第6話 注がれる目

――十日後に生まれるのは男児。

 

 方士の予言を聞いた父・信永のぶながは、しんにこう告げた。

『それが誤りだった場合は――お前の刀で、あの小娘を殺せ、信』

 信は目を見開いて父の命令を聞いた。よもやそんな話に発展するとは思わなかったからである。

『父上。父上のお考えを私は知りとうございます。あのお方が、父上に何の害を為しましたか』

たばかろうとする者の気配もわからぬか』

『……』

 父は強い酒を舐めながら、信の目を見据えた。「尾裂のうつけ」と呼ばれることもある信永であるが、その眼光は鋭く冷たい。

『それが分からぬほど余は耄碌もうろくしておらぬぞ、信。……お前が生まれたときもそうであった。……通りすがりの、そう、あの小娘と同じだ。占い師とかいう婆が来てな……』

『通りすがりの占い師?』

『まあ、がな』

 は、と信永は笑った。『織田。この太平の世を統べる血だ。鼠も虫も湧こう。しかし信よ。それを払うのも、家長の勤めぞ』


 昨晩、そんな話をした後だったから、信の一挙手一投足はすべて重たい。

「方士殿のお加減はいかがか……」

 方士とその連れ……刹那に貸した貴賓室の前で声をかけると、がらりと戸が開いた。寝乱れた浴衣のままの刹那が、またぐらを掻きながら立っている。

「んあ」

「んなぁーっ!!」

 信は絶叫した。そしてひっくり返って尻もちをついた。

「なんだ、なんだその有様は!」

「あ? んだぁ、わかかぁ」

「なんだじゃないっ!貴様っ!もう少し恥を知れ!」

 寝ぼけ眼の刹那は「その手」でごしごしと顔を擦って、ああ、と合点したように浴衣を整えた。

「そういや、そうだったなぁ」

「何が!」

「見えないけど、お姫さんだったなぁって」

 信は顔という顔に血を集めて吠えた。「悪かったな!見えなくて!」


「悪い悪い」

 悪いと思っていなさそうな刹那の笑みを見て、信はため息をつく。部屋から出てきた刹那は、藍染あいぞめの着流しで、いかにも牢人ろうにん崩れの格好をしていた。

「さてはお前、人に仕えたことがないな……」

「まあ、ある意味正解だぁな。俺は先生のためだけに生きてきたし。しきたりとか、礼儀とか、いろんなもんが欠けてる」

「その、方士殿の具合はいかがか」ようやく本題に戻ってくることができた。「朝餉あさげを用意してある。貴様……失敬、あなたの分も」

「先生はめったにものを食わねえよ」

「え?」

「そのまんまの意味だ」刹那はけろりと言った。「だから、俺だけ頂こう。先生のぶんまでな」

「い、医食同源いしょくどうげんというではないか」

 信は、先へ行こうとする刹那と、部屋に残ったままの方士の間で立ち止まった。

「昨日無茶をした分、食べなければならないだろう?」

「おうよ。医食同源。俺は食べる」

「……はあ」

 信には意味が分からなかった。

「おうい。どこに朝餉が?」

「待て、今行く」

 後ろ髪を引かれる思いだったが仕方がない。信は刹那を案内するために足を速めた。


「ところで」

 言葉通り二人分の朝餉をぺろりと平らげてしまった大男を前に、信は顔を上げた。

「どうされた、刹那殿」

「先生に、適当いいかんじに探っておけって言われてるんだよなぁ」

(……適当に、とは)

「ただ、俺に探り事は向いてねえ。だから、俺なりに探りを入れることにしよう」

 刹那は胡坐をかき、両腿に手をついて、ニッと笑った。その袖口から、包帯のようなものがちらりと見えた。

(……あれ?)

「怪我でもされたか?……その、手首」

「ああ、まあ、そうだな。いつものことよ、気になさんな、若」

 いつものこと。あの刀さばきを見たあとで、刹那が荒事で傷を負うような印象を抱く方が稀であろう。信は「気にするな」という言葉の通り、気にしないことにしたが、何かもやもやとした引っ掛かりが残るのだった。

(方士殿といい、刹那殿といい……何かある気がする……)

「俺は探り事をしなきゃならねえ……そこでだ、若」

「ひぇっ」

 刹那がニマニマとこちらを――正しくは、腰に佩いた刀を見ている。

「あんたの、腕っぷしを試したいんだが、よろしいか?」

(よろしいか? じゃないー!!!)

