Ep.9 給仕係 前編

 

 16歳の誕生日から1週間。

 ローワンは拍子抜けするほど平和な日々を送っていた。


 伯爵様は王都から呼び出しがあったとかで、誕生日の翌日には屋敷から居なくなっていた。

 念のため食事の度にアクルが食事を調べてくれているが、あれ以来変なものが入っていたことはない。


 それどころか、喜ばしいことにメイド長の八つ当たりもなくなり、使用人から罵りや中傷を受けることもなく、自分の担当以上の掃除をさせられることもなくなったのだ。

 そのおかげで時間通りに勤務を終わらせることもでき、夕食をとることもできるようになっていた。

 未だに魔砂の小瓶だけは盗まれてしまうが、この際どうだって良い。



 ローワンが長年待ち望んでいた平穏な生活がやってきたのだ。



 ただ一つ悪い点を挙げるとするならば、ローワンが地下室の掃除をする際必ず誰かが一緒についてくることだけだ。





 伯爵の命令で客室掃除から地下室の掃除に担当変更されていたローワンは、今日も朝食を済ませて地下室に来ていた。

 入口近くの食糧備蓄庫や、倉庫として使っているいくつか部屋の掃除が主な仕事だ。

 

 アクルと相談して、基本的に日中には奥に入らないことを決めた。

 それはランプの部屋というローワンの憩いの空間を誰かに見つかるのが嫌だったというのもあるし、そして何より、いつも”あの男"がいて探索どころではないからだ。

 


 「うぇー、この部屋もきったねーなー」

 

 今日の掃除の対象は、庭師の倉庫として使われている部屋だ。

 前の人物に続き扉のない倉庫に入ると、いつものように聞こえてきた不愉快な声にローワンは眉をひそめた。


 不快な声の正体を、ゴミを見るような目で視界の端に捉える。

 視界にちょっと入っただけでも、本当に不愉快だ。


 いつも、他の使用人はこんな気持ちでローワンを見ていたのだろうか。

 もし彼・彼女らが今のローワンと同じ気持ちなのであれば、あの冷たい目線や態度も致し方ないのではないか。と、ローワンは初めて他の使用人を擁護する気持ちになった。

 


 「おい!おまえ、、!ここにむ、虫がいるぞ!!早く始末しろ、、!」


 

 倉庫の壁についた小さなクモを指さして、あの男は言う。

 まただ。ローワンは深い深いため息を吐いた。

 

 地下室は普段掃除人の手が入らない。クモやネズミなどいくらでもいるだろう。

 それに、ここは庭道具が置かれている倉庫なのだ。土のついたスコップや使ってない植木鉢の中に、ほかにもわんさか虫がいるに決まっている。


 「何をしている!う、うわぁ。こっちに来ているう!バカ女、早くこの虫をどこかにやってくれ!!」


 どこかに行ってほしいのはお前の方だ、と、ローワンはさらに大きなため息を吐く。

 心を無にして男の方へ近づき、ほうきの柄で巣を払いクモを倉庫の外に出した。



 ここ3日ほど、ずっとこの調子だ。


 最初の数日は女性の使用人が入れ替わりで着いてきていた。

 彼女たちはあまり地下室に近寄りたくないのか、入口付近の階段から動かずローワンの動きを見守っていたので楽だったのだ。


 それから数日たち、ローワンが入口付近の部屋の掃除をし終え、階段からは見えない位置の倉庫に手を付け始めると、”あの男”がやってくるようになった。

 


