第5話 エリクシア

徐福じょふくの娘? あり得ぬ」

 信永はエリーの言葉を一蹴した。

「徐福は伝説上の人間と聞く。実在するなど聞いたことがない。まして、奴はだ。しかも……」

「徐福の活躍したとされる時代はおよそ2000年の昔。……そう仰りたいのでしょう」

 徐福エリーの父は、始皇帝の命令を受けて伝説の山を探し、秦国を発ったと聞く。船には三千人の若い男女を、そして五穀の種を、さらに腕利きの技術者たちを数十人。しかしその航海は生半可なものではなかった。船は渡海中に嵐に呑まれ、父は船や積み荷もろとも沈み……そしてこの世界に船ごとやってきた。

 ひとつとなり――何もかもが同じで、何もかもが違う、元の世界とよく似た異世界に。

つまるところ――集団異世界転移かみかくし


の世界すら、誰も解明できぬのに、よくもまあ」

「おっしゃる通り、わたし共もに帰る方法を知りませぬ」

信永は胡坐をかいた膝の上に肘をついた。エリーの言葉を疑っているのは明白である。

(でも、信じてもらおうとは思っていない!)

 問題は、ここからだ。

「……我が一族は、不老不死の仙薬をのです。その名も」

 信がごくりと唾をのんだのが分かった。

エリクシア賢者の水

「ほう?」

(よし、乗った!)

 信永は新しいもの、珍しいものが好きだという噂は本当だったのだ。エリーはゆっくりと身を乗り出すようにして、畳にこぶしを突いた。

「我が父はその賢者の水を作り上げたのち、三百年は生きたとされております。そして私も、その父の子として、長き時を生きてまいりました」

「……して、エリクシアなる水は、どこに」

 信永の興味は、「徐福の娘」たるエリーよりも「エリクシア」に向いている。この話題を切り出したのは正解だった。下手にたばかるよりも斬った腹の中身を見せる方がよいこともあるのだ。

(まあ、すべてが真実ではないのだけれど)

 信永の視線を受け、エリーはしばらく黙りこんだ。言いにくいことを言おうとする雰囲気を醸し出す。

「それが」

 エリーは座りなおして、両掌を広げて見せた。

「父が死んで、その方法は散逸さんいついたしました」

「……」

「わたしは、その方法を復活させるべく、この日ノひのもとの津々浦々を歩き回っておりまして。この度は安槌の織田様にお目にかかったわけです」

「……なるほど」

「その途中でたまたま信さまにお会いしました。信さまは大変良くしてくださいましたので……」

エリーはいちど言葉を切り、信を見た。信もこちらを見ていた。危なっかしい幼子を見るようなまなざしで。

 信永に向き直る。エリーは畳に両手をついて、軽く頭を下げた。

「ここからが、お願いの内容になります。信永さま。わたしと用心棒を、このひと月、この城においてはくださいませんか」

「何ゆえだ」

金子きんすの問題にございます」エリーは正直に告げた。

「エリクシアの材料となるといわれる貴金属、薬草、およびキノコは非常に希少価値が高く高価なものでございます。すると、宿をとる金子がないのです」

 エリーは城に滞在する理由が欲しいだけだが――実際、エリクシアを生成しようと思ったら、先日の賭場で荒稼ぎした分など一瞬で吹っ飛んでしまうのだ。研究には金がかかる。

「用心棒を雇う余裕はあるのにか」

「あれは、拾ったものでして。買ったものでも雇ったものでもございません」

「なるほど」

 信永は考え込んでいる。エリーの言葉を咀嚼し、自称異邦人の言葉を信じるかどうかを決めかねているのだろう。出来ることはやった。もはや、審判を待つのみだ。

 信永は考えに考えた末、エリーをまっすぐ見下ろした。

「よし、わかった。滞在を許す」

「ありがとうございます」

「ただし、そちが方士であると、ここで証明して見せよ。証明できなければ、この話は無しだ」

 信が何か言いたげに一歩踏み出した。しかしエリーは彼女を押しとどめ、にっこりと笑った。

「なんなりとお申し付けください」



 請われて占いをするのも久しぶりのことである。天体図を広げて暦を合わせ、太陽の向きを確かめる。もちろん、笠はかぶっている。信永は庭で占いを展開するエリーを、はるか上から眺め下ろしていた。

「先生」

 刹那が駆け寄ってきて、傘をさす。いくらか日差しが和らぐ。

「ありがとう、刹那」

「こんな日の下に出てきて、大丈夫なんですか」

「大丈夫じゃないけど、お殿様がご所望とあらば、ね」

 だらだらと流れてくる冷や汗を拭い、天体図の中に見えるしるしを読み取る。

「……信永さまは、火と寺院に注意すべし。死が待つ……明日は雨、長く続くでしょう……あと、十日後に産まれる子は男児。

 傍らで聞いていた信がはっとして、エリーの顔を覗き見た。

「それはまことか?まことにそうなのか!?」

「わからない」

 青い顔をしたエリーが、ふらふらと信に寄りかかる。自覚があった。

 もう、身体が限界だ。

「占いは絶対じゃないのです。指針でしかありません……でも、そう読めます」

「方士殿、方士殿!」

「先生!ったく、無理するからこうなるんだよ!」

 遠く聞こえる二人の声がエリーの意識を何とかつなぎとめていたが、やがてそれは大きな疲労感の中に飲み込まれていった。気を張りすぎたのもあったし、日光にあてられたのもある。


 疲労の見せた夢の中で、父がエリーを呼ぶ声が聞こえた、気がした。

――エリクシア。なあ、私の

 声なんかとうの昔に忘れたのに。それは確かに父、徐福の声。

――エリクシア。お前は、私よりも長く生きるだろうね、お母様に似て……。


(ええ、父さん。あなたの顔も忘れたわ)



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る