第18話 救いの水源

──炎上する楼閣は鎮火する様子を見せず、いよいよ燃え上がる。

 空は暗雲、煙がその色を濃くし、今にも振り出しそうな雨も相まって、昼も過ぎないというのに非常に暗い。呪術師エリックは空を見上げて軽くつぶやいた。

あの人信永さん死んだかもなぁ、これは……」

 契約上は主人と下僕。まあ、本人は最後まで主人としての立場が自分の方にあると解釈していたようだったが。

「あの人思い込み強いしなぁ〜。仕方ねえや。まあ、ニンゲンのいいサンプルになったかあ?」

 足元に転がる人間のむくろを軽く転がして、ため息をつく。

「あーあ、いい実験場だったのにナァ」

 舞い落ちる灰の中に、かすかに「エリクシア賢者の水」の気配を感じる。あの女が何か細工をしたに違いない。

「つくづくとんでもねえ女だよ、姉さん。だからほしいんだけどさ。そのが」

 エリックがそう独り言ちた、次の、一瞬。


――斬。


 鋭い突きが、エリックの髪の毛をかすめた。はらりと舞う髪の切れ端を横目に、見やれば――赤い瞳を怒りに燃やした姫君が、大ぶりの太刀を振りなおすところだった。その輝きは銀。銀製の刃。

「うわあっぶねえな!」

 それは――人ならざる者を殺すために作られたやいば

「……ああ『刹那の太刀』か。お姫さんの手には余るだろうに」

 信は答えなかった。これが答えだとばかりに連続して太刀を振りぬく。上に下に、風を切り、刃を立て、エリックの喉元をめがけて、殺意さえまとった剣先が迫る。

「うおあ!っと」

 おどけて避けて見せながらも、そんな余裕もないことはエリックとてわかっていた。

 相手は手練れだ。

(コレ、遊んでる場合じゃないかも、な)

「お前が……」

 姫の低い声が、殺気を孕んで響く。女の膂力りょりょくとは思えぬ太刀さばき、エリックは避けることしかできない。触れたら、そこからからだ。

 情熱的なダンスのように剣舞は続く。あらゆる無駄を削ぎ落としたその舞は一種の美しささえ伴っている。

「お前が刹那殿を……!」

 信の目が苛烈に尖った。炎すら宿す赤。

(灰と煙の影響を受けてやがる……!これだから万能の霊薬エリクシアは!ずるいんだよ!!)

 おそらく、体内の呪術と、霊薬との共鳴反応。

 すなわち……。

(お姫様の呪いはそろそろ解ける!それまで保てば……)

 しかし、そう上手くはいかない。

『刹那の太刀』がエリックの肩を割る。衣服を斜めに割き、身体に傷をつける。

 ジュッと嫌な音がして、エリックは肩を押さえて崩れ落ちた。細い煙が服の間から零れている。

「いってえ……くっそ、人間ごときに……」

 エリックの顎に太刀を当てて、信は言い放った。

「お前の犯した罪、ここですべて償え、その命をもって」

 爛々と輝く赤い瞳に気圧されて、エリックは逃げの一手をとる。

(殺されるくらいなら殺すしかないっての!)

「《しもべよ》!」

 随所に隠れていた蝙蝠が次々と信を襲う。その数あまた。信が状況を把握する前に、闇の内へ身をひるがえしてエリックは叫んだ。

「殺されるようなことをしたのは、そっちですからね!」

「──!待て!!」

 信の赤い瞳に、無数の影が映る――その時。





「《水よ、雨よ。その猛威を振るいなさい》」

 凛とした声音が響き渡り、突如大粒の雨が降り出した。灰を帯びた雨粒は蝙蝠に直撃し、彼らの動きを止めていく。ばたばたと落ちてくる蝙蝠の中――ざんばらの銀髪を揺らしたエリーが走ってくる。しかし、もうすでにそこにエリックの姿はなかった。

「ちっ……!」

(逃げたわね、愚弟!)

「方士殿!」

 信は、ようやく、止まった。

「ほ、方士殿。……方士殿。方士殿!――ああ、」

「どうしたのです、信さま」

 信にも聞きたいことが山ほどあった。その短くなった髪はどうしたのか、天守閣が燃えているのはなぜか。他にも、ほかにも、ほかにも……いろいろあった。けれど。

「ああ、うわああああああああ!!」

 信の緊張の糸が、ふつりと途切れる。

 からん、と太刀が落ちて転がる。大雨のなか、泥の地面に膝をついて、信は泣き崩れた。小娘のように、わあわあと大声をあげて。

「信さま、どうなさっ──」

 雨の中横たわる大男の躯がエリーの瞳に映ったとき、全てを悟った。

「刹那……」


(ああ、あなたも逝ったのね)



 エリーは開かれたままの刹那の瞼を下ろす。そして、その肉体の状況を確かめた。

「……なるほど」

 エリックが殺したのだ、とすぐわかった。こんなことができるのは吸血鬼の爪か熊の爪くらいのものだ。

(心臓をやられては……)

「わたしのせいなのです、わたしのせいで、わたしの」

 涙をぬぐいながら説明しようとする信を遮って、エリーはその肩を抱いた。

「落ち着いてください、大丈夫ですから。大丈夫」

「でも……!刹那殿は、せつっ、ううっ、うううう」

 見かけ以上に冷静なエリーの中に、方法は二つあった。

 一つは、死んだ刹那をこのまま葬る方法。今までそうしてきたように、役目を終えた懐刀を葬る。そして新しい「刹那」を探す。エリーが考えているのはこちらだった。

 だが。

 もう一つは――。


「信さま」

 エリーは彼女の顔を見た。正直なところを述べる必要があった。

「わたしは、刹那を人間として葬ることを考えています。彼を休ませてやりたいからです」

「う、うう……」

「ですが」エリーは彼女の肩を掴んで、その瞳をのぞき込んだ。信の瞳の赤は失われ、黒い瞳が惑うようにエリーを見ていた。

「……ですが。あなたが、どんな飲んだくれでも、女好きでも、ばくち打ちでも、……大飯食らいの、大バカ者でも、女心のひとつもわからない、そんなたわけでも……この男を愛すと。おっしゃってくれるのなら」

「あ」

 信は口を開けて固まった。雨が二人の上に降り注いでいた。エリーは、その両肩にすべてを託す。

「まだ打つ手はございます。信さま」


 信は、唇を引き結んでうつむいた。




「わたし、は」

「ええ」

「それでも刹那殿とともに居たい、あの方の目に映らなくとも構わない、刹那殿が望まなくても」

 信は俯いた。

「わたしと共に生きて欲しい……!」

「……わかりました」


 エリーは刹那の頬に触れた。すでに冷たい。その冷たさを確かめるように、頬を撫で下ろし──エリーは告げた。


「刹那にエリクシア賢者の水を使いましょう」

「賢者の水……!?」

「信永さまの前で言ったハッタリとお思いかも知れませんが。──一定の効能を持ち……石を金に変え、あらゆる呪術の素となり、不老不死の霊薬の材料となる代物です。……大量に使いますが、確実に蘇生できましょう」

「し、してその水は何処に?」

信が尋ねると、エリーは緩やかに笑った。


「この、わたしの体内に」













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