 ”あの男”はローワンの誕生日の日に、食堂にいた給仕係だった。

 ローワンがスプーンを落としても拾わず、もう食べたくないといったにも関わらずしつこく粘ってきた男だ。

 その時から既にうんざりしていたが、地下室に着いてくるようになってからは、うんざりを超えて不愉快に変わっていた。


 この男は、虫や汚いところ、暗いところが嫌いなくせにずっとローワンの後をしつこく着いてくる。

 意気揚々と先陣を切って新しい部屋に入っては、先ほどのように虫をどこかにやれ、だの、明かりをよこせだの、大声で喚き散らす。


 そしてうるさい男の要望をかなえ、ローワンが掃除に取り掛かろうとすると、手持ち無沙汰なのか、頼んでもないのにぺらぺらと自分のことを話始めるのだ。



 窓もなく壁の厚い地下室では、聞こうとしなくても給仕係の男の声が耳に入ってしまう。


 どうやら給仕係は、最近バークレイ伯爵家で仕事を始めたらしい。

 バークレイ伯爵家から馬車で5日ほど離れたド田舎から来たようで、村を出てきた数少ない人間の一人だそうだ。

 そしてにわかには信じがたいが、その田舎では給仕係は期待の星と呼ばれていたらしい。絶対嘘。

 その他にも実家の羊が子供を産んだことや、病気の母親の薬を探すために来たとか、年の離れた妹から彼氏ができたという手紙が来たとか、バークレイ領は娯楽がなくてつまらないとか。

 

 ローワンが返事をしなくても、聞いてもいないことをぺらぺらとずっと話続けている。



 そしていつも二言目には、彼の憧れだというキール=ロジャースの話をする。


 「キール様は本当にすごいお方なんだ!現騎士団長のロジャース公爵のご子息で、ホワイトブロンドに琥珀色の瞳の容姿端麗!剣の腕も同世代の中で一番で、魔法の実力も素晴らしい!あんな人が俺と同じ16歳だなんて信じられるか?勉学にも優れていると聞いたし、きっと来年には王都のアカデミーに入学されるんだろうなぁ。第一王子のエクター様も同じ16歳だし、きっと将来の王の右腕となるために共に学ばれるんだ。俺もアカデミーに入学して一目だけでもキール様の姿を拝みたいが、入学金も授業料も高すぎて貴族ですらない俺には夢のまた夢だろうな」


 今日も給仕係のマシンガントークを聞き流し、心を無にして掃除を続ける。


 布で口を覆い、棚の上の埃を濡れた布で拭く。



 「キール様と言えば、そういえばバカ女。アーサー王の冒険が現3大公爵家を題材にして作られた物語というのは知っていたか」


 この話を聞くのは今日で3回目だ、

 給仕係が話をする前からローワンはこのことを知っていたし、仮に知らなかったとしても3回も同じ話をしているのだ。この男の記憶力の悪さの方が、よっぽどバカと呼ぶのにふさわしいのではないだろうか。


 棚の上の汚れがなかなか取れない。


 「ふふん、話はそれだけじゃない。バカ女、お前のような陰気な奴は知らないだろうが、アーサー王の冒険は実はおとぎ話ではなく実際にあった話なのだ。俺様の故郷には、かなり昔に作られたアーサー王と思わしき青年の銅像がある!これは実話ということを表す確固たる証拠にちがいない!」


 銅像があることが、アーサー王の冒険がおとぎ話ではない証明にならないだろう。と、棚の汚れをごしごしと拭きながらローワンは考えた。

 アーサー王の冒険を書いた作者がその銅像を元に物語を作ったのかもしれないし、逆にアーサー王の冒険が描かれた後に誰かが銅像を作ったのかもしれないのだから。


 「それに、実際にキール様はロジャース公爵家に伝わっているとされる装身具(オーナメント)のピアスをお持ちだ。前にキール様の肖像画で、アーサー王の冒険に描かれているのと同じピアスを付けているのを俺は見た!アーサー王の冒険は実話なのだ」


 アーサー王の冒険に描かれているものと言えば、おそらく稲妻のような形をした小さなピアスのことだろう。

 同じものを付けていたとしても、ただの童話をモチーフにしたイミテーションかもしれないし、偶然似たようなデザインかもしれない。

 はい、ダウト。これも実話であった証明にはならない。


 棚の汚れが少しずつ薄くなってきた。もう少しできれいになりそうだ。


 「そしてキール様は不思議なことに天候を操ることができるのだ。雨を降らせることも、雷や竜巻を遠ざけることもできる。そのおかげかロジャース公爵領はいつも豊作なんだ。魔法でも普通はこんなことはできない!まさにキール様は神に愛された存在なのだよ!」