 飛来した蝙蝠を、する寸前に一刀両断――あの技が頭の中に焼き付いて離れない。このひとは相当の手練れである。信はそれを理解している。

「あの神業を成し遂げるあなたであれば……私などひとひねりでは?」

「手加減は心得ているつもりだが」

 信は、刹那にはかなわないと分かっていながらも――むっとした。

 何を隠そう、負けず嫌いなのだ。

「ならば。手加減させぬよう、つとめましょう」

「その意気だぜ、若。……くく」

「何がおかしいんです」

 刹那はこめかみに手を当てて、笑いをこらえている。信はさらにむっとするが――それがなおのこと刹那の笑いを誘っているとは気づかないのだった。



(先生の言った通り。全部ぜぇんぶ顔に出てやんの)

 刹那は城の庭を借り、木刀を持って信と対峙する。見物人は十人余り。皆が信の臣下であるから、むろん自分の主君を応援する。

「信さま!信さま!」

「若様ー!」

(さて、と……)

 刹那はあたりを見回す。見物人のほかにも視線がひとつふたつ、三つ。高楼の上から二つ、物陰から一つ……。この表には出てこないけれども、この勝負を見たいものが少なくとも三人いる。一人は信永であろう。だが、ほかは……。

(俺にわかるのはこれだけか、やっぱり先生はすげえな)

 そして刹那は木刀を下ろし、身体全体から力を抜き去った。閉じた瞼の外から、信の乱れた息遣いが聞こえる。すでに、乱れている。力が入りすぎだ。

(若いねえ、だからおもしれえんだけどよ)

「かかってきな、若」

 瞼を下ろしたまま、刹那は言い放った。

「どこからでも、来い!」

「……っ!舐めるなっ!」


――真正面!


 刹那は振り下ろされる剣先を片足で避ける。重心をわずかずらして、振り下ろされた剣先を見る。渾身の一撃は次につながるまでが長い。

「甘いな、若」

 呟いて、その振り切った木刀を自分の木刀で跳ね上げる。てこのようにして信の手元を離れた木刀は、はるか後方まで飛び、地面に落ちた。

「あっ」

「……型どおりの真剣勝負もいいけどよ。俺は実戦しかやったことがない。だから行儀が悪い。こんな手も平気で使うわけだ」

「……っ」

 信は空っぽになった手を見つめた。その首筋に、ひたりと木刀を当てる。

「全部が型どおりに進むわけじゃねえ、覚えておきな」

「っ!」

 信ががくんと膝をついた。見物人から文句が上がる中、刹那は太陽をあおぐ。

「あっちい」

 刹那が片方の袖を抜くと、背中から腕にかけてを染め上げる赤い桜があらわになる。見物人たちは途端に声を潜めた。どこからともなく注がれていた視線は一つ減り、ぶるぶると震えている信だけが、がっと顔を上げて叫んだ。

「刹那殿ッ!私をあなたの弟子にしろッ!」

「えっ」

「弟子にしてくださるまでここを動かん!」

「ええっ……?」

「まずはその刺青から真似させてもらうっ!」

「おいおいおいおいおい!」

 今すぐ刺青師を呼べと言わんばかりの信に、刹那は両手を広げてその肩を掴んだ。

「刺青は関係ない、落ち着け」

「関係あるかもしれないだろう!」

「落ちつけって!」

 刹那は信の顔を覗き込んだ。「焦る気持ちもわかるがな、俺はお前の二倍は生きてんだぜ?そら当り前よ。お前はまだ若いんだから、これから何とでもなる!」

「え?」

 信は刹那をまじまじと見つめた。

「……その、あの。あなたは、いったい幾つなんだ?」

「年かい。三十……三かね。たしか三だ、うん、間違ってなければな」

「じゃあ、方士殿は?」

(ああ、やっちまったかな)

 刹那は唇の端を舐めた。

「女性の年を聞くなんて野暮だな、って言われるぜ。俺も知らん。聞くと怒られるんだ」

 信は口をつぐんで、ばっと刹那の手を振り払った。

(……おっと。これは参ったね。先生の秘密がばれちまいそうだ)


 ごしごし顔を擦ってから、信は振り向いた。目が赤い。涙をこらえたあとなのだろう。刹那は遠い昔を思い出して目を細めた。昔の自分が、目の前に現れたかのようで。

(若いな)


「私は強くなりたい。そのためには何も惜しまない。惜しみたくないのだ」

 信は両拳を握りしめ、瞳に意思を漲らせて刹那を見上げた。大男は悠々と、飄々と立っていた。

(くそう、くそっ、私は尾裂の嫡男、信……!)

「私とて一介の。刀も満足に振るえぬとなれば織田の名が廃る!」

「ああ、立派なセリフだ」

「揶揄うな!」

 顔を真っ赤にして信は両足を踏ん張った。そのふざけた口を縫い付けてやりたかった。

「あなたの技、全て盗んでやる。あとで後悔するなよ」

「ふふ。いいねえ」

 たくましい上裸に刺青。刹那はゆっくりと竹刀を構える。

「来い!」

「参る!」

 信はめまいのような感覚の中で、その感覚の正体が何かもわからないまま、刹那の懐に飛び込んでいった。




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