第3話 銀色の太刀

──斬。

 火種ごと切り裂く銀の刃が、キンと澄んだ音を立てる。隣の部屋で寝ていたはずの刹那は、切り払ったそれを手でばっと振り払うと、眺めているエリーに向かって文句を言った。


「呼ぶくらいならあらかじめ同室にしておけばよかったんだ、ったくめんどくせえ」

「わたしの懐刀ふところがたな、それくらいできなくてどうしますか」

「できるってのとやるってのは違うんだよ先生。……っと」


 しんは刹那と呼ばれている大男とエリーを見比べ、目を丸くした。


「な、なに……?」

 エリーがこともなげに言う。

「簡単に申し上げますと、わたしとこの馬鹿者刹那は追われる身でございまして。追手の斥候せっこうが来たというだけです。今ので居場所が相手方に知られたということですね」

(まあ、おおかた馬鹿者刹那のおかげですけどね)

「先生、本当はまだ怒ってますか?」

「そう見えるならそうでしょうね。どう思われますか」

「すみませんでした」

「謝るくらいなら最初からやらぬように」

 エリーはにこやかに言い、刹那はそんなエリーから目を逸らす。信はいまだに、この二人の仲をはかることができなかった。

(先生と弟子……懐刀?さすればこの月色の髪の少女はどこぞの落胤らくいんか?)

「簡単に言うよなぁ」

 刹那が、がばがばの浴衣に手を差し入れてぼりぼりと背中を掻く。

「この刀でしか斬れねぇバケモンが斥候ってかい」

「その刀、……鋼ではございませんね」

 信はすでにさやに収まっている刀を見た。どこの刀工か知れぬ、銘もなければこれといった装飾もない。そして何よりその輝きが──。

「銀、ですか」

「鋼の上に、精製を施した簡易的な銀の刃でして。滅多に人を斬るものではございません。ご安心を」

「先生」

 淡々としたエリーの言葉に続けて、刹那がどっかりと腰を下ろして、斬ったものの残骸を手にぶら下げた。蝙蝠の死骸である。

「この方に、俺らの手の内、明かしていいんですか?」

「ええ」

 エリーはにこやかに笑う。

「もうすでに御心は決まっているんでしょう、信さま」

「あ……」

 信は先ほど問われたことを思い出す。――呪いを解きたいか。


 刹那がこちらを見る。「どこからどう見ても男にしか見えんが」

「わたしがだと言っているのにまだ疑うんですかあなたは」

 エリーが白い頬を膨らませる。年相応の表情に見えたが――。

(このお方はいったい幾つなんだ……?)

 信は十六になる。もうすぐ十七だ。この方士を名乗る少女は同じかそれより年下か、と言ったところだ。信の目にはそう見えている。

 しかし、立ち居振る舞いからにじみ出るそれはどちらかと言えば父の信永のぶながによく似ている。人を使い人の上に立つ者の目だ。

 信用してもいいのだろうか……?

「ご心配なさらなくとも。わたしたちはあなたの秘密を洩らしはしませんし。洩らすつもりもございません。……あなたがお決めください、すべてを」

 すべてを察したように、エリーは立ち上がり、薬箱の前に座り込んで、こちらをちらと振り返った。

「あなたが願いさえすれば、この方士がその願い、かなえましょう」


 信は己の胸に触れた。ふくらみの薄い胸。そして喉仏。下半身に男のしるしこそないけれど、ひげが生えるのも時間の問題かもしれない。月のものは、半年以上前に止まった――。

「……私がうまれつき男であったなら、こんなことにはならなかったのかもしれないな」

 エリーは黙って聞いていた。刹那もまた、静かに耳を傾けている。

「私の呪いが解ければどうなる」

「呪いが解ければ、あなたはあるべき姿に戻るでしょう」

「今のように、刀を振るえるか」

「……それは保証いたしかねますね」

 エリーは考え込んだ。「その腕力、膂力りょりょく、そして太刀筋が、その呪いによる恩恵を受けていないとも限りません」

「……そうか」

 信は手のひらを握りこんだ。エリーは、彼女の決断をじっと待つ。


 呪いのに心当たりがあるまでの話。もし彼女が望むのなら、呪いを解く。けれど望まないのであれば、そのまま去るまでだ。

(……この呪いは、信さまに害を及ぼすものではない。ただ……悪質極まりない呪術だわ)