 アーサー王の話はどこに行ったのだろうか。給仕係の話は再びキール=ロジャースの話に戻ってしまった。

 よし、ようやく汚れが消えた。次は棚の荷物をどけてから汚れを拭こう。


 ローワンは植木鉢を棚から降ろすため、踏み台の上に乗った。

 んん。結構重い。給仕係。お前はこういう時のためにいるのではないのか。手伝え。

 



 「それにキール様は精霊を連れているという噂もある。」


 背後にいる給仕係から聞こえてきた意外な言葉に、ローワンの動きが止まった。

 ”精霊”。おとぎ話の中だけの話だと思っていた存在が、アクル以外にもいるのだろうか。

 

 「それって、」


 この3日間で初めて給仕係に話かけてみようという気になったローワンは、小さく声を出し、後ろをにいる給仕係の方を向こうとする。

 しかし、振り返ろうとして一歩後ろに下げた足が、宙を切ったのが分かった。


 まずい、重い植木鉢を持って、踏み台の上に立っていたのを忘れていた。

 重い植木鉢でバランスを崩したローワンの身体は、ゆっくりと後ろへ倒れていく。



 「まぁ精霊なんてものは俺はいないと考えているから、やはりその噂はただの噂なのだろうなぁ。あまりのキール様のすばらしさに、きっと誰かが精霊のおかげだなどと適当なことを言ったに違いない」


 傾いていく景色の中、ローワンの様子に気づくことなくぺらぺらと話を続ける給仕係の声が鮮明に聞こえる。つくづく腹が立つ男だ。


 ローワンが衝撃を覚悟してぎゅっと目をつぶった時、床に身体を打ち付ける直前でふわりとやさしい風が吹いた。

 床に叩きつけられるはずだったローワンの身体は、風のクッションによってゆっくりと着地した。


 ごろんと、一緒に落ちてきた植木鉢がローワンの近くに転がる。


 「なんだバカ女。転んだのか。相変わらずどんくさいことだ。お前もキール様を塵ほどでもいいから見習ってみるんだな。その馬鹿な行動が少しはマシになるだろうよ」


 床に這いつくばったローワンを見下ろしながら給仕係が言う。

 そのキール様とやらが完璧人間なのであれば、小指の爪垢でも煎じて飲んだ方が良いのはお前の方だ。とローワンは思った。本当にこの男は嫌いだ。



 給仕係に怪しまれないように、落ちた植木鉢を探すふりをして周りを見渡すと、そこにはあきれ顔のアクルがいた。


 「この男今日もいるのか。地下室の奥まで声が響いていたぞ。」


 いつものようにアクルから素早く視線を外したローワンは、植木鉢を拾い棚の掃除を再開した。

 

 夜の監視が厳しくなったせいで、ここ数日地下室に潜り込むのが難しくなった。

 そのため、アクルはこうして日中にローワンの前に現れるのだ。



 どうやらアクルも給仕係のことはあまり好きではないらしい。声から何となくうんざりとしているのが分かった。


 「ローワン。面白い魔法陣を見つけたぞ。今日の夜、地下のホールに来い」


 ローワンはアクルの方を見ないようにしながら、ゆっくりと瞬きをして理解したことを示す。地下のホールとは、天井が高くなっている空間のことだろう。


 「では、私は戻る」


 布を洗うふりをして、アクルがいるであろう方向をゆっくり振り向く。

 出口の方へ向かったアクルが、帰りがけに給仕係の髪を数本掴んでいるのが見えた。

 何をするつもりなのだろう。



 「いたっ!虫か!?虫なのか!?」


 「私を虫扱いするとは。つくづく気に食わない男だ」


 そのままぴっ、っと給仕係の髪を数本引き抜いたアクルは、苦々しい顔をして給仕係に対してぼそりとつぶやく。

 どうやらアクルもローワンと同じ気持ちのようだ。



 そのままふわりと浮かんだアクルは、地下室の奥へと姿を消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る