Ep.7 現バークレイ伯爵 前編
「おい、目を覚ませ」
「んん、、」
誰かの声がする。
そして、ゆさゆさと、身体が揺さぶられているような気もする。
「ローワン。ローワン、起きろ」
誰かが、自分を呼んでいる。
この屋敷で、自分の名前を呼んでくれる人などいただろうか。
「だ、ぁれ、、」
未だ眠りから覚醒していないローワンは、うっすらと開けた目で、声が聞こえてくる方向を見た。
その瞬間、
「ひぇ!」
視界いっぱいに飛び込んできたのは、圧倒的”美”だった。
銀髪の長い髪、色素の薄いグレーの目、透き通るように白い肌。
この世の者とは思えないほどの美しい人が、ローワンの顔を覗き込んでいた。
あまりの迫力に驚いたローワンは、後ろに飛び上がった。
「いったぁ、、、」
ドスン、と大きな音がして、今度は視界いっぱいに床が見える。
落ちた瞬間に腰を打ったようだ。ズキズキと痛む腰をさすりながら、ローワンはあたりを見渡した。
どうやらここはランプの部屋で、ローワンはソファーから転がり落ちたらしい。
机の上には、昨夜ローワンが魔法の本を置いた時よりも、はるかに多くの本が机を埋め尽くすほどに積まれていた。
「馬鹿だな」
声のする方を見上げてみると、銀髪の美しい人がいた。
そうだ、人ではなくて”精霊のようなもの”だった。
「もー、見てたならアクルが魔法で助けてくれてもいいじゃん」
昨夜の記憶を、徐々に思い出してきた。
今日はローワンの16歳の誕生日で、開かずの箱から目の前の”精霊のようなもの”が出てきた。
そしてそのまま、何時間も二人で話をした。
バークレイ伯爵家のこと、両親のこと、今のローワンの仕事のこと、
この地下室のこと、指輪のこと。
そしてアクルのこと。
古代文字で書かれた本があると伝えると、アクルが読みたいと言ったので、この部屋の本棚と地下室にある図書室を紹介したのだ。
図書室の扉に書かれた暗号について、ローワンが得意げに解説しようとしたところ、アクルは一目見ただけですぐに解読してしまった。
目を見開いて驚くローワンに対し、こんなもの馬鹿以外には簡単だ。と、鼻を鳴らしてアクルは言い放った。
”精霊のようなもの”はなかなか良い性格をしているらしかった。
それから、確か本を読むアクルを待つのに疲れて、ソファーでうたたねをしてしまったのだ。
「上ですごい声で叫んでる人がいるようだが、あれはお前のことか?」
床に転がったローワンに、アクルが指で上を指しながら聞く。
「どれ。何も聞こえないけど、、」
地下室の壁は厚いのだ。
部屋の外の音はおろか、ましてや地上の声など聞こえたことはない。
「これだ」
アクルが、パチンと指を鳴らす。
昨日聞いたことだが、”精霊のようなもの”は指を鳴らせば魔法が使えるらしい。
すると、不思議なことに地下室の中に声が響いてきた。
『あの子、どこへ行ったの!!!今すぐ探してきなさい!!!!!』
聞きなじみのある声に、ローワンの顔が真っ青になる。
「待って、今何時!?」
「7時。」
アクルがちらりと、本棚の時計を見ながら答える。
「やばい。やばすぎる!!!!」
地上で叫んでいるのは、メイド長の声だった。
そしてあの怒り声、間違いなくローワンを呼んでいる。
ローワンは慌てて立ち上がり、急いで部屋の出口へと向かう。
寝ていたせいでしわくちゃになってしまったメイド服を、心ばかり下に引っ張りながら地上へと走る。
今日は朝食当番だったのだが、完全に寝坊してしまった。
10年のメイド生活だが、ローワンは今まで一度も寝坊したことがなかった。
きっと安心して眠れたことがないからだろうが、目覚ましをかけなくてもいつも時間より前に目が覚めていたのだ。
普通にしている時ですら、ローワンに怒鳴り当たり散らすメイド長なのだ。寝坊したと分かれば何をされるか分かったものではない。
2年の間で完全に覚えてしまった地下室の通路を、迷うことなく最速で走る。
頭の中で必死に言い訳を考えていたところ、ふと、自分の横に銀色のものが見えた。
「ちょっと、アクル!なんで着いてきてるの」
必死の形相で走るローワンの横に、涼しい顔で空を飛びながら着いてきているアクルがいる。
こっちはこんなに必死で走っているというのに、涼やかな顔が憎たらしい。
「何故って、もちろん情報収集だが。心配するな、私の姿は他の者には見えない」
”精霊のようなもの”はローワンにしか見えないらしい。
それでも、地上でずっとアクルがローワンの周りを飛び回っているのは、なんだか居心地が悪いような気がする。
「でも、、、」
「大丈夫だ。ローワンが一人の時にしか話しかけないから」
アクルの姿が見えないということは、アクルに話しかけたとしてもローワンが一人で話をしている人にしか見えないのだろうか。それはそれで問題があるような気もする。
まぁ、この屋敷でローワンが何をしたとしても気に留める人はいないのだ。
周りに気を付けさえすれば、おそらく大丈夫だろう。
走っているせいで正常な判断力が失われているような気がしたが、ローワンは深く考えないことにした。
まずは、今日をどう乗り切るかを考えなければ。
「あ、アクル。この指輪、見えないようにとかできない?」
ローワンは足を止めないまま、ランプを握っている右手をアクルに見せた。
昨晩聞いたアクルの話によると、原動力となるための魔力がこの指輪を通じて供給されるため、外れないようになっているとのことだった。
シルバーの指輪は目立つ。
メイド長やほかの使用人に見つかれば、ローワンが泥棒扱いされるだけだろう。
できれば余計な災難は避けておきたい。
「あぁ、できる。」
そしてアクルがパチンと指を鳴らすと、指輪の周りにふわりと風が吹いた。
見た目には変化がないが、なんだか指の辺りがじんわりと温かいような気がする。まるで指輪を覆うようにゆるりとした膜が張っているようだ。
「目くらましだ。これでほかの者には見えないが、触ればわかるから注意しろ」
「ありがとう」
ローワンは右手の親指で、人差し指についた指輪の感触を確かめた。
アクルは息を吐くように魔法を使う。
仕組みはよくわからないが、魔法はとても便利だ。
「ちなみにメイド長が私の寝坊を忘れてくれる魔法とかない?」
「ない」
ローワンがこう言ってくるということを、まるで最初からわかっていたかのような速度でアクルは答えた。
「そんなぁ」
「魔法も万能じゃない。他人の精神や記憶に干渉できる魔法などこの世には存在しないのだ。」
「じゃあ、」
「ちなみに時間を巻き戻す魔法もない」
「うぅ、、」
アクルにはローワンの心が読めるのだろうか。
そうこうしているうちに、地上が近づいてきてしまった。
便利な魔法もないことが分かった以上、メイド長との対面は避けられない。
早起きして、地下室の掃除をしていました。
時計がなくて気づかなくてごめんなさい。だ。
先手必勝でとりあえず謝ろう。
そう心に決めたローワンは、戦場に向かう戦士のような気持ちで地上への扉を開けた。
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