第14話 悔悟と本心

 慈菫院は深々と頭を垂れる。

「この罪はわたくしが一生をもって償わなければなりません。……わたくしの罪は」

 エリーは黙って聞いていた。

「罪は――……我が子を救えなかったことでございます」

(……救えなかった我が子、)

 エリーはつとめて平静に、「続けなさい」と促した。彼女は言われるがまま、自らのを吐き出し続ける。

「わたくしが二回目のお産で産んだのは双生児でございます。一人は女で、一人は男でございます。産婆があの子たちを取り上げたときには……両方息が止まっておりました」

「!!」

「産婆は懸命に、最善を尽くしてくれたと聞いております。ですが――」

 慈菫院の伏せた顔からぼろぼろと涙が滴った。

。女児はどうにか息を吹き返しましたが……男児は、もう、手遅れで」

(ああ……)

 信の言葉が蘇ってくる。「私が兄様を殺してしまったのだ」。

 エリーは慈菫院から視線を外して、向かいの戸口の方を見やった。しんと静まり返った部屋の中に、母の嗚咽だけが響いている。

「信永さまに、とても言えませんでした。あの方は苛烈で、情もなさけもないお方です。女児のへその緒が男児の首を絞めてしまっていたから、だから念願の男児が死んでしまったなんて、とても、とても言えなかった、……言えば、ああ、言えば。たった一人生き残ったあの子まで殺されてしまう! 男児をくびり殺した咎で、どうして殺されることがありましょう!あの子は何も知らぬのに!」

「ヴィオレット。……落ち着きなさい。あなたの言葉はわたくしに、そして主にも届いておりますわ」

 いよいよ高くなる声を静めるため、エリーはゆっくりと手を伸べた。慈菫院は涙を流しながらその手に縋った。冷たい指先が震えている。

「ああ、……天使さま。あの方信永さまは、人を殺します。占い師の占いが気に食わぬと言って、殺します。と……ただ真実を占っただけで! そんなお方に、どうして、どうして言えましょう、本当に男児が死んでしまったなんて。わたくしが斬り殺されるだけなら、まだしも……産婆や、その場に居合わせた、お徳や……皆が……」

(ああ、そうだったのね――)

 信永は、誰にも信じられていないのだ。恐れられ、敬われ、それと同じくらい、信頼されていないのだ――。

「そして何も知らぬあの子まで……そんなことはあってはならないのです、そんなことが、あっては……」

 エリーは彼女の瞳をのぞき込んだ。そして心から言った。

「あなたは慈愛に満ちた母です」

「いいえ。……いいえ!わたくしは男児あのこに未練がございます。死んでしまったあの子に未練がございます。墓もろくに作れず、弔うこともままならず、野原に捨てるしかなかったあの子のことばかり考えます。生き残ったお信のことも、憎く思うことが、ああ、ああ……」

 慈菫院は泣き崩れた。エリーの手を握ったまま、泣き崩れた。

「御救いください、主よ。寄る辺なきたった一人の息子をお救いください、お守りください……」

(芙蓉さんが言っていた「悲しみ」というのは……このことだったのか)


「……ヴィオレット。お聞きなさい」

 エリーは感情も勘定も表に出さぬよう、柔い声を出した。

「あなたの子は神の国へ招かれました。正しく、神の御許へと」

「ううっ……」

「主はこう仰っています。あなたの周りにいる人々を愛しなさいと。あなたの、近くに居る者を愛し、いつくしみなさいと」

「……、はい」

 エリーは再び戸口に目をやった。扉は固く閉じたまま、ひっそりとしていた。

「そして主はわたくしに命を下しました。あなたの産みおとした双生児の片割れ、――女児は、何者かに呪われている。それを確かめてきなさいと、」

「えっ」

 慈菫院は目をまるくした。「のろ……われている? あの子が?」

 戸口から小さく音がした。エリーは顔もあげずに、戸口の裏に居る人物のことを思った。

(――信さま……)

「なぜ、なぜです。お信が。なぜ? 天使さま……!」

(やはりそうか)


 エリーは確信した。誰が信を呪ったか。何故呪ったか――!


(信さまを呪ったのが慈菫院さまなら――慈菫院さまは、もの!)


 信を呪った人物は、つまるところ慈菫院を幽閉した人物だ。

 は、信永に信が女児であることを隠し通す必要があると知っている。慈菫院の嘆きを幽閉によって封じこめ、信の姿かたちを男性のものに変えて、、信を守りたかった人物。もう、一人しかいない。正室の幽閉を進言できる、それなりの地位におり、信永に秘密を作る理由があり、信を守る理由のある──。

 乳母。

(お徳の方!)


「それを調べるべく、わたくしは舞い降りたのです。ヴィオレット」

 エリーはそっと彼女の涙をぬぐった。そして、そっと手を離し、再び窓の外に顔を向ける。

「もう行かなくては……」

「お待ちください、天使さま、待って!」

 エリーはさりげなく口に丸薬を含んだ。先ほどのものと同じ、重力を失わせるものだ。

「戸の外に、誰かいらっしゃるようですよ」

「えっ……?」

「それでは。――あなたに主の加護があらんことを」


 エリーは背中からふわりと宙へ身を投げ出した。銀髪が翼のように広がっていく。ゆるやかに羽のように落下しながら、真下にいる懐刀のことを信じる。

 やがて、大きな腕の中に抱きとめられたエリーは、伏せたままだった目を開けた。


「ご苦労様、刹那」

 くまなき月明かりの下で、見上げる刹那の顔は少し曇っている。

「……あの状態の若を置いてきてよかったのかねぇ」

「大丈夫ですよ。あのお二人なら。……ところで刹那。信さまに後ろ髪を引かれる思いだったでしょう」

「まあ……」

 刹那はバツが悪そうに、ボリボリ顎を掻いた。

「あれだけ泣きじゃくってちゃ、どうやっても女にしか見えねえ……」

 そんな刹那の肩はびしょびしょに濡れている。エリーはぎらんと目を光らせた。

「教えなさい。詳しく教えなさい。全部お言いなさい。ぜんぶ!」

「うぇ……」

 刹那は面倒くさそうに呻いた。

「わかってんでしょ、先生、本当にそういうとこですよ――ったく」

「うふふふふ」

 エリーはにんまりと笑った。そして楼の上を見やり、つぶやいた。

「芙蓉さんに後でお礼を差し上げなければなりませんね……」

「ところで先生。どんな秘術を使って体重を軽くしたんです?」

 刹那が思い出したように言った。「竹刀も俺の肩もぶっ壊れなかった。受け止めたときも、太刀より軽い。どういうからくりだ?」

「ひみつです。ナイショ」

 エリーは赤い瞳を月光に光らせて、しいと指を唇に当てた。

「わたしにしか作れない薬です」

「うっさんくせえ……」

「どうとでもおっしゃい。……部屋に戻りますよ」


 エリーと刹那は連れ立って部屋へ戻っていく。……その二人の姿を、遠目から見ているものがある。

 エリーにも刹那にも感じ取れない遠くから、青い瞳が見ている。

「事件は終わらないぜ、エリクシア」

 蝙蝠を侍らせた金髪の男は、試すように刹那の広い肩を睨んだ。

「まだ次弾つぎがある。そんで、お前をにしてやる」

 

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