第15話 信永の思惑
「では、……」
朝餉の席で、刹那の向かいに卓を出した信が、驚愕とともにエリーを見た。
「では、私を呪ったのはお徳だった、のか?」
「
エリーは軽く頭を下げて告げた。「城の者に話を聞き、推測を立て、確かめた結果でございます。少なくとも、慈菫院さまがあなたを呪う理由はございません」
「……」
信は持ったままの飯茶碗を見下ろした。
「ご納得いただけましたか」
「わからない……なぜお徳が……」
信の目は真っ赤に腫れている。あのあと母子でいかような話をかわしたのか、エリーにも刹那にもわからない。が、「慈菫院が、信を嫌っている」という勘違いは解けているらしい。どんな謎解きよりも、腹を割って話したほうがいいこともある。
信は額に手を当てて、茶碗を下ろした。
「それなら、
「ええ、そうですね。
芙蓉が知らなかったはずはないだろう。おそらく知っていたはずだ。エリーは芙蓉の様子を思い返しながら、言葉を選ぶ。
「……立ち回りとしては最善でしたね。弟子にほしいくらいですわ」
あの後エリーは、早朝に家臣たちに聞きこみをした。
芙蓉の母にして信の乳母だったお徳の
つまりお徳の方は、なんらかの
……それを、娘である芙蓉は嗅ぎつけていたに違いない。そうでなければ、エリーに「慈菫院に会うな」と釘を刺すこともなかったはずだ。
『あの方はひどく傷ついていらっしゃるのです。外の刺激に触れたら、かつての悲しみを思い出してしまわれるでしょうから』
あれは、少なくとも「幽閉された理由を知っている者」の言葉だ。知らぬならこう言うだろう。「慈菫院に何を聞いても無駄だ、あの女は狂っている」と。もしエリーがその立場に置かれたなら、そうする。
(まあ、本当のところは
エリーは口元を覆って、笑みを隠した。芙蓉の名演、あの涙が今となっては可笑しい。すべて本心だからこそ、すべて本当に聞こえたのだろう。エリーが「信が女子だと知っている」と知るや、その事実を認めたこともそうだし、あの涙ながらの激情が嘘だとも思われない。まさか「事実」の中に「言っていない事実がある」だなんて誰も思わないだろう。
『私が代わって差し上げたい』。『私などより花の似合う女子だったのに』。
あれは嘆きでありながら、これ以上の情報を出すまいという意志の表れだ。エリーはそう見ている。
彼女の落ち度としては――信永を恐れるあまり、信永に関する真実を吐いてしまったことだろうか。信永が、信の本当の性別を知らないこと。「わかりません」あるいは「知っているだろう」と言えば、無知な方士一行が信永の逆鱗に触れかねないと考えたのだろう。
(ああ、芙蓉さんがあの時、本当に知っていることをすべて吐いていれば、もう三日は早く解決したものを……本当にやられたわ、あの子には)
まあ、芙蓉が居なければエリーが慈菫院に会うこともなかったし、信が母と膝を突き合わせて語ることもなかったのだから、よしとする。
エリーは口元から手を下ろして、膝の上で両手を組んだ。
「信さま。それで、いかがなさいます」
「え?」
「呪いを解きますか?」
「あ……」
本題である。エリーが尋ね、信が答えようとしたその時だ。
「せんせえ。この飯、なんかまずいんだけども」
もぐもぐと白飯を咀嚼する刹那が、眉を寄せた。「なんだこれ。昨日と味が違う」
「なに?」信が味見しようとするのを、エリーはあわてて止めた。
「信さま、ここはわたしが。仮に毒だった場合危険です」
「俺、もう半分食っちまったけど」
「もっと早くお言い、おバカ」
「真面目な話をしてたから……」
刹那が言い訳するのをよそに、エリーは信の器から米粒をすこしとって口に含み――口を押えて、身体を折った。
「!」
「方士殿、どうされた!?」
「だ、誰もこれを食べないで!」
「うそだろ俺食っちまったよ!」
刹那の叫びはむなしく響いた。エリーはせき込んで、懐紙を取り出すと、口に入れたものを全部吐いた。
「これ以上誰も食べないで!人が口にしてはいけないものが入っている!」
「な、なに!?」
驚く信に、青白い顔をしたエリーがにじり寄る。
「信さま、これは同じ釜で炊かれているのですよね?みな同じ釜のご飯を?」
「あ、ああ、確かそのはず」
「全員に告げて!危険よ!」
エリーは薬箱をひっくり返さんばかりに漁ると、人の形をした紙の束を取り出し、十枚ほどをざっくりと取って、それに息を吹きかけた。
(こんなことになると知っていたら!
「おいき!知らせて、『その飯を食べるな!』」
エリーは式を投げ放つ。息を得た式は方々へと飛び去った。それを見送ったエリーは再び体を二つに折り曲げて、唇を噛んだ。
「うぇ……ちくしょう……ちくしょう!あの野郎!」
「方士殿!方士殿!」
「先生!大丈夫か、先生!」
「刹那!あなたも胃の中のもの全部吐いてきなさい……!」
エリーは脂汗を掻きながら、ぐっとこぶしを握り締めた。勢いよく伸び始めた爪が手のひらに食い込んで、血が流れる。
「でも、先生――俺なんともねえ……」
「いいから吐いてきなさい! 毒なんかよりずっと質の悪い代物よ!」
「えっ」
エリーは青筋を立てて怒鳴った。「死ぬよりひどい目に遭う!早く行け!!」
刹那はようやく立ち上がった。
「方士殿……!」
信が不安げにのぞき込んでくる。エリーは恐れのあまり青紫色になった唇で、彼女に告げた。
「大変なことに、なったかもしれません……申し訳ない……」
エリーは手を開いた。血まみれの手のひらはすっかり傷が塞がっている。一秒ごと伸びていくエリーの爪に、信はぎくりと身をこわばらせた。
「な、なにが……」
「……この城に化け物がいます」
エリーは、次第に澄んでいく感覚の中で、そっと目を閉じた。
「わたしを追ってきた、愚弟です」
やがて、使いが飛んできて、城主信永が呼んでいるとの知らせが入る。エリーは目を開けた。
「……この顔ではお会いできません」
「ひっ」
そこには――信の前には、白目まで真っ赤に染めた、異形の女がいた。
※※※
「方士よ。この騒ぎはなんだ」
エリーは、深々と笠を被り、手を袖の中に隠して、信永の前に膝をついた。
「何者かが、
「何者か……」
信永の顔は見えない。見ることができない。だから表情をうかがえない。しかし、その声に喜色が混じっていることに、気づかぬエリーではない。
「して、食べるとどうなるのだ」
「とてもお答えできません。
「その惨いさまを聞きたいと申して居る。言うてみよ」
信永は段から降り、エリーに近づいた。
「……お答えできません。お許しを」
エリーの瞳は爛々と赤に輝き、血を欲している。普段押し込めている「鬼」のさがが、理性のふたをこじ開けんとしている。
「……はは」
信永は乾いた笑みを漏らした。
「ははは。罰だ。罰なのだ。……余を騙し続けた、愚臣どもへの罰だ」
「なっ……――」
絶句して思わず顔を上げると、すでに信永の瞳は白目の部分まで青く染まっていた。
「罰は罰として受け取れい。ははははは!」
「ああ……」
エリーは長く伸びた爪で畳を掻きむしった。
「
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