第十四話 影を歩む者

 一瞬の硬直。それからどん、と地響きを立て、山のような巨体が地に伏す。それでいて尚見上げる程のそれは、もう身動き一つ取らない。森が静寂に包まれ、少し冷たい風が微動だにしない俺たちの間を駆け抜けた。


「終わった、のか……?」

「そうみたい、ですね」


 双子が漏らした言葉が合図となり、英雄候補たちは残心を解き、大きく息を吐いた。そして、ジークが微笑み、言う。


「僕たちの勝利だ。さあ、みんな、帰ろうか」


 血こそ流していないが、全員が身体の至る所を打撲している。魂装の使用によって魔力の殆どを使いつくしてもおり、ジークについては楯を持つ左腕を骨折している。それでも、その光景は英雄たちの凱旋と言って良いモノだった。

 俺もそっと溜め息を吐き、ポーションを口に含んで傷の治療をする。

 今回の闘いで、だいたいこいつらの実力もわかった。魂装も見れたし、残りの期間は適当に流すなり、言い訳でもして別行動を取ろう。


 そう考えた時だ。全身にまた、悪寒が走った。

 不味い、そう思った時、それは既に視界の端まで迫っていた。


「スコル!?」


 アンネの声が聞こえるが、対応している余裕はない。衝撃と同時に、全身の骨が砕ける音が響く。それでもどうにかその黒にしがみ付けたのは、直前に飲んだハイポーションのおかげだ。今この瞬間にも砕けた骨が再び繋がっていくのを感じる。

 その黒は、ベヒモスは木々を破砕しながら森の奥まで進み、ようやく止まる。ジークたちとの距離は、随分空いてしまった。


 く、こいつの再生能力のことをすっかり忘れていた。血まみれになっているせいで気が付かなかったが、始めに付けた右目のモノも含め、傷のほとんどは既に塞がってしまっている。ジークの付けた傷は脳まで届いていなかったようだな。


「まったく、しぶといやつだ」


 だが、まあ、ここまで運んでくれたのは都合がいい。これで、心置きなく使える。


「来い、『喰月』」


 胸に手をかざし、現れた柄を握って愛剣を一気に引き抜くと、漆黒の剣身が魔獣の真っ赤な右目を映す。

 この剣の危険性を本能的に察したのだろう、ベヒモスは一歩後ずさり、そしてその事に気が付いて、怒りの炎を再び燃え滾らせた。未だ喉の傷は癒えておらず、声の発せない状態だが、その感情を察せない俺ではない。


「怖いのか」


 そう挑発するように呟いても、動かない。どうやら後ろ足の感覚戻っていないらしく、しきりに気にしている。それさえ無ければ、神速の突進で以てひき肉にしてやるのに。そう言いたげな瞳だ。


「安心しろ。すぐ終わらせてやる。痛みも無い」


 俺は剣を上段に掲げながらゆっくりと歩み寄っていく。

 供物は、残った魔力で十分だ。


「我が敵を喰らえ『喰月』」


 言霊に反応し、漆黒のオーラを纏った『喰月』。それに映る怯えた紅蓮はドンドンと大きくなり、そして、闇に呑まれた。


「ふぅ……」


 残った魔力の八割ほどが吸われる感覚に気だるさを覚えつつ、俺は『喰月』を仕舞う。ジークの付けた傷に沿って脳を削ったから、恐らくはバレない筈だ。

 それから近くの木に凭れ掛かり、近づいてくる五つの気配を待つ。

 あいつらには、最後の悪あがきだったらしいとでも説明するとしよう。


 月日は流れ、ベヒモス討伐からひと月が経った。つまり、俺の仮入隊期間の終わりだ。

 あれから一つの街を通り過ぎ、今いるのがジークたち『流星の跡』と巡った三つ目の街になる。そして、最後の街だ。


 その街の門の前で、朝靄に包まれながら別れの挨拶を交わす。彼らはまだもう暫くこの街に止まるらしい。馬車の修理をしていた騎士たちが合流して大所帯になった分、直ぐには動けないからだ。アンネは分かりやすく残念だと顔に浮かべ、ルシアは前世の俺と同じ真っ赤な瞳に涙を浮かべていた。


「考えが変わったら、いつでも言ってほしい」


 特に引き留めるでもなく次代の英雄は碧眼に笑みを浮かべる。

 

「まあ、変わればな」


 そう言って肩を竦めると、ジークは笑みに苦みを加えてハルガへ振り返った。彼は特に反応を返したわけではないが、きっと仕方ないとでも心の中で呟いているのだろう。

 朝靄が薄れ、辺りに人の姿も増えてきた。つい先ほどまでは急いだ様子の旅人や行商ばかり目立っていた街門前の広場が次第に賑やかになる。まだまだ人は増えるだろう。そろそろ俺も出発しなければならない。

 そう思って、口を開こうとした時だった。


「スコル! 正式にパーティーへ入らなくてもいいですから、また一緒に食事したり、旅しましょうね!」

「俺からもお願い、スコル」


 レティシアによく似た銀色の双子がそう言ってじっとこちらを見つめてきた。

 俺のしようとしている事を考えれば、いずれこいつらとは敵対することになる。それは分かっていた。それでも、この双子の目を見ていると、そうならない未来を願ってしまう。だからだろう。


「……考えておく」


 ハッキリと否定できなかった。

 踵を返して歩き出した俺の背中に嬉し気な視線を向けられるのを感じる。それが何だか心地よくて、気恥ずかしくて、知らず知らずに歩みを早めてしまっていた。


「それじゃあ、また会おう!」


 その叫びには、ただ右手を上げて応えるに止めた。


 『流星の残光』、か。いいパーティだった。本当に。

 レティシアはどうしているだろうか。アルザスは、引退してどこかの要職についているかもしれないな。あいつも所帯を持っていたはずだ。

 それと、ラピス。あいつも、どこかで生れ直しているのだろうか。だとしたら、……いや、よそう。

 今は兎に角、新たな英雄を生まない事だけを考えよう。この、人間の平和を守るために。例えその為に何を犠牲にしたとしても。


「そう、俺が守りたいのは、人間の平和なんだ」


 その呟きは風にかき消され、空へと消えていった。

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