第15話 信永の思惑

「では、……」

 朝餉の席で、刹那の向かいに卓を出した信が、驚愕とともにエリーを見た。

「では、私を呪ったのはお徳だった、のか?」

慈菫院じとういんさまではございません」

 エリーは軽く頭を下げて告げた。「城の者に話を聞き、推測を立て、確かめた結果でございます。少なくとも、慈菫院さまがあなたを呪う理由はございません」

「……」

 信は持ったままの飯茶碗を見下ろした。

「ご納得いただけましたか」

「わからない……なぜお徳が……」

 信の目は真っ赤に腫れている。あのあと母子でいかような話をかわしたのか、エリーにも刹那にもわからない。が、「慈菫院が、信を嫌っている」という勘違いは解けているらしい。どんな謎解きよりも、腹を割って話したほうがいいこともある。

 信は額に手を当てて、茶碗を下ろした。

「それなら、芙蓉ふようだったのか……?お徳と芙蓉は……」

「ええ、そうですね。あの方芙蓉さんは非常に聡明でいらっしゃいます。口は堅く、頭は回る。非常によい家臣をお持ちになりましたね」

 芙蓉が知らなかったはずはないだろう。おそらく知っていたはずだ。エリーは芙蓉の様子を思い返しながら、言葉を選ぶ。

「……立ち回りとしては最善でしたね。弟子にほしいくらいですわ」


 あの後エリーは、早朝に家臣たちに聞きこみをした。

 芙蓉の母にして信の乳母だったお徳のかたが信永の側室になったのは、芙蓉が証言した通り、信が四歳のころ。信がである。

 つまりお徳の方は、なんらかの機会チャンスあって幼い信を呪い、敢えて側室の座につき、嘆きを押さえられない「狂女」として慈菫院を幽閉した。

 ……それを、娘である芙蓉は嗅ぎつけていたに違いない。そうでなければ、エリーに「慈菫院に会うな」と釘を刺すこともなかったはずだ。


『あの方はひどく傷ついていらっしゃるのです。外の刺激に触れたら、でしょうから』


 あれは、少なくとも「幽閉された理由を知っている者」の言葉だ。知らぬならこう言うだろう。「慈菫院に何を聞いても無駄だ、あの女は狂っている」と。もしエリーがその立場に置かれたなら、そうする。

(まあ、本当のところは本人芙蓉さんをゆすってみないとわかりませんけれど)

 エリーは口元を覆って、笑みを隠した。芙蓉の、あの涙が今となっては可笑しい。だからこそ、に聞こえたのだろう。エリーが「信が女子だと知っている」と知るや、その事実を認めたこともそうだし、あの涙ながらの激情が嘘だとも思われない。まさか「事実」の中に「言っていない事実がある」だなんて誰も思わないだろう。

『私が代わって差し上げたい』。『私などより花の似合う女子だったのに』。

 あれは嘆きでありながら、これ以上の情報を出すまいという意志の表れだ。エリーはそう見ている。

 彼女の落ち度としては――信永を恐れるあまり、信永に関する真実を吐いてしまったことだろうか。信永が、信の本当の性別を知らないこと。「わかりません」あるいは「知っているだろう」と言えば、無知な方士一行が信永の逆鱗に触れかねないと考えたのだろう。

(ああ、芙蓉さんがあの時、本当に知っていることをすべて吐いていれば、もう三日は早く解決したものを……本当にやられたわ、あの子には)

 まあ、芙蓉が居なければエリーが慈菫院に会うこともなかったし、信が母と膝を突き合わせて語ることもなかったのだから、よしとする。

 

