第二十話 最も愛しかったもの

◆◇◆


 アルザスが落ち着いたのは、それから十分以上が経った頃だった。

 

「その、すまん。……感謝する」

「言ったろう。気にするな」


 先ほどとは違った理由で気まずげな友に、自然と人の悪い笑みが浮かぶ。


「しかし、老いたな」

「全くだ。お前が羨ましい」


 揶揄う俺に肩を竦める姿は、よく見慣れたものだ。俺の良く知るアルザスだ。

 つい頬を緩めてしまうが、コイツが態々尾行して機会を伺っていたんだ。そろそろ本題に入ろう。


「それで、用件は何だ」

「これをお前に」


 アルザスが懐から取り出したのは、真っ白な封筒。平民が使うような粗末なものではなく、スベスベした高級品で、蝋を使って封印がしてある。この紋章は、教会の中でも特に位の高い者しか使えないものだな。


 例えば、教皇や、聖女……。まさか。


「レティからだ」


 レティ。レティシア。教皇に並ぶ発言力を持った大聖女。嘗て俺の、ロイドの、妻だった女の名前だ。


「明日の昼過ぎに宿まで迎えを寄越す。会ってやれ」


 お前の為に何年も奔走したんだからな、と、そう続けるアルザスに、無意識のうちに了承の返事をしていた。

 これからしようとしている事を考えたら、とてもではないが、合わす顔がない。

 それでも、会いたかった。この世界の誰よりも。


 翌日、昼食を終えて少しした頃に迎えの馬車はやってきた。気遣いのできる彼女が寄越した馬車に大聖女の印が入っていたのは、珍しく独占欲を出してきたのかもしれない。

 お陰で宿の主人に訝し気な視線を向けられてしまったが、まあ必要経費か。


 貰った招待状には、酷く事務的な文面で時間と二人で茶会をしようという旨が書かれていた。普通はもう少し、時候の挨拶だとか、世事だとか、そう言った言葉も並べるものだが、俺達らしくてつい笑ってしまった。


 正直、緊張はしている。

 レティとお腹の子どもたちを残してアッサリ死んでしまったから、怒られるのではないかと戦々恐々だ。

 けど、それ以上に胸が高鳴っていた。年甲斐もない。いや、スコルとしての肉体年齢を思えば自然な事なんだろうか。


 なんて色々と考えている間に馬車はレティの住む離宮に到着した。使用人兼護衛と思しき侍女に連れられ、中へ入る。一応着てきた礼服はアルザスに渡されたもので、翡翠色を基調としたかなり良いものなのだが、首元が苦しい。どうにも前世を思い出してしまって苦手だ。


 離宮内は予想通り静まり返っていて、使用人も最小限らしかった。下の者に仕事を与えるためにも使用人は余分に雇う事が多いこの国だが、レティは自分のテリトリーへあまり人を入れたがらないからな。その分、執務の部下を多めに雇っているらしい。


 調度品の趣味は、変わっていないようだ。過度の装飾は無く、白いものが多い。


「こちらです」

「ああ、ありがとう」


 案内されたのは、離宮の中央にある中庭だった。彼女はもう俺の気配に気付いているだろうが、侍女の目があるのでノックしてから中庭への扉を開く。

 レティは、入口から少し入った辺りに作られたガゼボの中に座っていた。


 陽の光に煌めく白銀色の髪に、翡翠色の瞳。何よりも愛した女の静かな微笑みが、そこにあった。

 服は純白のドレス。首元を飾る瞳と同じ色の宝石は、俺が彼女が二十歳になる時に渡したネックレスだ。あの金色のイヤリングは、魔王討伐後の帰路で買ったものだったか。同じ意匠の腕輪を俺もつけていた。


「ずいぶん可愛らしくなったわね」


 日向から、日陰の俺にそんな声がかけられた。柔らかく耳触りの好い声だ。


「そういうレティは、また綺麗になった」


 アルザスよりもずっと若い彼女でも、さすがに皺のできる歳だ。しかし彼女の場合は、その皺が一層、彼女の美しさを引き立てていた。錯覚なのかもしれないが、少なくとも、俺にはそう思える。


「座って」

 

