第2話 呪われた喉

「待ちなさい」

 エリーは手で刹那を制した。「相手方に敵意はありません。まずはお話と行きましょう。……ね、お侍様」

 エリーが振り向くと、ちょうど物陰から先ほどの若侍が姿を現すところである。エリーは微笑みながら敵意のないことを示した。

「ずっと私たちのあとを?」

「……あの賭場が、おかみに目をつけられていると知っていたのか?」

 高く澄んだ声が、夜の風に流れてくる。エリーは首を傾げた。

「いいえ、私たち初めてあの賭場に入ったのですよ。ね?馬鹿者刹那

「先生、本音が漏れてます、本音が」

「そういうわけなの。……別に、悪事を暴こうと思ったのではないのです。あなたの邪魔をする気もなかった」

 侍は黙って目を見開いた。「なぜそれを?」という顔をしている。表情を隠すのがへたくそなのだろう。エリーは笑いをこらえきれず、赤い瞳を細めて口元を覆った。

「あなたは探りには向いていませんね。正直すぎる」

「……正直で何が悪い」

「悪いとはいいません。正直であることは美しいことです。でも、そのままありのままでいらっしゃるのなら、ゆくゆくは身をほろぼすでしょう。おすすめはいたしませんわ」

「……!」

「そのような探り事は、私たちのような暇人にお任せくださいな」

 侍はようやく警戒を解く気になったようだ。背筋をしゃんと伸ばし、足を地面につけ、まっすぐに立つと、困ったような黒い瞳で、エリーを見た。エリーだけを見た。

「貴女は、何者なんだ……?」

「通りすがりの方士ほうしでございます」


「方士?」

「聞いたことはございませんか。天を読み、精霊と言葉を交わし、丹薬を練り、のことを」

「……ない、ないな。すまないが」

「ならば、これを機に。お見知りおきを、


 隣で話を聞いていた刹那が目をかっぴらいた。

「おひめっ!?」

「刹那。黙って。気持ちは分かるけれど」

 若侍は刀に手をかけた。刹那もそれに反応しようとするが、やはりエリーはそれを制す。若侍――彼女の目は、疑いに満ちると同時に殺意を宿した。

「――なぜそれを?」

 エリーは口元を覆っていた手をどけた。

好奇心故こうきしんゆえです」

「同じ言葉を返そう、……好奇心は身を亡ぼすぞ」

「あなたの何が好奇心を誘ったかといいますと……」

 エリーは彼女に歩み寄った。

「来るな!」「いいえ」

 距離を置こうとする侍に対して、エリーはさらに距離を詰める。刀を抜こうとする手をやんわり押しとどめ、彼女の腰を抱き、その耳元にそうっと、ささやく。

「その喉は、?」

「!!」

 エリーは飛びのいた。振るわれた刀が、エリーの銀髪を数本切り落とした。

「――専門ではありませんが、分かってしまったので、つい」

「……」

「お悩みとあらばこの方士が解決いたします。ひとこと、来いとおっしゃってくだされば、すぐにはせ参じましょう。あなたのような高貴なお人ならなおさら」

「――お前は何者だ、」

 なにかの通告のように、喉を呪われた女が問うた。挨拶のようでもあった。エリーは変わらず、こう答えた。

「方士です。そうお呼びくださいませ」

 名を明かす気はなかった。何せ――刹那にすら知られていないのだ。


※※


「方士殿。なぜあなたは、私を姫と呼んだのか」

「勘です」

 宿に部屋をふたつとり、刹那と分かれて寝る。最後まで刹那は渋ったが、「女性にょしょう二人の秘め事に割り入る気なのですか」というエリーの言葉でようやく引っ込んだ。

「あなたは浮世離れしておいででしたし。賭け事にも無縁そうでしたし。なにより、賭場ではとんだカモでしたし」

「うっ」

「そして極めつけは、その刀です。それは……粟田口あわたぐちではございませんか。将軍のお墨付きの刀鍛冶。よく耳にします」

「……よくわかったな。方士というのはそのように目利きなのか」

「いいえ。わたしが特別、暇なだけでございます」

 エリーは髪の毛を流した侍を観察した。どこまでも手入れの行き届いた髪の毛、白い頬――どこまでも姫君であるのに、その喉だけが。

が。

「なぜ私が女だと思った?」

尾裂おざきちまたではこういわれております。『織田おだの六代目、信永のぶながの息子。その身目、麗しく、まるでおなごのよう。しかしひとたび刀を握れば風の如し、七代将軍はもはやの方のもの』」

「はは」

「そして、実際にお会いして、賭場で抱き着いたあの時に確信いたしました。骨格が女性のものであることと……貴女が、織田公の姫君であること」

 彼女は喉仏のある喉で笑った。「ではあなたには私の名前もお見通しか」

しんさまでいらっしゃいますね」

「そうだ」

 彼女はそれ以上エリーに何も言わなかった。すべてを明かした今、どうでもよくなってしまったのかもしれない。二組ならべた布団の中、信はぼそぼそと呟いた。

「私が機を見て、あなたを殺すと思わないのか」

「思いません」

「なぜ」

「殺す理由がないからです」

「父上は理由なく人を斬るが」

「あなたが斬ろうと思ったら、もうすでに私は斬り殺されておりましょう」

「……」

 信は黙り込んだ。エリーはふふと笑った。

「あなたのような正直なお方は、闇討ちには向きません。先ほども言いましたが」

 長い銀色の髪に触れてから、エリーは月光の中で腕を伸ばした。指に長く絡まった髪が、月光に輝いた。

「純真な切っ先は真っ向勝負に向けるとよろしい」

「――あなたのその、風貌は。その」

「生まれつきでございます。父も母も驚いたらしい……そう記憶しています」

「……目立つな」

「ええ、この上なく。ですがもう慣れました。そのように生まれたならば、そのように生きるまででございます」

「……そのように、生まれたならば」


 信が体を起こした。長い髪が、彼女の平らな胸のあたりまで垂れていた。


「だが、私は父上の嫡男だ」

 エリーはそっと赤い目を細め、信のほそい影を、月の逆光を見つめた。

「……それは覆らない」

「そのことと、喉の呪いとは関係が?」

「わからない。……呪われているかどうかさえ、私にはわからない。気づいたらこうだった。……私が「男」であることは尾裂中に伝聞されていたようだし、」

「あなたは呪いを解きたいと思いますか?」

「……」

 信は沈黙した。エリーもまたそっと身体を起こした。

「わからない……わからない、何も」

「ならば、この話は聞かなかったことにいたしましょう、

「……」

 エリーは赤い瞳で信を見据えた。信の目はまだ迷っていた。

「……考える時間をくれ」

「時間がないといえば、あなたはどうされますか、姫君」

 エリーは声高に叫んだ。


「刹那!」


 瞬間、部屋の中で炎が爆ぜた。

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