Ep.7 現バークレイ伯爵 後編


 シャワー室を出て古いメイド服と濡れたタオルを洗濯室に置いてきたローワンは、執務室の前に立っていた。


 昔はここを開ければ伯爵だった父が笑って出迎えてくれていたが、今この部屋にいるのは”伯爵様”だけだ。


 10年ぶりに会う伯爵が、ローワンに何の用だろうか。

 ふぅ、と大きく深呼吸をして、荘厳で大きな執務室の扉をコンコンとノックする。


 「ローワンです。」


 しばらくすると、扉の向こうから入りなさい。と男性の声が聞こえてくる。

 声の主に覚えはないが、執事長の声ではないのでおそらく伯爵なのだろう。

 

 ローワンは意を決して重い扉を開けた。


 「失礼します」


 執務室に入ると、そこにはローワンの記憶の中の部屋とはかなり様子が変わっていた。


 昔は、歴史学者だった父が集めていた本や小物、父のメモ書きの紙であふれていたが、今ではそれらがすべてきれいに整理され、両端に所狭しと並べられた本棚に整然と収納されている。

 実用性を重視していた父が、立ち上がりやすくて良いのだ。と気に入っていた脚の高い執務机も無くなり、代わりに脚の短い高級で重そうな机が部屋の真ん中に置かれていた。


 そしてその執務机の真ん中では、気難しそうな顔をした中年の男性が書類に目を通している。


 自分で部屋に招き入れたというのに、伯爵らしき男性はローワンが執務机の方向に歩みを進めても全く書類から目を離さない。


 柔らかな高級そうなカーペットのせいか、緊張のせいか、いつもの数倍足取りが重い。ローワンは静かなその部屋に、自分の生唾をのむ音が響く気がした。



 執務机の近くで立ち止まると、部屋の大きな窓から入る日に照らされた伯爵が、ゆっくりと顔を上げる。


 目の前の人や、部屋の雰囲気は全く違うのに、日当たりの良いこの大きな窓から差し込む光だけは一緒だ。とローワンは思った。



 「久しぶりだな」


 灰色の髪をした男性がローワンに向けてゆっくりと言った。

 低く、感情の感じられない声だ。


 「あ、はい、、、」


 10年ぶりに会うこの人と、いったいどのような顔で話せばよいのだろうか。

 あのメイド長の雇い主なのだ。何を考えているかはわからないが、怒らせない方が良いのは間違いない。

 伯爵とできるだけ目を合わせないように、ローワンは俯きがちに答えた。


 「過去に見た時よりかなり大きくなったな。今、歳はいくつだ」


 伯爵から聞こえてきた意外な言葉に、ローワンはわずかに目線を上げた。

 最後に会ったのは6歳の時なのだ。大きくなるのは当たり前だ。この人は、今からローワンと世間話でもするつもりなのだろうか。


 目線を上げた際に、伯爵とその背後の窓の間に銀色と白のシルエットが見えたような気がして、再びローワンはうつむいた。

 そういえば執務室の扉を閉める直前、アクルが隙間から入りこんできていたのだ。


 「じゅう、ろくです。今日で16歳になりました。」


 「そうか」


 俯いたローワンは、自身のメイド服の裾をぎゅっと握りしめた。


 「昨晩は地下室にいたそうだな。」


 再び手元の書類に目線を落とした伯爵が言う。

 今朝のことをメイド長が報告したのだろうか。


 「は、い。メイド長に掃除をするようにと指示をいただいたので、、。時間を忘れていて、、気づいたら朝になっていました。遅くなってしまい申し訳ありません。。」



 「地下室で何か変わったことはなかったか」


 執務室に来るのが遅れたことを咎められると予想していたローワンは、伯爵から聞かれた意外な質問に驚き、思わず伯爵の方を向いてしまった。

 先ほどまで書類を見ていたはずの伯爵は、ローワンの方をまっすぐに見ている。


 初めてランプの部屋を見つけた14歳の誕生日以降、この2年間何度も地下室で時間を過ごしてきたが、このような質問を誰かにされるのは初めてだった。


 「え、あの、、」


 正直に話をするべきか、でもアクルのことを話しても、きっとローワンの頭がおかしくなったと思われるだけだ。

 なんと説明すれば良いのかと、必死に頭を働かせているローワンの視界に、伯爵の肩の上あたりにふわふわと浮かんでいるアクルの姿が入ってきた。

 

