Ep.10 封印が解けたあと


 つくづく不思議な屋敷だ。

 夜が明ける前に、地下室のホールから自室へと戻っていく赤い背中を見ながら、アクルは思った。


 封印が解け、この屋敷で過ごすことになり1週間。

 地下室や邸宅、庭、使用人の様子など。いろいろなものを見てきたが、知れば知るほどこの屋敷の奇妙さが浮き彫りになる。



 魔法の使い方や、自分自身についての知識は多少あるが、

 今まで自分が何をしていたのか、なぜここにいるのかなどの記憶がすっぽりと抜け落ちている。

 

 新しく生まれた存在なのだろうか、と考えたこともあったが、

 それでも、この屋敷やローワンの様子など、自分が知っているものとは”何か”が違うという気持ちになる。

 何が違うのかというのは皆目見当がつかないのが、非常に厄介だが。


 それにしても、監視されていることや、強力な自白剤を使われていることが分かってなお、ローワンのあの危機感のなさは何なのだ。

 認識はしているが頭が理解できていないのか、もしくは単純に救えないほどの阿呆なのか、、まぁどちらの可能性もあり得るな。




 床に広げた本を片付けようと、伸ばした自分の手が空気をつかむ。

 くそ、これで三度目だ。

 変化した給仕係の腕は、自分のものよりもかなり短く、距離感を掴むのが難しい。


 しっかりと距離を確認した上で本を拾い、本や使用した紙を研究室に戻すため、ランプを片手に地下室の道を進む。

 この男、脚まで短いのか。空を飛べないというのは不便なものだな。



 現在発動している変化の魔法陣は、恐ろしい代物だ。

 陣の発動に大量の魔力を必要とするが、媒介さえあれば完璧に対象者に変化することができる。


 普段、身体を流れているローワンのあたたかい魔力とは異なるものを感じるので、おそらく今は給仕係の髪に残った魔力を纏(まと)っているのだろう。


 変化した相手の魔力を纏うことが可能なのであれば、対象を限定して発動する道具や魔法陣にも対処できてしまうということだ。

 登録した魔力以外の者の侵入を禁止する陣や、対象者以外には見えないように何かを隠す陣など、魔力を”鍵”代わりに使う陣も、全てすり抜けることができる。


 ローワン、お前の母親はとんでもない魔術師だったようだな。

 そして、おそらくこの魔法陣の危険性も理解していたに違いない。

 これについて示された本は、”厳重保管”,”非公開”などの文字が記され、研究室の壁の中に厳重な封印の式と共に隠されていた。



 研究室がある位置の壁の前に立ち、いつも通りに魔力で形を作る。

 使える魔法の型は生来1つと決まっているものだが、運の良いことに給仕係も風の魔法型のようだ。


 壁に描かれた、小さな実が多数実った樹らしきものと同じ形を風で作りだす。

 なかなか複雑な形だ。この形を作るだけでも繊細な魔力コントロールを必要とする。ローワンの母は魔法の腕も優れていたのだろう。


 「む、開かないな」


 給仕係の魔力が少ないからだろうか。

 もう一度集中して形を作る。ローワンほどではないが、この男も平民にしては魔力が多いようだ。


 「無理か」


 つい数時間前までは問題なく開けられていたのだ。

 先ほどと変わったこととすれば、

 

 なるほど。

 このような宝の山が詰まった研究室が、何故この10年誰の手にも触れられていなかったかが理解できた。そして私がこの本が隠されていた場所の封印を、簡単に解けた理由についても。


 おそらくこの部屋の入口にも魔力に反応する魔法陣が仕込まれていて、きっとローワンの魔力に反応するのだ。

 普段、私の身体には指輪を通じてローワンの魔力が流れているから、それでこの部屋を開けることができたのだな。


 研究室に入れないのであれば仕方ない。

 重要な本をその辺りに置いておくわけにもいかないし、ランプの部屋にでも行ってみるか。変化のままであの部屋に入れるのかどうかも怪しいが、とりあえず行ってみるしかない。



