第17話 吸血鬼の灰

「信永さま!いったい‼」

 青い瞳をぎょろりとエリーに向けた信永は、呵々と笑い、隣に置いていた酒の盃に口をつけた。そして火を吹かんばかりに細い息を吐く。その臭気が、エリーの元まで届いた。

「うっ」

――呪物じゅぶつ。その中でもとびきり強いもの。これは間違いなく、エリックの仕業だ。エリーはすべてを見通していた。

「それが何だか、理解しておいでですか……‼」

「知らぬな。ただ我が願いをかなえる物とのみ、あの男は言ったが」

「それは! それは人間を人外たらしめる劇物! 『吸血鬼ヴァンピールの灰』です!」

 エリーは真っ赤な瞳を隠さずに顔を上げた。

「ひとたび口に含めばあの男の眷属に成り下がり!命令通りにしか動けぬ傀儡かいらいとなり果てます!生きることも死ぬこともない、永遠の屍となります! そやつが何を吹き込んだかは知りませぬが……信永さまッ――!」

 訴えの間にも酒を含む信永に対して、エリーは悲鳴を上げた。

「いけません!それ以上含めば戻れなくなる――!」

「戻れぬからなんだというのだ、方士よ」

 信永は鼻で笑った。「ここは余の庭ぞ。余が夜を生きる長命の主となったからといって、市井に何か影響があるか?」

「……‼」

あの野郎エリック! 全部すべて話して……!信永さまも、そのうえで……!)

「信に次を継がそうと思っていたが、やめたやめた。余が恒久的にこの尾裂を支配してやろう。……そうするがよいのだ。あれだからなぁ。このままでは世継ぎも望めぬというではないか」

「――そうやって信さまを貶めるのは、おやめなさい!」

 エリーは畳を掻きむしった。抑えきれない怒りが、畳のイグサをざっくり裂いた。

「あの方に罪はございません……!」

「では余に罪はあるか?」

「……!」

 信永は青い瞳を揺らして立ち上がった。その手には脇差。

「余は男児ができたと喜んだだけだが。……余は、何ゆえ謀られた?城をあげて。誰もかれもが余に嘘をついた。生まれたのは女児であったと。男児などとっくに死んでいたと」

「それは……」

(……信永さまが、周囲から恐れられ、信じられていなかったから……)

「答えられぬであろう。それが、余の答えよ」

 信永はエリーの手に向かって脇差を突き立てる。手を貫通した鋼の、じくじくと痛む傷を、エリーは甘んじて受け止めた。

「声もあげぬか。たいした女子おなごだ」

「――貴方様の痛みに比べれば」

「そうか。……よくわかっているではないか」

 信永は脇差を抜くと、もう片方の手にも突き立てた。裂けた畳の上に、血が広がっていく。

「誰も余の痛みを知らぬ。……そこにあの男が現れたのよ。命を対価に願いをかなえてやるとのたまう異邦人だ。お主よりも弁のたつ若者であったな」

「あれの言うことはすべて戯言ざれごとです」

「そうか?余はその戯言に乗ったがな」

 信永は血にびっしょりと濡れた脇差をエリーの首筋に当てた。

「のう、方士よ。命乞いしてみよ」

「そのご命令は聞けません」

「なぜじゃ。命が惜しくないのか」

 首筋にひたりと刃がふれた。畳の上に、血が広がっていく――。

「私は不死のともがら。――あの男エリックの双子の姉にして、仙人・徐福の娘。そして……吸血鬼エリーザベトの娘です」

 エリーは首から流れる血を拭った。拭ったそばから、傷口が癒えていく。血まみれの手も、傷ひとつなく癒えている。

「貴方様の刀では、とても死ねません」


 エリーは信永から脇差をひったくって、自分の銀髪をひっつかみ、それを根元から切り落とした。あっけにとられる信永の前で、もう一本の三つ編みも切り落とす。

 ざんばらになった髪を振り乱して、エリーは手を打った。

「《精霊》。火を」

 血まみれの畳と、切り落とされたエリーの長髪に火が点く。エリーは何度も手を打った。

「《精霊》。風よ。我が身を焼き尽くす炎となれ」


『信永さまは、寺院と炎に注意、死が待つ……』

(こんなことで占いが当たるなんて)