 アクルは今までにない真剣な目をして、ローワンの方を見ている。

 そして、わずかに首を横に振っているようだ。


 これはきっと、伯爵にアクルのことを言うな。という意味だろう。


 「いいえ、、。食糧庫の掃除をしていただけなので。とくに、なにも」


 無難な答えを口に出した後、横目でアクルを見たところ、小さく頷いていた。

 どうやらローワンの理解は間違っていなかったらしい。


 「・・どこを見ている。」


 アクルの姿を見て、小さく息を吐いたローワンは、伯爵から聞こえてきた言葉に再び体中に緊張が走るのが分かった。

 伯爵が何かを探るように、ローワンが見ていた方に視線を動かす。

 そこには、アクルがふわふわと浮かんでいるのだ。


 適合者以外には見えないとアクルは言っていたが、本当に大丈夫なのだろうか。

 ローワンは身体から出た変な汗が、背中を流れ落ちるのを感じた。


 眉間に皺を寄せ、自身の斜め後ろを確認した伯爵は、どうやら何も確認できなかったらしい。

 彼の視線は、アクルが本来いる場所よりもかなり高いところを見ているようだ。


 「あ、あの。外に珍しい鳥が飛んでいて、、、、思わず見てしまいました。お話し中に申し訳ございませんでした。」

 

 幸運なことに、アクルがいるのは窓の目の前だ。

 

 「まぁいい。」


 大きく鼻から息を吐いた伯爵は、アクルの方に向いていた首を再び正面に戻し、手元の書類に視線を落とした。


 「今日からお前は地下室の掃除をメインに担当するんだ。メイド長にもそう伝えてある」


 「あ、はい、、」


 息を止めて伯爵の動きを観察していたローワンは、反射的にそう応える。

 どうやら逃げ切れたようだ。



 「それから、16歳の祝いにささやかだが食事を用意した。今すぐ食堂に向かいなさい」

 

 「え、」


 「話は以上だ。下がりなさい」


 この屋敷では、皆ローワンの疑問には答えてくれない。

 伯爵から聞こえてきた耳を疑うような言葉に、疑問を呈する暇もなく、ローワンは退出を命じられた。


 疑問はたくさんあるが、これ以上この場所にいては何かやらかしてしまいそうだ。

 そう考えたローワンは素早く礼をして、入ってきた時とは比べ物にならないスピードで執務室の外に出た。




 「失礼しました。」


 パタン、と深くお辞儀をしながら扉を閉め、深く息を吐く。

 ドクドクと、心臓がものすごい音を立てている。なんとか、乗り切った。


 「ローワン」


 ふーっと、大きく息を吐いたローワンの耳元で、アクルの声がする。

 いつになく、真剣な低い声だ。


 「私の方を見るな。左の奥の通路に執事がいる」


 アクルの方を見ないようにしながら、ちらりと左側の通路に視線を移すと少し遠くに執事長の姿が見えた。

 ローワンは遠くの執事長に向けペコリ、とお辞儀をする。



 くるりと振り返ったローワンは、できる限り不自然にならないように気を配りながら、反対側の食堂の方向へと歩みを進めた。

 伯爵の執務室から、使用人用の食堂までは距離がある。


 

 いくつかの長い廊下を通り抜ける間、数人の使用人とすれ違った。

 いつもは掃除当番をサボっている同僚も、今日は伯爵がいるからか、きちんと持ち場についているようだ。


 

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