 エリーは口元から手を下ろして、膝の上で両手を組んだ。

「信さま。それで、いかがなさいます」

「え?」

「呪いを解きますか?」

「あ……」

 である。エリーが尋ね、信が答えようとしたその時だ。


「せんせえ。この飯、なんかまずいんだけども」

 もぐもぐと白飯を咀嚼する刹那が、眉を寄せた。「なんだこれ。昨日と味が違う」

「なに?」信が味見しようとするのを、エリーはあわてて止めた。

「信さま、ここはわたしが。仮に毒だった場合危険です」

「俺、もう半分食っちまったけど」

「もっと早くお言い、おバカ」

「真面目な話をしてたから……」

 刹那が言い訳するのをよそに、エリーは信の器から米粒をすこしとって口に含み――口を押えて、身体を折った。

「!」

「方士殿、どうされた!?」

「だ、誰もこれを食べないで!」

「うそだろ俺食っちまったよ!」

 刹那の叫びはむなしく響いた。エリーはせき込んで、懐紙を取り出すと、口に入れたものを全部吐いた。

「これ以上誰も食べないで!!」

「な、なに!?」

 驚く信に、青白い顔をしたエリーがにじり寄る。

「信さま、これは同じ釜で炊かれているのですよね?みな同じ釜のご飯を?」

「あ、ああ、確かそのはず」

「全員に告げて!危険よ!」


 エリーは薬箱をひっくり返さんばかりに漁ると、人の形をした紙の束を取り出し、十枚ほどをざっくりと取って、それに息を吹きかけた。

(こんなことになると知っていたら! 安倍晴明せんせいからもっともっともっともっと真面目に習っておくべきだった!!)

「おいき!知らせて、『』」

 エリーは式を投げ放つ。息を得た式は方々へと飛び去った。それを見送ったエリーは再び体を二つに折り曲げて、唇を噛んだ。


「うぇ……ちくしょう……ちくしょう!!」

「方士殿!方士殿!」

「先生!大丈夫か、先生!」

「刹那!あなたも胃の中のもの全部吐いてきなさい……!」

 エリーは脂汗を掻きながら、ぐっとこぶしを握り締めた。勢いよく伸び始めた爪が手のひらに食い込んで、血が流れる。

「でも、先生――俺なんともねえ……」

「いいから吐いてきなさい! 毒なんかよりずっと質の悪い代物よ!」

「えっ」

 エリーは青筋を立てて怒鳴った。「死ぬよりひどい目に遭う!早く行け!!」

 刹那はようやく立ち上がった。

「方士殿……!」

 信が不安げにのぞき込んでくる。エリーは青紫色になった唇で、彼女に告げた。

「大変なことに、なったかもしれません……申し訳ない……」

 エリーは手を開いた。血まみれの手のひらはすっかり傷が塞がっている。一秒ごと伸びていくエリーの爪に、信はぎくりと身をこわばらせた。

「な、なにが……」

「……この城に化け物がいます」

 エリーは、次第に感覚の中で、そっと目を閉じた。

「わたしを追ってきた、愚弟です」

 やがて、使いが飛んできて、城主信永が呼んでいるとの知らせが入る。エリーは目を開けた。

「……この顔ではお会いできません」

「ひっ」

 そこには――信の前には、白目まで真っ赤に染めた、異形の女がいた。


※※※


「方士よ。この騒ぎはなんだ」

 エリーは、深々と笠を被り、手を袖の中に隠して、信永の前に膝をついた。

「何者かが、くりやの釜に呪物じゅぶつを混ぜたようです」

「何者か……」

 信永の顔は見えない。見ることができない。だから表情をうかがえない。しかし、その声に喜色が混じっていることに、気づかぬエリーではない。

「して、食べるとどうなるのだ」

「とてもお答えできません。むごいことになります」

「その惨いさまを聞きたいと申して居る。言うてみよ」

 信永は段から降り、エリーに近づいた。

「……お答えできません。お許しを」

 エリーの瞳は爛々と赤に輝き、血を欲している。普段押し込めている「鬼」のさがが、理性のふたをこじ開けんとしている。

「……はは」

 信永は乾いた笑みを漏らした。

「ははは。罰だ。罰なのだ。……余を騙し続けた、

「なっ……――」


 絶句して思わず顔を上げると、すでに信永の瞳は白目の部分まで

「罰は罰として受け取れい。ははははは!」

「ああ……」


 エリーは長く伸びた爪で畳を掻きむしった。


エリック愚弟!!」





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