第十五話 赤く染まった宝石
ジーク達『流星の残光』と別れてから暫くの月日が経った。相も変わらず、彼らは各国の街を回って人助けをしている。彼らの実力なら容易く解決できるようなものばかりだから、先のベヒモスの時の様に急激な成長を心配する必要は無い。
次にその心配があるのは、俺が今向かっている街の依頼だ。アレは、彼らが壁を越えるキッカケとなるのには十分だ。そのまま全滅させられる恐れもあるが、きっと乗り越えてしまう。
それが英雄に選ばれる者だ。
だがそうなっては都合が悪い。
いつかの竜のように先回りして片付ける必要がある。だからこそ木々の深く生い茂るこの山を突っ切る事にしたのだが……失敗したかもしれんな。この山、記憶にある以上に魔物が多い。今は道程の三分のニ程。本来ならもう街に着いている頃なのにも拘らずだ。
「素直に街道を行けば良かったか」
思わず呟く。
いや、それでも街道を行くよりは早い。問題ないと思いたい。相手がアレで無ければ確信できたのだが……。
……ん?
あれは村か。こんな所に村があったとは。谷間に隠された地図にも載らない村か。
そろそろ日も暮れる。宿を借りられないか聞いてみるとしよう。
しかし、そうだな、この位置、出来れば暫く滞在したい。アレの居るはずの場所から目的の街よりも近いし、これだけ閉鎖的な場所なら人の目をあまり気にしなくて済む。
物資の意味でどれだけ準備できるかは分からないが、情報については集める必要もないし、拠点としてちょうど良いだろう。
そうだ、俺はアレをよく知っている。アレは、かつてロイド、或いは英雄と呼ばれていた頃の俺と仲間たちが倒しきれず封印するしか出来なかった魔物だ。
あの頃は俺たちもまだまだ未熟で、魂装の発現どころか存在を知る事すら出来ていなかった。今の俺がその頃に比べてどうかは分からない。いや、確実に強くはあるだろう。それでも正直、かなり厳しい。あの時は仲間たちがいたが、今はいないのだから当然だ。
それに、頗る相性が悪いのだ、アレと俺は。アレはそもそも物理攻撃が効きにくい上に、再生力が異常に高い。核を潰さない限り無限に再生する。
それでも何とかするしか無いのだがな。
ともあれ、まずは寝床の確保だ。少し足を早めて村に向かう。
遠目に見た通り、そこは村で間違いなかった。真ん中を小さな川が流れる、素朴という他ない村だ。家の数を見るに、人口は精々で百人。多くても二百人は居ないだろう。畑や家畜の種類からして、殆ど完全な自給自足だな。少なくとも行商人が来なくても問題なく生きていける程度には充実している。そもそも地図に載っていないような村だ。行商人が来ているかも怪しいか。
隠れ里の類と見て良さそうだ。
だがそうすると、宿を借りられるか怪しくなってしまうな。野宿する気でいよう。
村に入ると、こちらに気づいたらしい村人達がジッと視線を向けてくる。特に老人から向けられているのは、隠す気のない、警戒した視線だ。
「あんた、旅のもんか?」
畑の方から中年の男が声をかけて来た。彼は木で作った鍬を片手に持ったまま
ラピス風に言うなれば、第一村人発見だな。彼からはあまり警戒心を感じない。
「ああ。急ぎでこの先の街に向かおうと山を突っ切ってきた」
「ほー、若いのにそりゃ大したもんだ。うちの娘とそんな変わらんように見えるが」
男に疑っている様子はない。雰囲気の通り人が良さそうだ。
「暫くこの村に滞在させてほしいんだが、空き家か何かを使わせて貰えないか? 当然対価は払う」
「しばらくか? さっき急ぎとか言ってたろ?」
「この村の方が用のある場所に近いんだ」
男はなるほどなぁと納得した様子で頷いたあと、悩んだ様子で後頭部に手を当て唸る。 この男がどういった立場かは知らないが、少なくとも一存で諸々を決めてしまえる程偉くは無さそうだな。
「あー、そうだな、村長に聞いてみんことには答えられんな」
頼んでみてはくれるらしい。彼は来なと言って
歩きながら聞いた話によると、彼の名はタラネルと言うらしい。村内でかなり信用されているようで、特に年輩の者から向けられる訝しむ眼差しが、隣の彼に気づいた後は好奇のそれへ変わっていた。