 炎は木造りの楼閣を見る間に燃やしていく。エリーは素早く人型の札をばらまき、叫んだ。

「『火事だ!外へ逃げろ!急げ!』」

「なにを……小癪な!」

 信永が奪われた脇差を振り上げてエリーにかかってくる。エリーはそれをかわして、叫んだ。

「あなたは外へ逃げなさい!このままでは死んでしまう!」

「余は死なぬ!」

「いいえ!」

「死なぬと言ったら死なぬ! 余は不死身と相成った!」

「いいえ!!」

 エリーは脇差を手で受け止め、燃え盛る居室の中で信永と対峙した。

「この炎はあなたを殺す」エリーは再び、信永の瞳をのぞき込んだ。信永の瞳は、

 しかし信永は、エリーの言葉を鼻で笑った。

「余は騙されぬぞ。余は不死身よ。余は不死身の、信永よ……!」

(だめだ……!完全に洗脳されている……!これでも効かないなんて……)

 エリーは内心舌打ちをした。そして、信永を助けるかどうか、逡巡し――

「なんとでもいうがよい、最後に笑うのはこの信永――」

 ……エリーは彼を捨てて、身をひるがえした。重力に任せた投身ダイブ

(この方は、だったのかもしれない……あるいは)

 落下しながら、エリーは信永の最期の高笑いを聞いた。


「人間五十年、とはよくぞ言ったもの。余はそれを超えてゆくぞ――」


(……でも、似たような最期を迎えたのかもしれない)


 吸血鬼エリーはくるりと庭先へ着地した。城内の人々は、城の貯水池の方へと避難し始めていた。その中に、身重のお徳の方らしき女性や、幽閉されていた慈菫院、そして若い姫君たちと芙蓉がいる。エリーは確かめて、ほっとして、それからようやく刹那の姿を探した。


「……刹那?」


※※※



「いやあーッ‼」

 悲鳴に近い信の声とともに、刹那の身体が崩れ落ちた――もうすでに命がないのは、信の目にも明らかだった。

「せ、つなどの……!刹那殿、刹那殿っ!」

 あまりのことに涙さえ出てこない。そんな信を見下ろして、金髪の異人はにやにや笑った。

「こうして聞くと、声は女みたいなのになあ、お姫さん――」

 その醜悪な笑みを、信は睨み返す。そして、踵をかえして走った。

「どこへ逃げるんです……っても、お姫さんは殺すなって言われてるからなぁ……」

 ふざけた言葉が聞こえてきたが、信の中には一つしかなかった。


『俺らの手の内、この方に明かしてもいいんですかい』

――刹那殿。

『若は筋道立てて考えすぎだ、勘だよ勘』

――わたしの師匠。

『そう、やりゃできるじゃねえか、うりうり』

――わたしの。


 貴賓室――方士と刹那に貸し与えていた部屋を思い切り開ける。そこに鎮座する太刀を取り、持ち上げる。精製された銀で覆われた、特別な太刀。

(重たい……これを刹那殿は、片腕でふるって……)

 信はそれを両腕で抱えるように持ち、目を伏せて喉仏に触れた。

「兄様。……あにさま」

(どうか)

「私のしたことをお許しください。……兄様。私の中に、ここにいらっしゃるなら、私に力を御貸し下さい……」

(どうか)

「私が、女子おなごとして、……最初に慕ったお方の、仇を取りたいのです」

(男としての、私の力を――どうか!)

 信は目を開く。太刀は長いが、先ほどまでの重量を感じなかった。

「兄様……ありがとう」

 銀色に光る刃を掲げ、信はゆっくりと立ち上がった。

 その瞳は、方士エリーのごとき赤に、燃えていた。


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