第十九話 許し
⑲
日常の喧騒と非日常の歓声が、晴れた空に響く。今いる宿の屋上から眼下を見下ろせば、聖都の名に相応しい白い街並み。その大通りの両脇に人々が集まって、今か今かと街の外に続く門の向こうを凝視している。
懐かしい、酷く懐かしい光景だ。
あれはもう、何年前になるのか。十年では済まない。二十年は経っている。
俺たちの諸外国を巡る旅の終着点で、魔王を討伐する旅の出発地点。それは今代の英雄候補、ジークたちにとっても同じだ。彼らもここから、魔王を討つため死の森に入る。
歓声が大きくなった。ついに来たか。
視線を門の方に移せば、確かに見覚えのある馬車が門を潜った所だった。
「いよいよ、か……」
思わず呟く。
いよいよこの時が来てしまったのかと。
魔王に挑む直前と同じような緊張を感じてしまう。
馬車の内にあっても分かる。強くなった。あの小さな
このまま死の森を超え、さらに力をつけたなら、未だ力をコントロールしきれていない魔王の娘では殺されてしまうかもしれない。
だから、ここまでだ。
これ以上、ジークを英雄に近づけない。死の森で終わらせる。それが最善のはずだ。
「ん?」
不意に視線を感じた気がして、馬車の進む大通りの先、この街のシンボルである大神殿の方を見る。だが誰もいない。
気のせいだろうか。いや……。
そういえば、レティも今はこの街にいるんだったか。あの大神殿で大聖女として余生を過ごしている筈だ。
俺たちが英雄になった時、彼女は俺の子を身ごもっていた。戦いと旅の為に魔法で成長を止めてはいたが、その子たちは、この街で育ったはずだ。そう思ってみると、なんだか感慨深い。
……今の俺には、関係の無いことだな。
視線を大通りに戻す。馬車の窓を開けて手を振るレイとルシアの姿が見えた。
まだ俺、スコルとあまり歳の変わらない二人だ。
他に方法は無いんだろうか。もっと良い方法は。
人間の平和を守るために、英雄候補たちを殺めずに済む方法があるのなら、俺は……。
数日が経った。
ジークたちは今、最後の旅に向けて束の間の休息をとっている。
レイとルシアは、母の下を訪れているだろうか。なんて考えながら朱に染まり始めた日差しの中、人の波を縫い、ついでとばかりに見下ろしてくる大神殿を横目に見る。
そんな事を気にするのは、今になって迷ってしまっている証左だろう。
ジーク達今代の英雄候補は、もう殺すと決めた筈だ。それなのに、どうして俺は迷っている?
情のある相手を殺すのは初めてじゃないだろう。
魔族の国での月夜を思いだす。
あの時、俺は誰よりも信頼していた嘗ての仲間と袂を分かち、その命を奪ったのだ。その結果別の友にまで拒絶されている。迷うなんて、今更過ぎる。
それでも、他にもっと良い方法があるんじゃないかって考えてしまう。嘗ての友たちやレティに胸を張って語れるような何かが……。
そんな思考の海に沈もうとしていた意識は、不意に感じた気配に引き上げられた。
「はぁ……」
出来ればもう少し、ゆっくり悩ませてほしかった。
思わず溜息を漏らしてしまう。
自然に路地裏へ入り、奥へ。もう少し歩けば人の気配が無くなると知っていた。
数は一つ。敵意は感じないが、非情に優れた斥候だ。ジーク達の誰であっても気が付けないような。
そんな奴に尾行される心当たりは、残念ながら幾つかある。一番知られてはいけない暗殺計画に関して疑われることは無い筈だが、それでも警戒してしまうのは仕方あるまい。
「何の用だ」
周囲に人目のなくなった袋小路で誰何する。周囲の建物の背は高いが、屋上まで上がるのに苦労はしない程度だ。
「なかなか敏感になったな、ロイド。いや、スコルと呼んだ方がいいか?」
