Ep.8 違和感 後編
「ね、ねぇ、アクル、昼間の話どういうことなの。」
肩で息をしたローワンは、手に持っていた灯りのついていない油のランプを無造作に置き、ソファーにどさりと腰を下ろした。
じんわりと額に滲んだ汗を寝巻の袖でふき取り、昨晩のローワンのように部屋の床に胡坐をかいて座るアクルを見る。宙に浮かんでいる以外の姿を見たのは初めてだが、こうしているとまるで人間のようだ。
床に5,6冊の本や紙を広げたアクルは、その中心に陣取って何かの作業をしている。
本をぺらぺらと捲ったり、メモに何かを書いたり、コーヒーを抽出するときのような底の丸いガラス瓶や細長い形状のものに、不思議な色の液体やモクモクとした煙のような何かを入れているようだ。
こんな道具、見たことないけどどこから持ってきたのかしら。
「そんなことより、後をつけられていないだろうな」
ガラス瓶を片手に持ち、床に置いた本から目を離さないままアクルが聞く。
「大丈夫だと思う。」
今日の昼間、食堂の机の下でアクルが言った言葉はどうやら本当だったらしい。
アクルが去った後、毒が入っているかもしれない食事に食欲が湧くわけもなく、ローワンはほどほどの所で切り上げようとしていた。
お腹いっぱいなので仕事に戻ります。と給仕係に伝えたところ、突然給仕係が慌てだしたのだ。
メインのステーキが絶品だとか、スープだけでも食べさせるように伯爵様に言われているとか。
今までの無関心はどこへ行ったのか、ぺらぺらと料理のことを説明し始め、なかなか席を立つことを許されなかった。
昨晩ろくに睡眠をとっていないローワンは、給仕係の終わらない話に頭がガンガンしていたし、突然の高級食材で胃が驚いたのか、毒のことがなくとも本当にこれ以上何も食べたい気分にはならなかった。
何とか話を切り上げるためパンだけでも無理やり口の中に押し込み、吐き気を催したふりをして強引に逃げ出してきたのだ。
そして食堂から出た後も、違和感は続いた。
普段は持ち場を離れてどこかでサボっている使用人も、黙々と自分の持ち場の掃除をしており、元々ローワンの担当のはずだった客室もなぜか別の使用人が掃除をしていた。
そして、いつもは無視されるか、もしくは”灰色だからモップかと思った”と言って水をかけられるくらいだったにも関わらず、なぜか今日だけは皆ローワンの姿を見ると普通に話しかけてくるのだ。
それは”どこの担当に変わったのか”であったり、”伯爵からどんな話をされたのか”であったり、”地下室の掃除は嫌ではないのか”だったり、通常の業務連絡から世間話のような気軽な会話まで、様々だった。
そして先ほども、同室の使用人が何故かなかなか寝てくれず、ベッドを抜け出すのに非常に苦労した。
何度も後ろを振り返って確認した上で地下室の入口まで来たものの、階段を下りたころに人の気配を感じ、ランプの灯を消して全力で走ってきたのだ。
念のため途中何度か角に隠れ待ってみたものの、誰も後ろからついてくる気配はなかった。
慎重に慎重を重ねてここまでやってきたが、
今のランプの部屋の入口はただの壁にしか見えないので、ここに部屋があると知る者でなければ見つかることはないだろう。
☆
そういうわけで、ランプの部屋にたどり着いた時には上がっていたローワンの息も、ようやく落ち着いてきた。
「ところで、アクルは何してるの」
「昼間のスープの調査だ」
予想していた通り、アクルはなにやら怪しげな道具を使ってスープの調査をしていたらしい。
よく見るとアクルの足元に散らばった道具の中に、スープを入れていた小瓶が転がっている。
「こんな道具どこにあったの」
「地下の一室だ。図書室の本棚の奥に地図が描かれていたからそれを元に探したのだ」
「え、嘘」
足元の紙に何か模様ようなものを書いているアクルは、ペンを持った方と反対の手でソファーの下に無造作に置かれていたメモの山を指さした。
どうやらその地図を書き写してきたらしい。
地図の中には、通路のようなものと、古代文字が書かれた四角い箱のようなものがいくつか描かれている。
四角い箱の中には”本”、”湖”、”研究”など、いくつかローワンにも見たことがある文字があり、その中でも”研究”と描かれた箱に大きな赤い丸がつけられていた。
位置関係から見るに、おそらく本という文字が書いてある箱が図書室を示していて、湖と書かれているのがランプの部屋だろう。ちらりと部屋の壁にかかる巨大な湖の絵を見ながら、ローワンは考えた。
「これはお前の母親のものではないか?」
アクルが紙から目を離さないまま、足元の本を持ち上げ背表紙をローワンの方に見せてきた。
古代文字で描かれているのでタイトルはよくわからないが、著者名らしき場所に”アリシャ=バークレイ”という文字が現代語で書かれていた。
「もしかしてお母さまの研究室を見つけたの?」
