Ep.7 現バークレイ伯爵 中編

 

 地下室から出たローワンは、扉を出てすぐのところで同僚のメイド達に出くわした。


 探したんだからね、と心配ではなく怒りの表情でそう言ったメイド2人に両脇をがしりと掴まれ、偽装工作をする間もなく、メイド長の面前に引き釣り出されてしまったのだ。



 一体何が起きているのだろうか。

 確かに時間通りに仕事を開始していないというのは初めてのことだが、ほかのメイド達を使ってまで探さなければならないようなことなのだろうか。


 仁王立ちしたメイド長の足元に、ドサっとまるで罪人のように下ろされ、膝をついた。

 状況はわからないが、シミュレーション通り、ここは先手必勝で謝るしかない。


 「も、申し訳ありませんでした。一晩中地下室の掃除をしていて、、、朝になったことに気づきませんでした。」


 ローワンは四つん這いで床に這いつくばったまま、顔を上げずに答える。

 メイド長がどのような表情をしているのか、俯いたローワンにはわからなかったが、きっと悪魔のような形相をしているに違いない。



 「・・・屋敷の中にいたのであれば構いません。さっさと身支度をしてきなさい」


 「えっ」



 怒鳴られるかと思っていた想像とは異なり、聞こえてきたメイド長の声は落ち着いていた。

 聞こえてきた予想外の言葉に、ローワンは少しだけ顔を上げ、眼を合わせないようにメイド長の姿をちらりと見る。


 いつもぴっちりとした髪型をしているメイド長の髪は少し乱れ、ほんのりと汗をかいているようだった。


 まるで、必死にローワンを探していたかのようだ。



 「いいから早く行きなさい。そんな汚い恰好で伯爵様の前に出すわけにはいきません」


 「伯爵、さまですか」


 聞きなれない言葉が聞こえてくる。

 ローワンの担当は客室の掃除だ。実際には客室以外のいたるところの掃除をさせられていたのだが、少なくとも現バークレイ伯爵が立ち寄りそうな執務室や書斎、食堂、主寝室などの掃除を任されたことはない。


 メイドとして働くことになって10年、ローワンが現バークレイ伯爵の姿を見たのは数えるほどだ、

 それも、外門から馬車に乗り込む後ろ姿だとか、庭掃除中に執務室の部屋の窓際からちらりと姿を見かけたくらいだ。



 「ええ、伯爵様があなたをお呼びです。素早く湯あみをして執務室に向かいなさい」


 「それは、」


 「これ以上の質問は許しません。」


 ローワンが紡ごうとした言葉を、いつものように鋭い眼光で制したメイド長は、ローワンに小さな小瓶を渡した。


 「今日は時間がありませんから、魔砂(ましゃ)を使って構いません。シャワー室に向かいなさい」


 「、、はい」


 

 


 メイド長から魔砂の入った小瓶を受け取ったローワンは、自らの部屋に立ち寄り、比較的綺麗なメイド服を選んでシャワー室へ来ていた。


 シャワー室は、一つの大きな部屋に仕切りで小さな部屋のようなものが作られ、それぞれの壁にシャワーが設置されている。

 小部屋の入口には扉代わりに水をはじくカーテンが吊るされ、天井も空いているため、小部屋にいても部屋全体の声は聞こえるようになっている。

 

 一つの小部屋に入ったローワンは、タオルと着替えを仕切り壁の上に掛け、カーテンを閉める前にもう一度あたりを見渡した。

 夜には使用人でいっぱいになるシャワー室だが、皆もう仕事を開始している時間のため、周りには誰もいない。


 アクルは気を使ってくれているのか、ローワンが入った小部屋から少し離れたところで、シャワーのついた壁のくぼみを興味深そうに観察していた。


 

 カーテンを閉め、地下室で汚れてしまったメイド服を脱ぐ。

 ここは女性用のシャワー室だが、そういえばアクルは男性と女性どちらなのだろうか。

 精霊のようなものに性別が存在するのかはわからないが、後で聞いてみよう。



 シャワーが設置されている壁のくぼみに、先ほどメイド長から受け取った小瓶の中身を入れる。

 さらさらとした赤い砂の粒子が、くぼみの中に落ちていく。


 魔砂(ましゃ)は、魔石になる前の小さな砂のようなものだ。

 魔石よりも魔力の量が少ないため、地下室のランプや時計のように半永久的に使い続けるということはできないが、手に入りやすく比較的安価なため、貴族でなくても利用することができる。


 魔砂が落ちたくぼみが光りだしたのを確認したローワンは、そのくぼみの隣のボタンを押す。

 すると、ちょうどいい温度の暖かいお湯が壁に取り付けられたシャワーから落ちてきた。



 やっぱり、なんて快適なの。ローワンは魔砂のシャワーに感動していた。 

 魔砂は手に入りやすいとはいえ、使用人が毎日の入浴で気軽に使えるほどではない。

 バークレイ伯爵家では、使用人一人につき週に2回まで魔砂のシャワーの利用が許されている。その他の日は厨房でお湯を沸かして体を拭くか、薪で沸かすタイプの別の浴室を使うようになっていた。


