Ep.8 違和感 前編


 食堂の扉を開けたローワンは、目の前の信じられない光景に思わず自身の頬をつねっていた。


 「うそ、」


 扉を開いてすぐ、入口で呆然と固まるローワンを見た料理人が、背中を押して椅子に座るように促す。

 カチコチになった足は、背中を押されるまま、よたよたとテーブルに向かって歩みを進めた。

 

 夢でも見ているのだろうか。


 テーブルの上には、ローワンの好物ばかりが並べられていた。

 まるで、両親が亡くなるまで行っていた誕生日の晩餐会のように。



 「こ、これ。もしかして私一人分ですか、、」


 まさか、そんなわけはないだろうと、ローワンを半ば無理やり着席させた料理人に尋ねる。


 「はい、そうですよ。」


 何を当然のことを聞いているのだ、というような顔で答えた料理人は、ぽかんと口を開けたままのローワンを残し、食堂を出て行ってしまった。


 入れ替わるように入ってきた給仕係が、てきぱきとローワンの手元にカトラリーを並べてゆく。


 両親が亡くなって以降、幾度かの誕生日を迎えてきたが、今までこのような待遇を受けたことなどない。伯爵家では誕生日の豪華な食事どころか、日々の食事すら満足に取れたことがないのだ。


 机に置かれた暖かいスープが、食欲をそそる匂いをさせて湯気を立てている。

 毎日食べている味気ないぬるいくず野菜のスープではなく、高価なクリームが使われているスープのようだ。


 そういえば、昨日の朝から何も食べていないということをローワンはようやく思い出した。

 もう慣れてしまい、意識すらしなくなっていた空腹を示す腹の音が、小さくグルっと鳴る。

 


 壁際に戻っていった給仕係を横目に、ローワンはどれから手を付ければ良いのか、どのように食べれば良いのかわからず大いに動揺していた。

 もう10年、こんな豪華な食事をしていない。


 目の前に並んだ数多くのカトラリーの使い方さえ、もう記憶があいまいなのだ。


 まずは、前菜からだ。並んでいる中でも、できるだけ胃に優しそうなものから選ぼう。

 ローワンは、魚が乗った皿を手で目の前に引き寄せた。


 「おいしい、、、」


 一口食べた瞬間、もう二度と今までの生活には戻れないのではないかという気がしてくる。

 カチコチのパンや時間がたったスープとは違い、新鮮な食材と繊細な舌触り。

 ローワンは、今日一日だけでも自分が伯爵令嬢に戻ったかのような気分だった。


 

 空っぽの胃にはちょうど良かったらしい。

 前菜をぺろりと平らげると、この10年で鈍くなった脳が少しずつ空腹を感じてきたようだ。


 次はお腹を温めたいから、スープね。

 部屋に入り一番初めに漂ってきた、食欲をそそる香りのスープに手を伸ばす。


 そして並べられているカトラリーから、スープ用のスプーンを手に取った時、

 ふわりと風が吹いて、ローワンの手からスプーンがテーブルの下に転がり落ちた。


  落とした瞬間にちらりと見えた給仕係は、壁にもたれてあくびをしていた。どうやらローワンの世話までは、仕事の内に含まれていないらしい。


 慌てて落ちたスプーンを拾うためにテーブルの下に潜り込む。


 すると、目の前にぬっと人のようなものが現れた。


 「叫ぶな」


 思わず悲鳴を上げそうになっていたローワンの口を、暖かい風が包んだ。

 ひぇ、と口から出た声は、風に流され、音になることなく消えていく。

 

 テーブルの下にまるで暗殺者のように隠れていたのは、アクルだった。

 食堂に一緒に入ってきたはずだが、アクルを視線で追わないようにしていたため、どこにいるのかは把握していなかった。まさかこんなところにいたとは。



 「スープは飲むな。食べ物ではないものが混じった匂いがする」


 膝を抱えるように小さくテーブルの下でしゃがみこんでいるアクルが、真剣な顔をして言う。

 食べ物ではないもの。まさか毒でも入っているのだろうか。


 「それから、もしできそうならスープを下にこぼしてくれ。中身を確かめたい」


 いつの間に手に入れたのか、アクルは手に持った空の小瓶をこちらに見せる。

 おそらく、ローワンがシャワー室で魔砂を使った後のものだろう。回収箱に入れたと思っていたが、いつの間にか入手していたらしい。


 とりあえず早くテーブルに戻らなければ、給仕係に怪しまれてしまう。

 聞きたいことはいくつかあったが、声を出すわけにもいかないので、ローワンはとりあえず無言でうなずき、椅子へ座りなおした。



 本来であれば新しいスプーンを給仕係に依頼したいところだが、アクルによるとこれは飲まない方が良いらしい。こんなにも食欲をそそる匂いをしているというのに、精霊のようなものは人間よりも嗅覚が良いのだろうか。


 銀色の髪といい、もしそうであれば昔ローワンが飼っていた犬のアルにとそっくりではないか。そんなことを考えながら、目の前のスープをじっと見つめる。


 飲みたいが、仕方ない。ここはアクルの言うとおりにしよう。



 ローワンはテーブルの奥のパンに手を伸ばすふりをして、スープ皿を肘でグッと押した。

 バランスを崩し、傾いたスープ皿から、だらだらとスープが零れる。


 「わっ、、ごめんなさい」


 テーブルの下ではアクルが小さな風を起こし、小瓶の中に器用にスーブを詰めている。

 

 スプーンひとさじ程の量が入ったところで、小瓶が満杯になったらしい。瓶のふたを閉めながら、アクルはローワンの方を見る。


 「私は先に地下に戻る。夜になったらランプの部屋で会おう。」


 明らかに嫌そうな顔をした給仕係が近づいていたので、ローワンはゆっくり瞬きをして理解を示そうとした。


 しかしその後、アクルの口から言われた衝撃的な内容に瞬きも忘れて固まってしまったのだ。




 「地下室に来るとき必ず周囲を確認しろ。お前、屋敷中から監視されているぞ」




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