「村長、いるかー?」
村の奥の少し小高くなっている所に、村長の家はあった。他の家に比べると二回りほど大きいか。集会所も兼ねているらしい。
「なんじゃ、タラネル。親子揃って」
出てきたのは後ろで束ねた髪を真っ白に染めた皺の多い老爺だ。穏やかそうな雰囲気で、よく笑っていそうな、そんな印象を受ける。
その彼の後ろに、もう一人。
「お父さん、どうかした? ……その人、誰?」
茶色い髪のタラネルとは違って、真っ黒な長髪で、父よりも鮮やかな赤い瞳。年齢は俺と同じくらいで、あどけなさの残る、しかし美人と言っても差し支えない顔立ちの少女
初めて見るはずの彼女だが、いつかにも感じたような既視感を、懐かしさを覚える。
彼女はやや下から俺を睨みつけるように、その猫のような目を向けてきた。
これは、俺を信用していない、いや、嫌悪すらしているように思える視線だ。
「旅の冒険者らしい。暫くここに滞在したいらしいんだが、村長、許してやってくれないか? 人柄としては大丈夫だろう」
「スコルと言います。この近くに用があって来ました。当然対価は払うので、滞在の許可をいただきたい」
極力彼女の事を気にしないようにする。タラネルの困ったような視線を見るに、何か理由があるのだろう。
「ふむ、わしは構わんが……」
村長はちらと少女を見る。
彼女は、いったいどういう人物なのだろうか? 一見すれば普通の村娘だ。外見は普通と言えないのかもしれないが、それも無いわけではない。
ただ、その外見に騙されてはいけないと、ある程度以上の実力のある者なら察せられるだろう。立ち振る舞いが戦いの心得のある人間のそれだというだけの話ではない。誰でも多少は持っていて、常に辺りに垂れ流している魔力。それを感じられない。つまりは、完全に制御している。大国の宮廷魔導士でさえ稀なことだ。
本当に、彼女はいったい……。
彼女はじっと俺を見る。やはり敵愾心すら感じられるその視線は、それでも少し、先程よりは和らいで見える。
「……い――この話は後。ちょっと行ってくる!」
その理由を知るのは、まだ後になりそうだな。少し前から感じていた気配が、確実に村へ近づいてくる。後でこっそり片付けるつもりだったのだが、まあ問題はあるまい。
「俺も行こう」
少女とは思えない速度で駆け出した彼女の後を追い、そして追いついた。後ろから頼んだぞという声が聞こえてきた。これもいつもの事らしい。
「私一人で十分よ」
「これから厄介になろうとしている身だ。これくらいはさせて欲しい」
「……ふんっ、好きにして」
タラネルと十分以上かけて歩いた道をものの数分で駆け抜け、村を出てなお疾走を続ける。その先にあるのは、無数の魔物の気配だ。その中にはAランククラスの気配もちらほら。明らかにおかしい。
「この森、前からこんなだったか?」
「そんな訳ないでしょ。ここ一、二年よ、こんな数も質も酷くなったのは」
彼女から返答があった事に驚く。こんな独り言で済ませられる呟き、正直彼女は聞き流すと思っていた。
いや、そんな事を考えている場合じゃないな。集中しなければ村に被害を出しかねない。
「先に行くぞ」
これには返事をする気がないらしい彼女に合わせるのをやめ、一気にスピードを上げる。そして直ぐに樹上に上がって枝葉の中へ紛れた。極力枝を揺らさないように蹴り、気配の群れを目指す。
見えた。あれは、マギアウルフの群れか。単体ですら平均Bランクの強力な魔物だ。上位個体はAランクにまで達し、群れの規模によってはSランクの災害と位置付けられる場合もある。
しかし、この森には居なかったはずだ。以前いたのはもっと下位の種類で、単体なら村の猟師でもどうにかなるような……。
兎も角、ここで殲滅しなければ小さな村など一瞬で滅ぼされてしまう。やるか。
まずは司令塔を潰す。
完全に気配を殺した俺を、奴らはまだ見つけられていない。
ならばと紫色の絨毯の中央に位置どる一際大きな個体目掛けて、頭上から短刀を振り下ろした。
マギアウルフの弱点は、額にある赤い宝石。彼女の瞳の足元にも及ばないような輝きの、濁った赤い石だ。