「……ロイドで良い」
背後から聞こえた声に、思わず目を見開く。こっそりとした深呼吸は、きっとバレているだろう。
「久しぶりだな、アルザス」
振り返ると、記憶にあるより幾分も皺の多く、深くなった旧友の顔があった。彼はどこか気まずげに、すっかり変わってしまった俺へアッシュグレーの瞳を向けている。
「……老いたな」
彼の顔に刻まれた皺と、白髪の混じった瞳と同じ色の髪を見て思う。
「当然だ。あれから、どれだけ経ったと思っている」
それはそうだ。俺の年齢だけを数えても、二十近い年が過ぎている。
こういう時、どんな風に話していただろうか。以前なら自然と続けられていた言葉が、今は見つからない。
「その、なんだ、……元気そうで良かった」
だから、そんな社交辞令のような言葉を発してしまう。
本心だが、本心ではあるが、俺は今、上手く笑いかけられているだろうか。
「お前もな」
同じく社交辞令のように返してきたアルザスの笑みもぎこちない。
嘗て、ふと思い描いた老後とはかけ離れた現実が、ここにある。
……老後、か。
俺は、ロイドとしての生を老いる事無く終えた。そしてスコルとして老いる前に、アルザスの寿命は尽きる。
もう、彼と同じ時を歩むことは出来ない。
もっと言えばこの先、また顔を合わせられるのは何時になるかも分からない。
大きく息を吸って、吐く。
「アルザス」
ここで言わなければ、何時言うというのだ。
「なんだ」
様々な
「ラ……、ペルから、全部聞いた」
今の俺に嘗ての名を呼ぶ資格はない。今の名でも、アルザスには伝わる。
「……そうか」
絞りだしたような声と共に、彼の顔へ僅かばかりの恐怖の色が現れる。
それだけで俺は、何の妨げもなく、この言葉を伝えられる。
「俺は、お前を、許す」
自覚していた以上にすんなりと出てきた言葉に、安堵した。心と頭は、ちゃんと一致していた。
「……駄目だ」
胸を撫でおろし頬を緩める俺とは正反対に、アルザスは皺だらけになった顔を更にくしゃくしゃにして、歪めて、涙を流す。
「許さないでくれ。許される事ではない。俺はお前に、お前たちに、それだけの事をした! 何より俺が許せない! だから、頼む……許さないでくれ」
鍛えられた体の老父が、崩れ落ち、幼子のように地面を濡らす。
本当に、馬鹿みたいに真面目な奴だ。変わらないままだ。俺の知っているアルザスのままだ。
馬鹿な友人に歩み寄って、膝を突き、肩に手を置く。
「残念だが、俺はもうお前を許してしまった。ペルも同じだ。デミカスは知らんが、きっと許すだろう」
手から伝わる感触は、枯れ果てた老人のものではない。鍛えられた戦士のそれだ。
「だから、お前も許せ。自分自身を」
「だが……!」
顔を上げ、尚も言い募ろうとするアルザスを膝立ちで抱きしめ、それ以上の言葉を遮る。
「気にするな。仕方なかった。そう、仕方なかったんだ……」
「うぅ……」
路地裏の奥、愚かな友人は声を殺し、泣き続ける。
ずっと、自分を責め続けてきたのだろう。己の家族を守る為とは言え、俺たちを嵌め、死なせてしまったことを。
コイツの事だから、自害する事さえ視野に入れていたかもしれない。けれど家族を置いて逝くことも出来ず、今日まで生きてきたのだろう。レティも何かしら言って聞かせたのかもしれない。
何にせよ、もう十分過ぎるほどに贖罪を重ねている筈だ。
もう自分を許していい筈だ。
アルザスを恨む者はもう、居ないのだから。
「馬鹿だよ、お前は」
呟いた言葉は、俺たちだけの路地裏の蔭へ吸い込まれて消えた。
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