第9話 お信と芙蓉

 絶句する芙蓉ふようを前に、エリーは一層声を潜める。「……むろん、誰にも口外してはおりませぬ。わたしはただ、しんさまの命をうけてこの城の内部を探っているまでです。ご協力いただければ、ありがたい」

「信さまの……」

 芙蓉はしばらく固まっていたが、エリーが布団を出してくると、我に返って紫苑しおん姫をそこへ寝かしつけた。

「……方士様は、なぜそれをご存じなのか」

 芙蓉もまた、こちらを探るようにエリーを見た。

「なりゆきで、暴いてしまったのでございます。信さまが賭場にいらして、そこで」

「――だからあれほど、危険なことには首を突っ込むなと申し上げたのに」

 エリーは再び金の粒を差し出したが、芙蓉はそれを拒んだ。

「わたくしは金子につられてものをしゃべるような人間ではありませぬ」

「それは、失礼いたしました」

「方士様、こちらへ」

 芙蓉は立ち上がると、姫宮たちの眠る部屋からエリーを連れ出し、ふすまを一枚閉めて、座りなおした。

「して、信さまの命とはいかなるものか」

 先ほどとは打って変わって、強気な口調である。エリーは内心、手ごわい相手を引いた、と思った。

(でも口説き落とせればいい伝手つてになりそうだわ……)

「……自分を呪ったものを知りたいと仰いました」

「呪った……?」

「信さまは誰かに呪われておいでです」

 エリーは姿勢を正して、疑るようなまなざしの芙蓉に語り掛けた。

「少なくともわたしは変化の術と幻術の合わせ技とみています。どなたも、信さまの性別を疑っていらっしゃらない」

「――方士とは、よその事情に顔を突っ込んで引っ掻き回すもののことを言うのですか」

 芙蓉は棘のある声を出した。

「それとも、方術とは金子きんすで人の心を掌握することなのですか」

「いずれも違いますね」

 エリーはにこやかに笑う。

「少なくとも信さまは、今のご自身の状況をよくわかっていらっしゃるようです。……私に、この呪いを解けとはおっしゃらなかったのだから」

「……」

「信さまは尾裂おざき継嗣けいしでいらっしゃる。あなたはそんな信さまのお心もご存じのよう。ゆえに、わたしのような無礼なやからの言葉は耳障みみざわりに聞こえましょうが……」

 エリーは目を細めた。

「あの呪いは、信さまをむしばみましょう。深く、深く」

「なっ!?」

(……とでも言っておかないと情報は引き出せないでしょうね)

 エリーは内心舌を出しながら、つづける。

「ですから、呪いのもとを探りたいという信さまのお心を汲んだまででございます。芙蓉さん。質問に答えていただけますか」

「……」

 答えを待たず、エリーは問うた。

「信さまのご母堂ぼどう慈菫院じとういんさまは、クリス=ロウ教でいらっしゃいますね。尾裂では特に信教を縛るようなことはなさっていないと聞き及んでいます。間違いないですね」

「え?……ええ。慈菫院さまは、敬虔けいけんなクリス=ロウ教の信徒でいらっしゃいますが……それと信さまに何の関係が」

(……信教にかかわる問題でないとすれば、なぜ)


「狂女」とまで呼ばれた彼女の姿を思い出す。信によく似た面差しの女――


「慈菫院さまが洗礼を受けたのはいつでしょう?」

「確か、信さまがお生まれになった後です。いつ頃かまでは正確に言えませんが、それだけは確かです」

「なるほど……」

 エリーは芙蓉に聞き返す隙を与えぬよう、すかさず畳みかけていく。

「信さまがお生まれになったとき、その場に居合わせたのは誰だったか、わかりますか」

「……わかりません。私もそのころ幼子おさなごだったもので。……でも、産婆の名前は憶えています。

「えっ」

 目をまるくするエリーに対し、芙蓉は言い訳するように付け加える。

「信永様の側室のおとくの方は……私の実母なのです。ですので、私と信さまは乳姉妹にあたります。信さまとは、姉妹のように育ちました」

「そうだったのですね」

(そして芙蓉さんは、今度生まれる赤子の姉君になるわけか……)

