第4話 信永の嫡男

 明朝。

 ぐったりしているエリーをおぶった刹那は安槌あづち城に向かう。信は刹那の隣を歩きながら、ぴくりとも動けないエリーを見上げた。

「方士殿は朝に弱くていらっしゃるのか?」

「先生は夜の方が活発でね」

「なるほど……?」

「屋内に入ればまだまともだよ」

 刹那の広い背中に揺られながら、エリーは小さく呻く。朝日がまぶしい。笠をもう少し被りたいが……。小さな力で刹那の着物をぐいぐいと引っ張れば、刹那は了承したようにエリーの笠の角度を調整した。

(……ああ)

 ここまではエリーと刹那の付き合いの賜物だ。刹那は何と言わなくともエリーの言わんとすることを理解するようになったし、エリーもまたそんな刹那の気遣いに感謝している。

(これで、女好きと博打好きと酒好きが治ればなあ……)

 しかしそれだから刹那という男なのだ。エリーもそれは了承している。


 安槌あづちの城は街道の先にあった。ふるい都を模した碁盤の目のような路地が広がる城下をまっすぐに行くと、黒塗りの瓦、白い壁、そして城を何重にも囲む水路が見えてくる。外敵の侵入を想定した堅固な作りの外堀、そして跳ね橋。跳ね橋は降りたままだ。今この時ばかりは平和であるという証拠であろう。

「私は夜な夜な夜遊びをしていることになっているから」と信が言った。「そのていで話を通してくれると助かる」

「わかった」

(わかった……)

エリーは刹那の肩にしがみついた。明るいところは苦手だ。

(わかったから、はやく屋内に)

「こっちだ」

 信が行く先を、刹那とエリーが続く。城の中に入りがてら、手短に信が内情を説明してくれた。

 安槌には三人の姫がいて、それぞれにすでに嫁ぐ相手も決まっているという。は信のみ――。

慈董院ははうえは二人の子を産んだが、……もう子供は望めないといわれている」

「じゃあもうお二人の姫さんは?」

「側室の子だ。それぞれ母が違う」

(ああ、なるほど……)

「今、父の子を身ごもっているのが、私の乳母を務めたおとくなのだが、生まれてみないと性別はわからない」

 ぐったりしているエリーだけれども、頭の中はくるくると回っている。

(つまり、お徳さまの子が男児でなければ、信さまの立場はますます固まると。この状態で得をするとすれば間違いなく信さまのご母堂ぼどう……でも、会ってみないことには……)

 エリーは顔を上げた。整えるのすら難しかった銀髪が、口元に張り付いている。

「……事態は飲み込めました」

「方士殿、もう平気なのですか」

「平気かどうかはわかりませんけれど、」エリーはよろよろと立ち上がって、薬箱を背負いなおした。これ薬箱は商売道具だ。何があっても手放せない。

「とにかく、お殿さまの御前に立つのであれば、髪の毛くらいは整えておかなければ。……刹那」

「はいよ」

 エリーは城の隅に陣取ると、髪をひとまとめにして、笠の中にしまい込めるようにした。刹那が薬箱の定位置からかんざしを取り出し、エリーの手元に持っていく。エリーはそれを受け取って、丁寧に髪の毛をまとめた。

 この間、三秒ほどである。

「……聞くのも野暮だが、あなた方はいったいどういう関係で?」

「ただの飼い主と飼い犬さ」刹那が答えた。エリーは笠を被りなおした。白の髪も赤い瞳も見えなくなる。誰が見ても、小柄な旅人にしか見えない。

「さて、参りましょう」


 嫡男、信が帰ったという一言で城内は活気づく。「夜遊びはほどほどになさいませ」とちくちく怒っているのは、長い髪を結った信の世話係、芙蓉ふようである。エリーはふむと顎に手を当てる。

(……信さまが女子おなごだと知っているのは、そもそも誰と誰なんだ……?)

 男としてふるまう信の様子を見る。ふくらみのない身体や喉仏も相まって、美しい少年のように見える。しかし、その体は女性のものだ。なにより信も認めている。

(世話係や乳母が知らないなどということはないはず。そもそも信さまは「いつ」呪われたのだろう……)

 呪い――呪術の使い手に、心当たりがないこともない。その呪術師が、いつこの安槌にきて、いつ姫宮を呪ったのか。

(調べることが多いな……誰かこちら側に引き入れられないだろうか)

 エリーは信に説教をしている芙蓉を見た。エリーの視線にも気づかず、熱心に夜の危険について説いている。

(……まずは、信永公に会ってみるべきだ)

 


「父上。お連れしました。方士殿です」

 織田信永は、昼から酒をたしなんでいた。エリーは目深にかぶった笠のまま、礼をとって彼の前に跪いた。

「旅のものです。お初にお目にかかります」

 エリーの声を聞いた信永は、ほう、と息をついた。

「小坊主かと思えば、女子おなごか。……笠をとれ。顔を見せよ」

(……やっぱりなぁ)

 取りたくはなかったが、この国を統べる殿の命令とあらば、どうしようもない。

 エリーは素直に傘を取って、顔を上げた。銀色の髪と赤い瞳があらわになる。

「おお」

「無礼をお許しください。この姿かたち、非常に目立つものでして」

「素晴らしい。我が側室に迎えたいくらいだ。美しいな」

「父上」

 信がとがめるような声を上げる。「御客人になんてことを」

「はは、そう怒るな信よ。わかっておる……お前の正妻にどうだ?」

「父上!まったく……」

 信は頭を抱えている。申し訳ない、という視線がエリーの頬に突き刺さってくる。

(はっはー……)

 信永の性格は伝え聞いていたが、こうもだと一周して感嘆すらこみあげてくる。刹那を下げておいて正解だった。さすがに「まて」を覚えた刹那でもこれは耐えられまい。

――織田の六代目、信永。初代信長と瓜二つ。豪放磊落ごうほうらいらくにして、破天荒はてんこう。酒と女が三度の飯より好き……。


「信永さま。本日はお願いがあってまいりました。私、不老不死を極めんとする者にして、その方法を伝える者でもございます」

「ほう?」

徐福じょふくという男をご存じでしょうか」

「ああ」信永はひげのある顎を掻いた。「伝説に聞く、あの徐福であるな。知っている。なんでも。『ひとつとなり』から来たという、異邦人であろう」

(やはり知っていたか)

 エリーはまっすぐ、信永の目をのぞき込む。


「ならば話ははやい。私は、――でございます」


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