直前に気づいたらしいその魔狼は
「ちっ」
何か波のような振動を感じると共に群全体が急停止し、俺へと殺意を向ける。
俺はその牙が
先程の波、あれは魔狼が群を統率する際に使われる感応能力、意思疎通の為の魔力の波だ。その能力が魔狼の群れの脅威度を引き上げている。
また魔力の揺れを感じた。狼達が遠吠えをあげ、その身に魔力を纏う。直後、闇色の槍たちが俺へ向けて発射された。
槍は俺の乗っていた枝をその本体ごと破壊し尽くす。まともに食らえば、多少のダメージでは済まない。
こちらも遠距離で応戦しようにも、やつらの毒々しい色をした毛皮は魔法に強く、並大抵のそれでは傷一つつかない。
ヒットアンドウェイを繰り返すしか無いかと方針を定めた直後、村のある方向から莫大な魔力が膨れ上がるのを感じた。
「なっ、バカかっ!?」
思わず叫ぶ。
魔力の出どころは、先程の彼女。使おうとしている魔法はよく知っている大魔法。あんなもの、完成する前にマギアウルフ達の爪や牙の餌食だ。
魔狼達の意識が彼女へ向いた。狙いが、彼女へ定まる。
「クソッ!」
どうにか時間を作ろうと、彼女の魔力に反応した事で出来た一瞬の隙を狙う。振るった短刀は群れの長の首を断ち、群れ全体へ動揺を与えた。
しかしそれも一瞬。副官が指揮権を引き継ぎ、すぐに群れは少女を引き裂く。そんな未来が、脳裏を過ぎる。
「どいて!」
しかし、それが現実になる事はない。
代わりに見えたのは、雷を纏った氷の嵐。慌てて退避する俺の眼前で魔狼は氷嵐に飲み込まれる。
やがて風が収まると、そこに残ったのは氷で出来た森だ。煌めく氷の内には先程の魔狼の群れが閉じ込められている。命の気配は、感じられない。
「嘘だろ……」
いくらこの魔法でも、魔狼の群れ相手では普通、ここまでの効果は発揮しない。しかもその大魔法をものの数秒で構築してみせた。
そんな事ができる人間を、俺は一人しか知らない。
信じられない思いで彼女を見て、俺は再び目を見開いた。
「嘘、だろ……?」
そして漏れる、先程とは違った意味を孕んだ、同じ言葉。
彼女の横で浮かぶのは、彼女の髪と同じ真っ黒な表紙の、既視感を覚える分厚い本。色は違えど、役目を終えて閉じられ消えるその本を、俺は知っている。
「『
かつて俺と共に処刑された大魔法使いラピシリア、ラピスの
先ほどまでよりも明らかに気温の下がった森の中、周囲にもう魔物の気配がないのを確認して彼女に近づく。鞘に納めた小刀を握る手には、普段よりも力が籠っている。
……大丈夫だ。こいつは人間だ。問題ない。
己に言い聞かせ、小さく深呼吸する。
「言ったでしょ。私だけで十分だって」
当然のように彼女は言って、踵を返す。
「でもまぁ、あんたも中々やるわね。お陰で楽に撃てたわ」
こちらを見もしないままに彼女は言う。正直言って、天真爛漫をそのまま人型にした様なラピスとは結びつかない態度だ。それでも、『魂装』が証明している以上、間違いない。
「来い、『喰月』」
俺は小声で『喰月』を呼び、氷塊へ向けて構える。
「ラピス」
彼女が急に止まった気配がした。
「……誰よそれ」
誰、か。やはり間違いないのか。
後ろで彼女が振り向く気配を感じる。
俺がそうして判断したように、これが、一番わかりやすい。
「『氷塊を喰らえ 喰月』」
彼女の本と同じく漆黒に変じた月牙が鳴動する。淡く光を帯び、その飢えを乾かすように、俺へと訴えかける。
その訴えに差し出されるのは、俺の体温と魔力。氷塊の放つ冷気によるものとは違う、妙な寒気を感じ、虚脱感に襲われたのと同時に、喰月は眼前の氷を喰らう。森の中で煌めいていた巨大な氷の塊は、現れた時同様、瞬きの間にその姿を消した。
その光景に、ラピスが目を見開く。
「あんた、まさか、ロイドなの……?」
「久しぶりだな、ラピス」
幽霊を見るような目で俺を見つめる友へ返した笑みは、魔族の国以来久しく誰かへ向ける事の無かった、柔らかなモノだった。
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