Ep.9 給仕係 後編
給仕係を見送り夕食を済ませたローワンは、アクルとの約束の場所へ向かうため、こっそりとベッドを抜け出し地下に来ていた。
厳しかった監視も、ここ数日は夜に地下室に降りるのを辞めたからだろうか。今日は入口を過ぎて少ししても、人の気配を全く感じない。
念のためランプの灯を消し、何度も後ろを振り返りながら、地下室の道を歩いた。
普段ローワンがいるランプの部屋が、入口から左側のエリアにあるのに対し、地下室のホールがあるのは右側のエリアだ。
右側のエリアには図書室や母の研究室、満月の日に開く部屋などがあり、まだ開け方のわかっていない部屋を含め、探索しきれていない部分も多い。
地下室のホールは一つの部屋というわけではなく、歩いていると突然現れる、天井の高い開けた空間だ。
アクルはホールに来るようにと言っていたが、扉もないような開けた空間にいて、誰か来た時に見つかったりしないのだろうか。
夜目が効くようになっていたローワンは、壁にぶつからないように真っ暗な空間を目を凝らして歩いた。
ランプの部屋までであれば真っ暗でも問題なくたどり着けるのだが、右側のエリアはあまり慣れていないので怖いのだ。
壁に手を当て、頭の中に地下室の地図を思い浮かべながら歩く。
「えーっと、次は確か右よね」
「ローワン。ローワン。こっちだ」
右に向かおうと角を曲がったその瞬間、背後からアクルの声が聞こえた。
「え、アクルいつの間に」
声がする方を振り向くと、魔石のランプを手に持ったアクルが、通路の壁の向こうから上半身だけをひょっこりと出してローワンを呼んでいた。
「念のため目くらましの魔法をかけておいたのだ。ランプの灯を消していなければ、お前であれば見えたはずだが」
暗闇でよく転ばないな。そう言うアクルの方へ近づいていくと、目の前に突然天井の高い空間が現れた。
天井の高いホールは、何本かの太い支柱に支えられている。
支柱に着いた燭台が、広いホール全体をうすぼんやりと明るく照らしてくれているので、ホール全体の様子を伺うことができた。
何もない広い空間の床に、1つのランプと複数の本が散らばっている。どうやらアクルがここで何かをしていたようだ。
散らばった本の近くの床に、大人の背丈ほどの大きさの魔法陣がチョークで描かれていた。
「今日はなんの魔法陣を描いたの?」
この1週間朝から晩まで屋敷中を探索し、様々な本を読み尽くしているアクルは、毎日のように新しい知識を仕入れてくる。
それは地下で医学書を見つけたというものであったり、地上にある使用人の休憩室で最近の流行ファッションの書かれた雑誌を見つけたというものまで様々だった。
その中でも特に、母の研究室から見つかる魔法陣の本が気に入ったらしい。
地上にいる時も、掃除をするローワンの隣でふわふわと空中に寝そべりながら本を読んでいるのだ。
そして何か面白いものを見つける度に、人が周囲にいても気にせず披露してくるので、ローワンは顔や態度に出さないようにすることに苦労していた。
「まぁ見ていろ。」
得意げな顔でそう言ったアクルは、細長い小瓶を持って魔法陣の中心に立った。
そして小瓶の蓋を開け、中に入っている黒い細いものを床に落とす。
「何それ、髪の毛?」
「そうだ。今日給仕係から拝借してきたものだ」
そういえば今日の午前中、アクルが給仕係の髪の毛を数本抜いていたのを思い出す。
アクルがしゃがみこみ、両手を魔法陣の描かれている床にぺたりとつける。
そしてしばらくすると、床に描かれている魔法陣がぼんやりと緑色に光出した。
これはおそらく魔法陣に自分の魔力を流しているのだろうな、とローワンは先日アクルに教えてもらったことを思い出していた。
そして光がだんだんと強くなり、アクルの全身を包み込む。
薄ぼんやりと暗いホールに、ぴかっと稲妻のような光が走った。
「まぶしっ」
ローワンはあまりの眩しさに自分の目を覆った。
すると次の瞬間、
「どうだ。ローワン上手く行ったか」
聞いたことがあるが、でも確実にアクルの声ではないものが聞こえてきた。
この声、、いやでもあの男がここにいるわけない。
頭をぐるぐると働かせながらそーっと目を開けると、目の前にいたのは予想通りの男だった。
「え、どうして給仕係がここに?さっき馬車に乗って故郷に帰るって、、」
「馬鹿者私だ。アクルだ」
どうだ、うまくいっただろう。と言って魔法陣の中心で、腰に手を当て仁王立ちをしているアクルらしきものを見る。
声も、見た目も、服装もどこからどう見ても給仕係にしか見えない。
銀色の長い髪は短い黒髪に変わり、すらっとした高い身長や長い手足も、ローワンと同じくらいの16歳の少年の背丈に変わっていた。