 レティは少し笑みを深めて目を細めると、一瞬だけ隣の椅子に目を向けながら言った。

 一瞬迷ったが、結局従う。丸いティーテーブルにはよく二人で食べていた焼き菓子と俺の好きな茶が用意されていた。旅の中でも作れるくらい簡単な菓子だが、彼女の作るそれは、他のどれよりも好きだった。


 椅子は、相手の顔と庭の両方が一度に視界に入るように置かれていた。軽く手を伸ばせば触れられる距離だ。恋人や夫婦の為に並べられるよりも少し近い。

 しかし今の俺だと、親子か、良くて年の離れた姉弟にしか見えないだろうな。


「それ、苦しいでしょ。誰も入らないように言ってあるから、緩めて言いわよ」


 レティが指したのは、礼服の襟元だった。


「助かる」


 襟を緩めて息を吐く俺を、レティは楽し気に見ていた。

 長く忘れていた空気が少しこそばゆくて、誤魔化すように茶へ口を付ける。


「……美味いな。レティが淹れてくれたのか」

「ふふ、正解。お菓子も私が作ったのよ」


 前より美味しいんだから、と自慢げにする彼女は、当時のままだ。つい、俺も頬が緩む。

 実際に焼き菓子は記憶にあるものより美味しくなっていた。少しだけ酸味が増していて味が濃いのは、子どもたちに合わせた結果だろうか。


「そういえば、あの子たちと一緒に戦ったそうね。驚いたでしょう」


 あまりにタイミングが良くてドキリとした。レティは俺の心が読めるのかと思う時がある。


「ああ、そっくりだった。何もかも」


 レティと同じ銀髪に、昔の俺と同じ真っ赤な瞳。それに、戦闘スタイル。あまりにも、似ていた。


「不思議よね、貴方と過ごした時間は無かったはずなのに」

「……ああ」


 少し悲し気に呟かれた言葉に、俺は曖昧な肯定しか出来ない。

 もし、何事も無く彼女と同じ時を過ごせていたのなら、あの子たちとも違う関係を築いていただろう。今の関係も悪くはないが、どうしても、思う所はある。

 アルザスに恨みはなくとも、アルザスを利用した奴らの事は許しがたかった。


 レティがそんな話をしたのはこの時だけで、以後は穏やかな時間が過ぎていった。油断したのだろう。甘えたかったのかもしれない。彼女は時々、不器用な甘え方をする。


 彼女が冤罪を証明し、俺たちの汚名を雪いでくれた事については何も言わなかった。話していて、それを望んでいないのが分かったから。伊達に聖女として慕われていない。それを言えば彼女は、自分が我慢ならなかっただけだと返すのだろうが。


 本当に、心地の良い時間だ。季節の花々や木々が飾る、よく手入れのされた美しい庭園。それに、レティ。これほどまでに穏やかな時間が、このスコルの生であっただろうか。


 壊したくない。俺のしようとしていることは、本当に最善なんだろうか。やはり他に方法があるんじゃないだろうか。

 この街に入ってずっと悩んでいたことに、答えは出ない。


 いや、出す決心がつかないというべきだ。


「ねえ、貴方、迷ってるでしょ」


 不意にレティが言った。


「何を迷っているかは知らないけど、答えは分かってる筈なのにこのまま進んでいいのか分からないって顔に書いてある」


 ……本当に、レティは俺の心が読めるんじゃないだろうか。こういうことは、初めてじゃない。

 彼女は真剣な表情で、翡翠の双眸に俺の黒い瞳を映す。


「進みなさい。真っ直ぐに。私の惚れた男は、ウジウジ悩んで下を向いてるような人じゃないわ。そうでしょう? ロイド」


 レティは最後にそう問いかけて、笑みを浮かべる。


「……ああ、そうだったな」


 そうだな、俺はロイドだ。かつて魔王を討った、元英雄だ。

 悩んでばかりは、らしくない。


 レティに背中を押されるのは何度目か。頭が上がらないな。


 一つだけ残っていた菓子を、すっかり冷めてしまった茶で流し込み、立ち上がる。


「ありがとう、レティ。愛してる」

「知ってる。行ってらっしゃい」

「ああ、行ってくる」


 決心はついた。

 あとはやり遂げるのみ。


 そう、全ては、人間の平和を守る為だ。


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