第一話 元英雄は影を歩む


 視界に光をとらえた。

 ……ここは、どこだ?

 よく見えない。


 俺は、どうして生きているんだ?


 あの状況で生きられるなんて、あるわけがない。


 だが、体はうまく動かない。

 やはり、どうにかして生き残ったのだろうか。これがダメージによるものなら、当然な気がするが。


 赤子の鳴き声が聞こえる。

 本当に、ここはどこだ?


「はいはい、ちょっと待ってね」


 女性の声?


 不意に感じたのは、抱き上げられた時のような浮遊感。


 体が勝手に動き、何か、柔らかいものを口にくわえる。


 そして口内に広がるのは、独特の甘み。


 ……ちょっと待て。

 これは、夢か?

 走馬灯というやつなのか?


 死ぬ間際に、赤ん坊の頃のことを夢見てるという事か?


 いや、それにしては意識がはっきりしすぎている。こんな生々しい感触の走馬灯なんて、聞いたことがない。


 ……この状況、心当たりがないわけでもない。

 しかしあれは物語の中の話だ。


 俺たちだって、ずっと戦いばかりではさすがに色々持たない。魔王を倒すための旅の途中、富裕層向けの本を買うこともあった。


 その中に前世の記憶を持ったまま生まれた主人公の話があったのだが、たしか“転生”だったか? 今のところ、それ以外に思い当たる状況がない。ないのだが。


 くそ、腹いっぱいになったら眠くなってきたぞ。

 ダメだ、今は寝てしまうしかない、か……。



◆◇◆

 あれから十二年経った。

 もう俺も冒険者になれる年齢だ。


 物心ついた、というのは間違っているかもしれないが、一般的にそういう年齢のころから鍛錬を始めた。

 身体能力や魔力量はともかく、技術に関しては前世のそれをそのまま継承している。そこらの大人よりはよっぽど強い。


 あれから、というか転生したのだという現実を受け入れてから色々考えた。

 すなわち、復讐をしたいのか、ということだ。

 まあ、こうして村で――俺が生まれたのは、俺を処刑したのとは別の国にある小さな村だ――平和に暮らしていることからもわかるように、そんな気はさらさらないという結論になったのだが。


 そもそも、俺は魔王を殺せば本気で平和になると思って旅に出たんだ。復讐に走って守りたかった平和を、人々を殺すなんておかしな話だろう。

 中にはそんな話もあるとラピスの奴が言っていたが、俺は見たことないな。あいつは時々よくわからんことを言っていた。


 話がそれたが、復讐をするという選択はそもそも俺にはなかったのだ。


 新しい両親や、前世では持たなかった兄弟、それに村の連中への恩を無下≪むげ≫にすることになるという理由もある。

 俺が早くから鍛錬を始めたのは、その恩返しをしたかったからだったが、三年ほど前か、事情が変わった。


 新たな魔王が生まれたのだ。


 魔王には二種類ある。

 魔族という種族の最も強い者が魔王に至るパターンと、魔物が進化を繰り返し、魔王に至るパターンだ。


 前回は後者だったが、今回は前者らしい。


 そこで俺は再び考えなければならなかった。


 もう一度、英雄になることは可能だと思った。


 だが、英雄は本当に必要なのだろうか?

 先代の魔王を倒し、俺たちが処刑されてすぐ、世界は戦争を始めたのだそうだ。

 それで死んだ人間は、魔王が生きていた頃とどれだけ違ったのか。


 魔王が生きている間は、魔王が抑止力となって戦争は起きなかった。いや、起こせなかった。聞いた限りではあるが、戦争で死んだ人間のほうがはるかに多いようなのだ。この村にも、戦争で難民となって流れ着いた人間が何人かいる。


 俺は思ったのだ。魔王が生きたままのほうが、世界は――少なくとも死者の数と困窮する人々の数において――平和なのではないかと。


 そして決意した。

 十二になったら、冒険者となって世界を見て回る。そして、その結果いかんでは、魔王を生かして抑止力になってもらおうと。





◆◇◆

 とか思って旅立ったのが、二年前だ。


 結論から言おう。


 魔王は必要だ。


 そして英雄は要らない。


 冒険者登録をして。各地を回ったがひどいものだった。

 かつて魔王討伐パーティとして訪れた、豊かな自然美しかったはずの国は戦火に焼かれて荒廃し、荒れ地が目立つようになっていた。

 スラムですら他国の村人より良い暮らしをしていることで有名だった国の都市の外壁の周りは戦争難民であふれ、疫病の蔓延する巨大なスラムが出来上がっていた。

 民衆に愛された賢王の治めた小国は、大国の圧倒的な武力の前に敗れ、奴隷の産出地と化していた。


 もし、前世の、英雄としての俺ならば表立ってどうにかできたかもしれない。


 しかし今の俺にそんな名声はない。

 ただのCランク冒険者に過ぎない今の俺では、いくら実力があろうとその声を広げることはできないのだ。


 だから俺は、影に生きることにした。

 もちろん、表向きは冒険者を続ける。その方が都合のいいこともあるからだ。


 やることは言うだけなら単純だ。

 新たに選ばれたという英雄候補の邪魔をしつつ、魔王の勢力を削る。


 簡単にいくはずがない。


 だが、これでも元英雄。最高ランクのSランク冒険者だったのだ。どうにかしてみせる。


 ……もう日が昇るな。

 今日の飯の種を探しに行くとしよう。あの英雄候補の若造どもが動き出すまでにはまだ時間がある。その前に餓死したってんじゃあ笑えない話だ。

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