第8話 姫君達の園

「なにかわかったんですかぁ」

 刹那は起き出すや否や、寝ぼけまなこでエリーにそう尋ねた。エリーが珍しく外に出る支度をしているのに気付いたらしい。

「何も。ただ、と、信さまの呪いとが関係するやもと思っただけです」

「ふうん。まあ、どいつもこいつも腹に何か飼ってそうな顔してらあな」

 刹那は興味がなさそうだ。いつものことだが。


──慈菫院のあの叫び、そして周りのものの対応。「たった一人の息子」……。


 ぐるぐると同じところを回っているような気がする。エリーはかぶりを振り、背筋を伸ばした。

「今日は雨だから、昼間も探りを入れることにしたのです」

「ああ、……そういや占いでもそう言ってたねえ」

「一日ずれましたが、まあ致し方ありません。この雨は長雨になるでしょう」

「そうですかぁ。ふあ」

 刹那は大あくびをして、思い出したように手首の包帯を解こうとする。エリーはそれをそっと制した。

「大丈夫。あれだけ貰ったのだからしばらくは必要ありません」

「とか言って、からっからに干からびたことあっただろ、先生」

 刹那がじっとりした目で見てくるのを、エリーはさらりとかわす。

「もしもがあれば早めに伝えます。……本日は信さまに、お願いをするのです」

「お願い?といいますと」



「私の姉妹たちに会いたい?」

「はい。姫宮さまがたにお目通りしたいのですが、かないますか」

 二人分の朝餉をむしゃむしゃと食べている刹那の隣で、正座をしたエリーはいつもの笠姿。綺麗に結った三つ編みを垂らして微笑んでいる。信はほかでもないエリーからの申し出を受け、目を白黒させた。

「もう嫁がれた姉様あねさまもいらっしゃるから、全員は難しいが……」

「ええ、この城にいらっしゃる姫宮がただけでよろしいのです」

「ならば、……私が話をつけましょう。旅の方士が会いたいとおっしゃっていると」

「ありがたき幸せにございます」

 エリーは頭を下げた。隣では刹那が魚の骨を口にくわえたまま、その成り行きを見守っている。

「俺はどうすればいいでふかねぇ、せんせ」

「あなたはあなたで、できることをおやりなさい。――ね、信さま」

「あ」

 信は赤面して、ふいとそっぽをむいた。その隙に、エリーは刹那の元へすり寄って、耳もとで囁いた。

「引き続き、稽古をつけがてら、信さまへの視線の数を数えていて」

「ああ、わかった」

 我に返った信が、ささやきあう二人を見てぽかんとしている。エリーはそれに気づくと、刹那の頬についた米粒を懐紙でふき取った。

「えっ」信が息を呑む。

「まったく、いつになっても子供ですね。あなたって人は」

 信はさらに顔を真っ赤にして、うつむいた。

「毎度のことながら……あなた方はどういった関係なんだ」

「師匠と弟子です」「飼い主と飼い犬だが」

「いやどちらにしても納得いかん……」

 声をそろえるエリーと刹那に、信は悶々と首を傾げるのだった。


※※


「方士殿、揶揄からかうのも大概にしていただきたい」

「揶揄ってなんかいませんよ。あれはいつものことでございます」

「たまにあなた方は夫婦めおとなのではないかと疑うことがある」

「まさか、そんなわけありませんよ。三十を過ぎた男とこんな小娘が?」

「……」

 エリーは信のあとをついて歩く。日はまぶしいが、雲が天を覆い隠してくれているお陰でさほど苦しくはない。

「ところで、ご母堂は健勝でいらっしゃいますか」

「母上か?」

 信は振り向きもしなかった。「息災に過ごしていらっしゃると聞いている」

「……そうですか」

 エリーはそっと袖の中に手を入れて、仕込んであるものを確かめた。

「信さま」

「なんだ?」

「……この件、全て、あなた様次第でございますからね」

「……」

 信は何も言わなかった。そのかわり、立ち止まって部屋を示した。

「こちらだ。……芙蓉ふよう紫苑しおん。方士様だ」

 襖を開けると、そこには信の世話係、芙蓉と、おかっぱの幼い姫君がひとり、そして――

(まだ乳飲み子か……当てが外れたかしら)

