな瞳に観つめられると、不思議と許してあげたい気持ちになってくる。



 訊けば身寄りもなく、孤独に一軒家で暮らしているらしい。



 そこで巡査は、念を押して帰させることにした。



 お爺さんは分かったような、分からないような曖昧な頷き方をして出ていった。



 しかし、ドアまで見送った巡査は、お爺さんが腰掛けていた椅子に違和感を感じた。



 なにか匂う……。



 その香りは、夏蜜柑のように酸味のある香りでなければ、林檎のような薄い甘味でもない。



 よくよく考えてみると、それに一番近い果汁の香りは、雨上がりの霧に包まれた桃の香りだった。



 お爺さんが農業をしていたとは訊いていない。



 巡査が不思議に思っていると、何やら外が騒がしくなってきた。



 表に出ると人だかりが出来ている。



 何かと思い、人垣をかき分けて覗いた先には、先ほどのお爺さんが倒れていた。



 だが、その様子があまりにもおかしかった。



 柔和な顔のまま、お爺さんは目を閉じて気持ちよさそうに身を横たえている。



 巡査が口に手を当てて、息を確かめたがすでに事切れていた。



 そこで巡査は気づいた。



 お爺さんの顔から、先ほどの桃の香りがすることに。



 ふと、身の危険を感じた巡査は周りから人を遠ざけるよう呼びかけた。



 ーー警察学校にいたときに聞いたことがある。



 劇薬である青酸カリは、桃のような香りがすることを。



 その後、お爺さんの遺体は司法解剖されたが、死因は分からず仕舞いだった。



 巡査は用心のために、お爺さんが座っていた桃の香りがする椅子も調べさせたが、特に何も出なかった。



 鑑識の尽力にも関わらず、これと言った死因も不明なまま、お爺さんは無縁墓地へと葬られた。



 それから数年。



 巡査は今でも、梅雨が明けるとあのお爺さんの目を思い出す。



 これと言った邪さを感じさせるでもない、瞳だけは無垢な子供のままだった。



 そう思うたび、思い出を美化しているだけだろうと、巡査は自嘲気味に笑うのであった。

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