 ランプを片手に、地下室の道を進む。

 この1週間、様々な部屋の探索を試みたが、開けられない部屋の方が多かった。


 一度、地下室の全容をつかむため、ありったけの風をこの地下空間に広げてみたが、全体に風が生き渡る前に、魔力の限界が来てしまった。

 ローワンはこの地下室の広さを邸宅の2倍だと言っていたが、確実にそれどころではないはずだ。


 この世界に今どれほどの数の人間がいるのかはわからないが、

 数千人、いや下手すると数万人の人が生活できるほどの規模なのではないだろうか。


 一体何のためにこの場所は作られ、なぜ唯一の入口がバークレイ伯爵家にあるのだろうか。

 そしてバークレイ伯爵は、ローワンに様子を聞くだけで、なぜこの地下室を探索しないのだろう。


 私やローワンが見つけた部屋を見る限り、少なくとも10年以上は人の手が入った形跡はなかった。

 仮に私が伯爵であれば、何か地下室に関して知りたいことがある場合には、大規模な捜索隊を組織し、全ての部屋をしらみつぶしに探索をするだろう。

 そうでなくとも、不思議の多い地下室だ。歴史学者や魔術師が興味を持ち、この地下室に出入りしていてもいいはずだ。


 伯爵は既に、この地下室に何があるのかを知っているのか。

 もしくは、


 

 「そうだ。ランプの部屋に行くのであれば図書室に寄ってあの本を持っていかなければ」


 入口を通り過ぎ、ランプの部屋がある左側のエリアに入ったところで忘れていた事を思い出した。

 先ほどローワンから、図書室にあるアーサー王の冒険という本を読んでみてほしいと頼まれていたのだ。給仕係が気になることを言っていたから、アクルが読んで気になることがあれば教えてほしい。と


 人間の脚というのは不便なものだ。またあの距離を歩くことになるのか。


 やれやれという気持ちで、先ほどまで歩いていた方向と逆の方に向き直すと、



 「道が消えている」


 今しがた自分が歩いてきた道が、跡形もなく消えていた。

 地下室の入口から左右に大きく分かれていた道の一方が無くなり、今は自らがいる左側の道しかない。

 

 元々通路があった場所には、今はただの壁があるだけだ。


 天井や床など、あらゆるところを確認しつつ壁の方へ足を進める。

 手を伸ばしてみると、目の前にあるのは、確かに石の壁だった。触るとざらざらとしており、そして少しひんやりとしている。

 こぶしで叩いてみても、完全に周囲の壁と一体化しているようだ。


 通常の魔法であれば、どんなに優れた魔術師だとしても目くらましが限界で、触ると気づかれてしまう。先ほどアクルがホールの入口に掛けた魔法もそうだった。


 だがこれは、確実に壁だ。


 「なるほど、これも魔法陣か」


 陣がどこに描かれているのか見当たらないが、これもきっと魔力が鍵となる魔法陣の力なのだろう。あとで変化を解いたら魔法陣の式を解析してみよう。


 研究室がこの壁の向こうにあるということは、少なくともローワンの母親は頻繁にあちらに出入りしていたはずだ。鍵はローワンの魔力なのか、もしくはバークレイ伯爵家の血筋の魔力なのか。


 魔力の質や量は遺伝による影響が大きい。

 だから貴族には魔力の多いものが生まれやすく、同じ一族の者は、同じ種類の魔法型であることが多い。

 そして多くは髪色にそれが現れる。



 「なるほど。伯爵は”しない”のではなく、”できない”可能性が高いな」

 


 先ほど別れたローワンの髪と、伯爵の灰色の髪を思い出しながら、アクルは思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

指輪物語ー自宅の地下室で「精霊(のようなもの)」を拾いましたー MAQ @chimaru_Lv999

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