美しい薄いグレーの瞳も、黒みがかったブラウンの瞳に変わってしまっている。
「新しく変化(へんげ)の魔法陣を見つけたのだ。対象者の魔力を媒介に、その者の姿を真似ることができる」
「媒介って、さっきの給仕係の髪の毛のこと?」
「そうだ。髪は魔力の濃度が高く、その者の魔力の性質を一番反映しているからな。」
そして入手もしやすいため媒介としては最適なのだ。とアクルは得意げな顔をして言う。
目の前にいるのは給仕係の姿そのもので、声も同じはずなのに、中身が違うと意外とムカつかないな。と、変化したアクルの姿を上から下までよく観察しながらローワンは思った。
やっぱり、あの男の話し方や態度が駄目なのかも。
「明日からはしばらくこの姿でいようと思う。そうすればお前とも普通に会話ができるし、様子も探りやすいからな。」
「あ、確かに。ちょうど給仕係が故郷に帰るって言ってたから。奇跡みたいなタイミングだね」
夕方に門から出ていく給仕係は、母親の病気が悪化したため故郷へ帰ると言っていた。
彼の話によれば、故郷はバークレイ領から馬車で5日ほど離れているとのことだったので、往復を考えると最低でも10日は帰ってこないだろう。
「奇跡ではない。あの男の妹の筆跡で、故郷に帰るようにとの手紙を書いておいたのだ」
「えぇ、いつの間に。」
「手紙とともに執事長からのメモも添えておいた。仕事の心配はいらないからこの薬をもって速やかに故郷に帰りなさいとな。」
給仕係の姿で、手のひらを開いたり閉じたり、脚をぶらぶらと振ってみたり、身体の様子を確かめるような仕草をしながらアクルは言った。
この男、脚短すぎないか。人間は不便だな。という若干イラっとする言葉が聞こえる気がする。
「薬なんてどこから手に入れたの?地下室に万病に効く薬があったとか?」
「いや、普通に医務室から拝借した抗菌剤だ。あの男の発言から母親の病気も検討がついていたし、数か月も飲み続ければ良くなるだろう。」
ローワン以外の人間には姿が見えないアクルは、屋敷中のいたるところに忍び込んでいるらしい。
アクルが手に持った物は、本人と同じように他の人から見えなくなるらしいので、幸いにも物が勝手に宙に浮く怪奇現象とはならなそうだ。しかし、それは精霊ではなくもはや立派な泥棒なのでは?と、ローワンは思ったが、怒られそうなので口には出さないでおく。
「そっか、それは安心だね。」
まぁ、いけ好かない男とはいえ、離れて暮らす母親の病気が治るのであればよかった。
馬車に乗り込む際に、俺様の伝説がまた一つ増えてしまうとか何とか言っていたので、きっとあの男はこれもまた自分の成果の一つとして数えるのだろう。
安心すると同時になんだか少しイラっとしてしまうのはなぜだろう。
「これって、私の姿にも変化できるの?」
「あぁ、そうだな。ローワンは魔力量が多いから、お前の髪を媒介にすればこの男より長く変化したままでいれるだろう。」
「へぇ」
アクルは以前、ローワンの魔力はかなり多い方だと言っていた。
まぁ腐っても伯爵令嬢だしな。という癪に刺さる言葉も一緒に教えてくれたが、アクルが本から仕入れた知識によると、どうやら貴族は通常の人に比べて魔力が多いのだそうだ。
魔力が多い者が権力を持ち、それが血筋によって受け継がれていったからではないか、とのことだった。
「念のため何本か髪をもらっておこう。何かあった時に便利かもしれないから」
給仕係の姿のままローワンのそばに近寄ってきたアクルは、ローワンの灰色の髪を何本か指でつまんだ。
いつもの姿ではないからだろうか。隣にいるのはアクルのはずなのに、なんだか少しドキドキする。
憎き給仕係の姿ではあるが、ローワンはここまで異性に近づかれた経験がないことを思い出した。
「そういえばアクルは男なの?女なの?」
いつかにシャワー室で思ったことを聞いてみる。
白くきめ細やかな肌。薄いグレーの瞳に長い銀色の髪。中世的な顔立ちと声なので、アクルが男か女なのかは判断つかなかった。
「私は生殖しないからな。特に性別はない。」
なんとも風情のない返事と共に、用を終えたらしいアクルがローワンから離れていく。
てっきり給仕係のように根元から引っこ抜かれるかと思っていたが、魔法を使ってくれたのだろう。耳元で小さな風の音がした。
少し離れたアクルは、先ほどまで給仕係の髪が入っていた瓶に、灰色の髪を詰めている。
「ふぅん。じゃあ年齢は?」
「わからないが、精神的にはお前より上なのは明らかだな。間違いなく。」
給仕係の姿だからだろうか、ローワンはなんだかとってもアクルをひっぱたきたくなった。
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