 人の在り方は一通りではない。

 彼女が「否」といえば、エリーは潔く身を引き、もとの逃亡生活に戻るまでである。どれほど呪いが醜悪であったとしても──。

 そして、エリーは刹那を見やる。信とは正反対の、男らしい男。従順な護衛。

「なんです?先生」

「……いえ」

(人の在り方は一通りではないと言ったものの……刹那ときたら、ずうっとこの調子)

 刹那と出会ったのは、彼が十五かそこらの少年だったころだ。彼は両親と祖母を一度に失ったばかりの子供だった。エリーはそんな彼に仇を討つことを約束し、彼に武器を与えた。銀色の太刀を。

 ――そうでなくとも、エリーには護衛が必要だった。エリーは術や祈祷や先読みに関して優れていたものの、降りかかる火の粉をはねのける方法を持たなかった。だから拾って育てたのだ。

『俺は先生の懐刀、それ以上でもそれ以下でもない』

 年頃になってもそればかり、嫁を取る気もなさそうだし、……その割に女遊びは好きだけれど。彼が迷うのを、エリーは一度も見たことがない。

(いや……そうさせたのは、わたしか)

エリーは熟考する信に向き直った。彼女は覚悟を決めた目をしていた。


「方士様」

「はい」

「お願いがあります。その、呪いを解いてほしいとは言いません。ただ……」

「はい」エリーはつとめて平静に聞いていた。

「誰がこの呪いをかけたのかを、調べることはできますか」

「もちろんでございます、信さま」

 願っても無い言葉だ。エリーは軽く頭を下げた。

「調査のために、あらゆる場所に立ち入ることをお許しいただけるのであれば、可能です」

「では、お願いしたい」

「畏まりました。では、対価を」

「対価?」


 エリーは低い声で言った。

「この尾裂おざきにいる間、わたしの全ての行動をお許し願えますか、姫さま」


「すべての、行動というと」

 刹那が言葉を引き継いだ。「夜ごとに襲って来る奴らを返り討ちにするとか、夜起き出してこそこそ探りを入れたりすることだろう、先生」

「まあ。言い方が悪い。でもおおむねその通りです。お許しいただけますか」

 信は面食らっていた。

「……まあ、善処しよう。夜ごと襲って来るというその怪物についてはともかく……こそこそ探りを入れるのは……」

「ばれなければよいのですよ」

 美しい少女が花のように微笑んで首を傾げた。

「ばれなければそれでよろしいのです。お咎めもありませんし、誰にもご迷惑はおかけしません。お約束いたします」


(どうやら私は賭場でとんでもないものを引き寄せてしまったようだ)


 信は頭を抱えた。しかし、頼んだのは自分に他ならない。

「父上に掛け合ってみよう。明朝、城に帰る。そのときに随行してもらえるだろうか」

「もちろんでございます」

 エリーは再び頭を下げた。そして、心を決めたような顔で刹那の肩を叩いた。

「部屋にお戻り。あとは問題ありません」

「とか言ってまたアレが来たらどうするつもりです、俺はここに――」

「来ませんよ。あれがどういう性格かはわたしがいちばんよく知っていますから」

「それも方士の先読みってやつなのかい、先生」

「いいえ、長い付き合いで培ったです」

 呪いの出所。呪術師──エリーを追う者。信にかけられた呪いが、あの男によるものなら、エリーが尻拭いをしてやらなければならない。身内の不始末は身内が始末する。それがエリーの信条である。

の性格はよく心得ています。きっと私の出方を見るでしょうね。あれも私に似て、退屈が嫌いなので」

「……先生がそういうなら」

 刹那はそう言うなり、窓から隣の部屋に飛び移っていった。エリーはそれを見送りながら、ゆっくりと紅眼を細めた。


(……お前の呪いはいつも醜悪ね、愚弟)


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