「あぁ、おそらくそうだ。これらの道具や本もすべてそこから持ってきたのだ」
”アリシャ=バークレイ”、それはローワンの母の名前だった。
優秀な魔術師だった母は、特に魔法陣の研究では王国一と有名で、数々の本や論文を書いていたらしい。
アクルが今読んでいる本も、そんな母の著書なのだろうか。
「そうなんだ、、私も結構探したんだけど見つけられなかったんだよね」
アクルが書き写してきた地図も、描かれているのは数部屋だけだ。
ローワンが自力で見つけたいくつかの部屋については、この地図には描かれていなさそうなので、地下室の全容はまだまだわからないことだらけだ。
「鍵は?どんなのだった?」
「魔法だ。風の魔法で扉に描かれているものと同じ形を作る。」
魔法か。
それならば仮にローワンが見つけたとしても、開けることは難しかっただろう。
「アクル。私にも魔法を教えてくれない?」
ローワンにも魔力がある、とアクルが言っていた。
ということはきっとローワンにも魔法が使えるはずだ。
父は指をパチンと鳴らして魔法を使っていたわけではないので、おそらく精霊のようなものと人間では魔法の使い方は違うのだろう。
それでも、記憶がないという割には博識なアクルであれば教えてくれるかもしれない。
「そうだな。お前も自分の身を守る術を覚えた方が良いかもしれない。」
本や不思議な道具からようやく顔を上げたアクルは、神妙な顔をして不思議な液体が入ったガラス瓶をこちらに見せてきた。
「これは昼間のスープを魔法陣を使って分析したものだ。」
どうやらアクルはローワンの母の本を見ながら魔法陣を描いていたらしい。
足元に散らばった紙に、魔法陣のようなものがいくつか描かれているのが見えた。
「何が入ってたの?やっぱり毒とか?」
そういえば昼間の前菜やパンに毒は入っていなかったのだろうか。
今のところ体調に特に問題はないが、毒が入っているのかもしれないと思うと、ローワンはなんだか急にお腹が痛くなってきた。
「自白剤だ」
「え」
「無味無臭だが、強力なものだ。飲めば正気を失い、聞かれたことに対して本心を偽りなく話してしまう。」
自白剤。聞きなれない言葉だが、ローワンの想像通りであれば、飲んだ人に対して何か秘密や隠し事を強制的に話させたいときに使うものだろう。
だが、いったい誰が、何のためにローワンにそんなものを使ったのだろう。
「伯爵はどうしてもお前に吐かせたいことがあるのだろうな」
「伯爵様が自白剤を混ぜたってこと、?」
「このような強力なものを作るには錬金術の力を借りるしかないだろうからな。そのような資金力の持ち主から考えると、そう考えるのが自然な流れだ。」
錬金術師は錬金術研究所にしかおらず、そしてとても高い報酬を要求してくるのだろう。とアクルは昨日ローワンが教えたことを言った。
王都にある錬金術研究所では、魔石を使った道具などを開発していて、主に貴族や裕福な平民がこぞって利用している。
この部屋にある魔石のランプや魔石時計も、おそらくそこから購入したものだ。きっとかなり高価なものなのだろう。
「私、でも、何も知らないよ。」
ローワンから高価な自白剤を使ってまで聞き出さなければならないことなど、あるのだろうか。
確かに魔術師だった母の研究内容や、歴史学者だった父の調査内容などは知れば価値があることなのかもしれないが、ローワンは当時6歳だったのだ。
何も益になるようなことなど聞いていないし、覚えていない。
「執務室での言葉を思い出せ。地下室で何か変わったことはなかったのかと聞かれただろう」
確かに今朝、伯爵から”地下室で何か変わったことはなかったか”と聞かれた。
変わったことと言えば、開かずの箱が空いて、指輪とともにアクルが現れたことだが、
「アクルのことを知りたいのかな」
「さぁな。私のことなのか、指輪のことなのか。はたまたこの地下室の別のことなのか」
よっこらせ、と顔に似合わず人間くさい言葉を言いながら立ち上がったアクルは、不思議な液体の入った瓶を栓で閉め、その他の本や道具をドタバタと片付け始めた。
「この地下室は宝の山だからな。私からすれば何故おまえ以外の人間が立ち入っていないのか不思議だよ。」
古代文字で描かれた本や、母の研究室のことを言っているのだろうか。それとも変な骨董品ばかりが置かれた部屋のことなのか。
アクルのいう”宝”が何を指すのか、ローワンにはわからなかった。
「伯爵の目的はわからないが、自白剤を使ってくるような相手だ。これからも用心しろ」
そう言って重ねた数冊の本と道具を腕に抱えたアクルは、ふわりと浮きながら部屋の外へ出ていこうとする。
「あ、待ってよ。お母様の研究室に行くなら私も行く」
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