 床に寝かされているのは、まだ首も座らない幼子だ。

「方士様は何をするおかた?」

 紫苑と呼ばれた幼い姫君は、赤い着物の袖を振って駆け寄ってきた。

「これ、紫苑。御客人を前にそのようなお転婆をするでないよ」

 信が妹を咎めるのへ、女性が口を挟む。

「信さま。紫苑さまは方士様のご来訪を心待ちにしておいでだったのです。ご容赦を」

 芙蓉が立ち上がって、紫苑の肩をそっと抱いた。信はそんな堅苦しい芙蓉の様子に、苦々しく笑みをこぼす。

「そんなにかしこまらなくともよい、芙蓉」

「いいえ、わたくし、信さまの世話係でもございますが、姫宮さま方の乳母でもございますから」

(乳母ね……)


 エリーは笠の影から芙蓉を観察した。着物はそこそこ上等、手荒れもなく、どこも傷んだ様子がないところを見るに、先日説明を受けた通りなのだろう。

(乳母と世話係の掛け持ちか、相当できるぞ、この女性にょしょう

「方士殿。あとは……」

「ええ、ありがとうございます、信さま。わたしは姫様がたとお話が。……芙蓉さんにも」

「わたくしにもでございますか」

「はい。ぜひお話を伺いたく」

「では席をはずそう」

 信はまつわりつく紫苑をそっと宥めて、最後にこちらを振り返った。

「芙蓉」

「はい、信さま」

「……そう、心配するな。万事うまくいくさ」

 途端に芙蓉の優しい表情が少し崩れた、気がした。

(これは……)

 信と違って、芙蓉は表情を作るのが得意らしい。そして信はその表情の向こうをあっさりと見抜くのだ。エリーは芙蓉と信を見比べた。二人はどんな関係なのかと問うた信の顔を思い出しながら、エリーはそっと袖の中のものを確認した。

(どうやら、あたりのようです)


※※


「方士と申しますのは、古今東西のありとあらゆる秘術ひじゅつずいを集め、それを結晶したものになります。不老不死……老いることもなければ死ぬこともない、究極の肉体を目指して、日々その方法を探る者でもあります」

「ううんと、どういうこと?」

 紫苑が首を傾げる。姫君には難しかったかもしれない。

「呪いやお祈りや、占いを行なったり、人々の不安を取り除いたりする仕事をしています、紫苑さま」

 エリーは笠を取って見せる。紫苑はぱあっと顔を輝かせて、エリーのひざもとまで来た。「お姫様!お姫様みたい!」

(お姫様……?)

「ああ、西洋渡来の絵物語のことでございます」芙蓉が口を挟む。「姫様は、その絵物語をたいそうお気に召しているのですよ」

「なるほど」

 うずうずと手を出したがっている紫苑に、エリーは微笑む。「お気に召したなら、触ってもよろしいですよ」

「いいの!?」

「紫苑様!それはさすがに……!」

 芙蓉がとがめるような声を上げるが、エリーは笑って答えた。

「よろしいのです、芙蓉さん。姫君に愛でられることなどそうそうないのですから」

 エリーのおさげに触れながら、紫苑はああだこうだと話をする。芙蓉が赤子の面倒を見ながら、ひやひやとこちらをうかがっているのが分かる。

 けれど姫君の話題は、お稽古ごとが得意だとか苦手だとか、夕餉に出てくる野菜がどうしても受け付けられないけれど芙蓉が食べろという、とか、そうした子供らしいことばかりだ。

 エリーは微笑みながらうんうんと聴いていたが……張り切った姫君は半刻もすればうとうとと船を漕ぎ始めた。

「お疲れのご様子ですね」

「ああ、申し訳ありません。いまお連れしま──」

「そのように警戒なさらずとも、わたしは何もしませんよ、芙蓉さん」

 紫苑姫を抱き上げた芙蓉の肩がぎくり、と強張る。

「……なにも、恐れてはおりませぬ」

「嘘」

 エリーは微笑みながら芙蓉の耳元に囁いた。

「信さまが女子だというのは、本当ですか」

「!! それを、誰からッ」

「しい」

 エリーは紫苑を見た。紫苑は芙蓉の腕で寝息を立てている。姫が起きぬよう、小声で続ける。

「──やはり、あなたは知っておいででしたね。少しお話をしましょう。お礼は弾みます」


 エリーは袖に隠していた金の粒を差し出した。

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