第20話 方士と護衛
「先生!」
乱れた着衣のまま貴賓室に駆け込むと、もはや布団は畳まれ、荷物は跡形もなく消えていた。朝日が昇る前に出ていったのだ。
「くっそ……!」
刹那もまた立ち上がった。どたどたと廊下を駆け抜けて、そのまま庭へ飛び出す。ふと2階の信の部屋を見やると、そこに細い影が立っていた。
姫はうすい羽織をギュッと握りしめて、刹那の姿を焼き付けるかのような強い眼差しを送っていた。
『お姫。いや……信。帰ってくる。たまに顔を出すよ。出すから……泣かないでくれ』
『俺ぁ、遊びは得意だけど、こういうのは慣れないんだ。すまん』
信はいよいよ真っ赤な目で刹那の肩を殴った。
『こんなの、慣れてもらったら困る』
刹那は大手を振った。信も手を振った。
それが二人の別れとなった。
刹那は師を追いかけて。
信は半分が焼け落ちた城の主として。
──当人たちは知らぬが、遠い未来、こんな逸話が残った。
織田の七代目、信、姿かたち女子にして、辣腕、傾いた城を立て直し、離れた人心を集め、異母弟
しかし。度々旅の
※※※
ところは尾裂の膝下。小さな宿屋。
エリーは日が昇るというのに、宿屋に入れてもらえずに困り果てていた。
「あんた、おおかた家出娘だろう。おうちに帰んな!おっとうとおっかあが心配してるよ!」
「……あのう。金子はございますし、一泊休ませていただくことはできませんでしょうか……。絶対に父と母の顔は見たくないので……」
勘違いに乗っかりながら、内心激しく舌打ちしているエリーである。
(チイ!髪も切ってしまったし余計
刹那がいたからなんとかなったこともあったのだろう。あの無駄に大きな図体があれば大抵のことはなんとかなった。確かに……。
(……不便だ)
大きな刀を抱えた腕は痺れてきた。別の宿屋にしようか、しかしもう外は明るく、とても一人で歩けそうにない。歩いたら干からびて夜まで動けないだろう。
(ああ!不便だわっ!もう、次の護衛を探さなくちゃ)
一人で百面相をしているエリーを心配そうに眺めていた女将は、後ろからきた客に気づいてエリーの腕を引いた。
「一旦退いた退いた。……いらっしゃいませえ!」
「二人部屋一つッ!」
エリーはぎょっとして背後を振り返った。
「刹那……」
「でしょ、先生」
刹那は鼻息荒く言った。「それ、俺のだから返してください」
エリーから太刀をひったくると、刹那は女将に向き直った。
「この方と俺と二人部屋で」
「えっ」
「二人部屋で」
刹那は何度も繰り返した。「俺はこちらの方の付き人でして、遅れをとってしまったんですよ、ね、先生」
エリーはポカンとしていたが、ようやく事態を飲み込めた。刹那は──。
エリーはぎりりと眉を吊り上げた。
「この──馬鹿者ッ!あのお方を置いてくるとは何事!お前というやつは男としてどうかしているわ!なぜ信様を置いて城を出た!道理を通して城に残ればよかったものをッ」
「俺は先生の護衛ですから」
エリーの剣幕にも怯えず、刹那は言い放つ。
「先生に命を賭けるって決めちまったもんですから。あの方もそれはわかってらっしゃる」
「でも、」
(そんなのってないわ!そんなのって……信さまは、信さまが願ったから、わたしは……)
「あの方は『行け』と言ったんです。俺はその言葉に甘えてるってわけです。わかりますか先生」
「……ぐうう」
歯を食いしばったエリーを見下ろし、刹那は一部始終を聞いていた女将に、「そういうわけなんで部屋を貸してくれ」と一言言った。
女将はすんなり頷いて、部屋を貸してくれた。布団がくっついている。エリーはそれを引っ張って離してから、刹那に向き直った。
「本気ですか」
「威勢だけで言ってるように見えます?」
エリーはまたも言葉に詰まった。
「俺は先生に捨てられるのが一番怖い。誰かさんが毎度毎度置いていこうとするからこのいい年になっても一番怖いのがそれだ。信はそれをわかってる。わかってて送り出した」
「うう」
ぐうの音も出ない。
「待って刹那。今『信』と言った?」
「ん?言った」
「だあああああ!!だったら尚更なぜ城を出た!!馬鹿!バカ!大馬鹿!なんでこう、お前は……乙女心を踏み躙るような……」
頭を抱えのたうち回るエリーを見下ろして、刹那は大きなため息をついた。
「わかってないのは先生だ。先生。俺が何を考えて十六年も付き従ってたか知らねえんだな」
刹那は正座をして、畳に両拳を突いた。
「先生が俺を救ってくれた。今回のこれで二回目になる。その恩義に報いようとするのは、道理じゃないか」
刹那は赤い瞳を細めた。
「この命尽きるまで、俺はあんたの護衛だ」
「………」
「だから、最期まで使ってくれ」
エリーはしばらく黙って聞いていたが、刹那の瞳が揺るがないのを見るや、大きくため息をついた。
「あの泣きべその子供が、こんなふうに私に口をきくなんて。あまつさえ口答えをするようになるなんて」
エリーは刹那の頭に手を伸ばし、その額をかるくこづいた。
「これだから、ニンゲンのこと、嫌いじゃないですよ」
「先生……」
「刹那。わたしの名はエリクシア。賢者の水にして、ひとつとなりより来た方士・徐福と、吸血鬼エリザベートの娘。今は……愚かな双子の弟を追っているところ」
「え」
エリーは緩やかに笑った。
「そういうわけだから、名を呼ぶことは控えるよう。これからも先生とお呼びなさい」
「……はい、先生!」
話が終わると、エリーは素早く布団に潜る。血を失って乾き切った体を癒す必要があった。
(気を張らなくてもいいというのは、いいことだわ)
刹那は布団を早くも散らかして横になっているが、眠っている様子はない。普段通り、エリーが眠る間、護衛として徹してくれるらしい。
(……いいこと、だわ)
心地いい安心感の中で、エリーは目を閉じた。乾いた体の中を、ゆっくりゆっくり血が巡っていく。不老不死の霊薬にして、賢者の水──。
エリクシア。
それは、後に伝説となる、方士の名である。
了
徐福の娘 呪いの姫と刹那の太刀 紫陽_凛 @syw_rin
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