 芙蓉は目を真っ赤にしてうつむいた。

「姉妹同然で……湯あみも一緒でしたから、信さまがその、女子であることはずっと前から知っておりました。でも、途中から急に世界が変わってしまったようになって」

「いつ頃ですか」

「私が六つの頃、……十二年前から、急に母が」芙蓉はしゃくりあげた。「信さまはほんとうは男子おのこでいらっしゃるから、二度と女子おなご扱いせぬようと。きつく、きつく言いつけられました」

「……急に?」

「ええ。……でも、でも信さまは。は」

 芙蓉は涙をぬぐい、ぬぐい――それでも前をむいてエリーに語り掛けた。

「私などより花の似合う、美しい女子だったのに――」

 止まらぬ涙を、エリーが拭う。芙蓉はそれを振り払わなかった。

「信さまの背負っておられるものが大きいものだと分かってはいるのですが。ですが。……幼少のみぎりよりお仕えしてきたあの姫君が、なぜ、なぜ……」

「芙蓉さん」

「――それが本当に呪いだというのなら、私が代わりに背負って差し上げたい」

 芙蓉は顔を覆って泣き崩れた。

「あの方は本当に、本当に、……お美しい方なのにッ……!」

 エリーは芙蓉の背を撫でながら、休みなく思考をめぐらしていく。


 慈菫院の言う『たった一人の息子』が信のことを指すのは明白だ。しかし、信は芙蓉も言う通り女性として生を受けている。そして、途中から男児として育てられることになった――ここで、すでに何かがおかしい。

(慈菫院は本当に狂っている?彼女が信さまを呪った?)

 そうだとしても筋は通るが、エリーは納得がいかない。何かが引っかかる。

(何か……何か見落としていないか?)

 ぐるぐる回る頭の中に、情報の切れ端が舞い込んできて散らばる。エリーはそれを一つずつ拾い上げていく。祈る母親。それを隠そうとする城の人々――芙蓉の証言。途中から男になった「お信」……。


(そういえば――そもそも、信さまを呪って男児にしなければならなかった理由はなんだ?)

 信永はまだ若い。継嗣に悩むほどの年齢ではない。こうして今も幼いお子がいらっしゃる。男児を急くような理由はないはずなのだ。

(ならば……?)

 慈菫院が男児を欲しがったから? もう子供が望めない彼女が、我が子に呪いをかけてでも男児が欲しかったとすれば、筋は通るが――。

(あのように祈りをささげる人が、わざわざ我が子を業の深い道に突き落とすだろうか?)


「芙蓉さん。一つだけ答えてください」

 泣きじゃくる芙蓉に、エリーは尋ねた。

「信永さまは、このことはご存じなのですか?」

「……それが――」


※※※


「のう、客人よ」

 城下を望める高楼にどっかと座り、昼から酒を舐める城主が一人。

「なにゆえあの方士から隠れておる」

 信永は独りちた。それに、天守閣てんしゅかくに潜む影が答える。

「あの女とは因縁があるもんで。見つかると厄介だ」

 信永は失笑した。

「あの! 女というがほんの小娘ではないか。それとも、そちにはあの小娘が女に見えていると申すか」

「ええ」

 影はよどみなく答える。「あれはです。逃がしません」

「面白い」

 信永は、影に潜む男に自らの盃を差し出した。

「面白いのは好きだ! お前も吞むがいい、美味いぞ」

「いえ、酒は飲まないことにしているので、結構です。お気持ちだけ」

「大した男だ。余の酒を断るとは」

 呵々かかと笑い、信永は立ち上がった。開け放した襖の外へ出て、雨のそぼ降る庭を眺め下ろす。

「余の庭にも嵐がやってきた、というわけだ。はは!」


 影は信永の背中を見ている。金色の髪にあおい瞳――肩に蝙蝠こうもり

「嵐で済めばいいですけどね。まぁ善処いたしますよ」

 男は口角を上げた。

「――逃がさねえよ、エリクシア姉さん




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