Ep.6 精霊(のようなもの) 前編上

 床に尻もちをついて座り込むローワンの目の前にいたのは、自身の16年の人生で今までに見たこともない美しい人だった。


 ただでさえ突然目の前に人が現れて驚いているローワンだったが、生まれてはじめて目にした美しすぎる光景に、うまく言葉が出てこない。


 目の前の人間をもう一度よく確認するため、ローワンは視線を上から下にゆっくりと移動させた。



 「ちょ、っと。まって影がない。というか、浮いてる、、!」


 最初に見たときには気が付かなかったが、目の前の人間はふわりと宙に浮いていた。そしてランプの光で煌々と照らされているはずなのに、影がない。


 ゆっくりとそのまま視線を上げてみると、まだ目の前の人間、らしきものは眉間に皺を寄せてローワンの方を見ていた。


 「あの、、、どなたでしょうか。何かお困りのこととか、、、、」


 恐る恐る、目の前の美しいものに向かって語りかけてみる。

 

 しばらく待ってみるが、瞬きもせず固まったままだ。返答もない。


 なんなの、、。

 話せないのかしら。



 驚きや恐怖が一度に大量に押し寄せたせいか、むしろローワンは落ち着き始めていた。

 一度大きく深呼吸をし、目の前の状況を整理してみる。


 ここはバークレイ伯爵家の地下室

 この地下室では、少なくともこの2年ほかの人間を見たことはない

 この部屋の入口は一つ、窓はなく、先ほどまで扉は閉まっていたはずだ

 

 ということは、おそらく目の前のものは人間ではないだろう。


 人間らしきものが現れる前に起こったこととしては、12時を過ぎ、ローワンが16歳になったこと。

 

 そして、


 「私が箱を叩き割ろうとした、、?」


 まさか、箱の番人がローワンの行動に怒って飛び出してきたとかだろうか。

 なんて、そんなおとぎ話のようなことあるわけないか。と、自分の自由な発想力に呆れにも似た笑いが零れる。


 もう一度改めて、よくよく目の前の"人間のようなもの"を確認してみる。

 ものすごく綺麗な顔をしている。

 とても陳腐な感想だが、ローワンにはそれくらいしか思いつかなかった。

 おとぎ話に出てくる精霊だ。と言われてもなんの違和感もない。

 そのくらい神々しいほどに美しいのだ。


 色素の薄いグレーの目が、ある一点を見つめている。


 もともとはローワンの方を見ているのかと思っていたが、どうやら違うらしい。

 ローワンは視線の先を指で辿ってみた。


 「あ、箱を見ているのね」


 先ほど突風が吹いたにもかかわらず、箱はずっと場所を変えないまま同じ床の上にあったようだ。

 ローワンはずりずりと、尻もちついた場所から四つん這いで近寄り、箱を手に取った。

 

 見た目には特に変わったところは見られない。

 少し期待したものの、何の変化もないようだ。


 「これを見ているの?」


 ローワンは尻もちをついたときに汚れてしまったメイド服の埃を払いながら、箱を手に持って立ち上がった。

 箱が床から持ち上げられるのに合わせ、グレーの瞳も動く。


 話しかけてみたが、特に反応はない。

 しかし間違いなく、薄いグレーの瞳はこの箱を見ているようだ。

 

 

 ”人間のようなもの”は、今のところ特にローワンに危害を加えようとしているわけでもない。ただのきれいな人形のようだ。

 動いてはいるが、そもそも生きてるのだろうか。

 

 だんだんと怖い気持ちが薄れてきた。

 いつも屋敷で色々な人から無視されているローワンにとっては、無視されることなど慣れっこだ。目の前の人間らしきものは、今のところ水をかけてきたり、暴言を吐いたり、仕事を押し付けてくる様子もない。


 

 ローワンは先ほどの突風でぶつけたお尻をさすりながら、箱を手に持ったまま、後ろのソファーに腰かけた。

 ”人間のようなもの”は、ローワンが動いても特に気にしないらしい。

 視線だけは相変わらず箱を追っている。


 この先もずっと、この状態でこの部屋にいるのだろうか。

 なぜ現れたのかもわからないし、どうすれば消えるのかもわからない。


 見た目は良いので、アンティークの人形だと思えばよいのだろうか。

 今後のことを考えながら、手に持った箱をくるくると回す。

 これはローワンが考え事をするときのいつもの癖だった。


 別に今のまま部屋にいるのは構わないが、どうせなら話ができれば良いのにな、とローワンは思った。


 中傷や罵り、仕事の命令をされる以外で誰かと話をすることができれば、少しはローワンの生活も楽しくなるかもしれない。



 「ん?なんか違和感があるような」 

 

 手に持った箱に何か違和感を感じた。

 手の中で、少し箱がズレたような気がしたのだ。


 「嘘。もしかして」



 そういえば、12時を過ぎてからは箱をずっと外から観察するだけで、開いてみようとしたことはなかった。

 魔法のかかった箱ならば、光りだすか、突然ぱかっと開くのではないかと思っていたのだ。


 自分の間抜け具合に呆れにも似た笑いがこぼれる。

 

 2年前、はじめてこの箱を見つけた時と同じように、ローワンは箱の上下に手を当て、そっと力を入れた。




 「開いた、、!」 


 その箱は、驚くほど簡単に上下に開いた。

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