 週の初めに支給される2つの魔砂の小瓶をいかに守りぬくか、というのはローワンの日々の課題だった。

 部屋に隠しても、肌身離さず持ち歩いても、必ず他の使用人に盗まれてしまう。治安の悪いことに、きっと誰かがスリのような行為をしているのだ。

 そして時折支給すらされないこともあったので、魔砂のシャワーを浴びられるということはローワンにとって貴重で、とても幸せなことだった。



 「ローワン。伯爵とは」


 「アクル、なにー。シャワーの音で聞こえない」


 魔砂のシャワーの唯一の欠点と言えば、一度魔砂を入れてしまうと使い切るまで止めることができないことだ。

 小部屋の外にいるアクルの声が、シャワーの音にかき消されてよく聞こえない。



 「バークレイ伯爵とはどんな人物だ」


 またアクルが魔法を使ったのだろうか。

 まるで隣で話をしているかのように、アクルの声がよく聞こえるようになった。

 自分の姿を見られていないのはわかるが、なんだか少し気恥ずかしい。

 

 「伯爵様のこと?」


 「そうだ。お前の両親ではなく、現バークレイ伯爵だ」


 アクルから尋ねられたローワンは、現バークレイ伯爵について知っていることを思い出してみる。

 バークレイ伯爵と会話を交わしたのは、両親が亡くなり、彼がこの屋敷にやってきたその日だけだ。


 どこからともなく現れて、風のように屋敷中の調度品や使用人を入れ替えた。

 そして自分の部屋でふさぎ込んでいたローワンに向かって、食べ物にありつきたければ働け。と、冷たい声で言い放ったのだ。


 それから10年。メイドの仕事をしてきたローワンは、バークレイ伯爵の姿をまともに見ることも、話をする機会もなかった。


 「全然知らない。屋敷にも月に数回ほどしか返ってこないし、使用人たちの間で噂になることもほとんどないもの」


 ローワンは顔についた泡を、暖かいお湯で流しながら、答える。


 「両親が亡くなる前はどうなのだ。親類なのだろう」


 「お父様とお母さまが亡くなる前には会ったことはない、と思う。二人から伯爵様の話を聞いたこともないし」


 「なるほどな。」


 カーテンの向こうにいるアクルの姿は見えないが、おそらく昨日のように顔に手を当てて何かを考えているのだろう。

 魔砂が切れる前にシャワーを浴び終えることができたローワンは、壁に掛けられたタオルで全身を拭き、濡れた床や髪に当たらないように気を付けながら新しいメイド服に着替えた。


 

 濡れた髪を拭きながらカーテンを開けると、いつものようにふわふわとシャワー室の天井付近を飛んでいるアクルがいた。

 先ほど想像した通り、眉間に皺を寄せ、顔に手を当てながら何かを考えているようだ。


 「何か思い出したことでもあるの?」


 肩まである灰色の傷んだ髪を、タオルで抑えながらローワンが聞く。


 「いや、何も。」


 ふわふわと飛んでいたアクルは、ちらりとローワンの位置を確認すると地上に降りて近づいてきた。


 「急ぐのだろう。乾かしてやろう」


 そして、いつものようにパチンと指を鳴らすと、ローワンの髪を優しい暖かい風が覆った。

 かつて父が風の魔法でしてくれていたように、包み込むようなやさしい風がローワンの髪をふわふわと揺らしている。


 「わー、ありがとう。髪が多いからか、いつも乾かすの大変だったんだ。」


 ローワンの肩まである灰色の髪は、傷んでいるからなのかわからないが何故かとても乾かすのが大変だった。

 髪が長いわけでもなく、見た目にはそこまで量が多いようにも見えないのに。不思議なことに同じくらいの長さの他の使用人よりも、かなり多くの時間がかかったのだ。


 「珍しい髪色だな」


 風に揺れるローワンの髪を見たアクルが、腕組みをしながら言う。

 腕組みや眉間の皺は癖なのだろうか。


 「そうかな。よくある髪色だよ」


 ローワンは、風に揺れているほとんど乾いた自身の灰色の髪を触りながら答える。

 使用人の中にも似たような髪色の者は何人かいるし、伯爵様も灰色だ。



 それから少しして髪が完全に乾くと、自然と風は収まった。



 「ありがとう!アクルのおかげでかなり時間短縮できたみたい」


 「あぁ」


 

 にこりと笑ってアクルの方を向くと、すでに地上にはおらず、最初と同じようにふわふわとシャワー室の中を飛び回っていた。

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