第十三話 新たな光

「Gaaaaaa!?」


 刃はその半ばまで沈み、絶叫が森に響き渡った。

 ベヒモスは暴れ狂い、その苦痛から逃れようとする。しがみつく俺の存在を認識はしているのだろう。段々とその動きが俺を振り落とそうとするものに変わってきた。

 好都合だと上体を跳ね上げるのに合わせて奴の顔を足裏で蹴り、一気に刀を引き抜く。

 どす黒い血と共に空高く舞い上がった俺からは、奴の全貌が良く見えた。森から飛び出してきたジークが親指の爪程にしか見えないのに対し、奴の体躯は両手いっぱいに広げて尚隠れ切らないほどだ。

 残った左目が嚇灼かくしやくとして俺を睨み、俺の背丈ほどもある太さの双角が振り上げられようとする。


 だがそれは叶わない。雷を纏った橙色の炎に横っ面を殴りつけられ、ベヒモスはその身を硬直させることになった。


「堅いな」


 ハルガがそう言うのも無理はない。今のはドラゴンの鱗を貫くにも十分な威力だった。にも拘わらず、角にひびを入れるので精一杯なのだから。

 着地し、ベヒモスの死角を目指して駆けると、ジークが盾を構え、ハルガを狙った角の一撃をいなしているのが見えた。上手く受け流してはいるが、それでも表情は険しく、辛そうだ。


 俺とアンネで関節を狙い動きを邪魔しようとしているが、意にも介していないのがわかる。精々、小蠅が鬱陶しいというくらいか。魔族の街で手に入れた猛毒も使っているのだが、効いている様子はない。Aランク相手にも通じるような劇物なのだがな。

 一番効いているのはレイの大剣か。ジークの受け流した隙を狙って健を断つように斬り付けている。しかしそれも分厚い表皮を割くことしか出来ていない。

 更にはただ歩くだけでも、真面に当たればポーションやルシアの魔法による治療が必要なほどの傷を負わせられてしまうのだ。

 どうしたものかと考えていると、奴の腹部が大きく膨らむのが見えた。


「咆哮だ!」


 ジークの叫びと同時に全身、特に耳の周りを魔力で覆う。直後、全身を魔力を纏った強い音の衝撃が襲い、森との境界ギリギリまで吹き飛ばされた。


「全員無事か!?」

「大丈夫だ!」

「こっちも平気!」


 各々が無事を伝える。全員ダメージは受けているようだが、致命的な様子はない。ルシアが咄嗟に障壁を張ったからだろう。全員を守るには間に合わないと思ったのか、衝撃の出元であるベヒモスの口元に多重の障壁が張っていた。良い判断だ。強度も平均的なベヒモスなら問題なかっただろうが、相手が悪かったな。

 巨躯の下で双剣を振るうアンネの動きも良いし、なるほど、英雄候補として申し分ない。このまま成長すればいつかあの魔王の少女を討つこともできるかもしれない。


 っと、そんな事を考えている場合ではないようだ。ベヒモスは頭部を低くし、こちらを睨んでいる。これは、突進がくる。

 そう思ったと同時に、やつの筋肉に力が入るのが見えた。考える前に俺の身体が動き、左へ跳躍する。地面を転がるようにして起き上がると、後ろの方で木々の破砕される音が轟いた。見ると、やつの身体の幅に合わせた道が新たに出現している。


 蟀谷こめかみを伝う汗の感覚。見えなかったのだ。やつの動きが。

 もし瞬きする間があったなら、俺の身体はあの木々と同じように木っ端みじんとなっていただろう。


「まったく、厄介なやつだ」


 言いながら顔が引きつるのを感じる。

 これは、『喰月さんげつ』の使用を考えなければいけないかもしれない。


「スコル! 次が来る!」


 ジークの声が聞こえるのと同時に、再度身を投げ出す。ついさっき聞いたのと同じ破砕音の直後、すぐ横を通り過ぎる巨大な影が見えた。やつは身体を反転しながら停止し、忌々し気にこちらを睨む。


 ああ、本当に良かった。今のジークたちだけでは、確実に誰かが死んでいた。俺だけでも勝てるかは怪しかっただろう。

 本当に、運の無いやつだな、ベヒモスよ。


「アンネ、スコル、ハルガで足止め! ルシアは障壁の準備! レイ、僕と喉を潰すよ! 全員、出し惜しみは無しだ!」

「了解」「はい!」「りょーかい!」


 良い指示だ。思わず口角を上げてしまった。

 彼に従い、アンネと反対方向へ弧を書くようにして走る。今奴は、片目を潰した俺に怒り心頭だ。その怒りのままに俺を追う視線は、アンネたちを視界の外へと追いやる。


「いいのか? 俺ばかり見ていて」

 

 その視界を覆ったのは、下位竜の群れすら殲滅する無数の氷槍。生み出したのはハルガと、彼の魂装『顕鏡けんきよう』。鏡のように煌めく水晶の杖は、持ち主の魔法を写し取り、顕現させた。


「Grrrrr……!」


 雨霰と自らの顔面へ降り注ぐそれを、ベヒモスはその強靭な体皮と魔力による防御でもってやり過ごす。そして前を見れば、そこには魔力を集中させた俺の小太刀だ。

 ギリギリで眼球への直撃は避けられたが、防御を一切考えない一撃は奴の瞼の上を切り裂いた。毒によって凝結作用を奪われた血液が止めどなく溢れ、唯一残った視界を塞ぐ。


 光を失ったやつは気配と臭いを頼りに暴れまわり、その角で、両足で、俺たちを物言わぬ屍に変えようとする。そして、バランスを崩して倒れ込んだ。

 

 立ち上がろうとするも後ろ右足に力が入らないのか、上手くいかない。アンネの魂装『奪蛇だつじや』によってのだ。

 紫光を纏った双剣に幾度と切り裂かれたやつの脚は、傷らしい傷を持たない。ただ感覚だけを奪われていた。恐ろしい能力だが、味方となれば心強い。


「Grrrruaaaaa!」

 

 ベヒモスは困惑しながらも、どうにか立ち上がり、その巨大で強大な双角を近場で魔力を溜めていたレイへと叩きつけようとする。

 迫りくる、暴威。それはその命を確実に奪ってしまうものだ。それでも、レイは動かない。


「ハァッ!」


 半ば殴りつけるようにして横から大楯をぶつけたのは、レイとの間に割り込んだジークだ。剛腕と技術によって受け流された巨角は大地を穿ち、その片方がついに折れた。宙を舞う堅角が地に落ち、砂煙を巻き上げる。


「Guuuaaa――」

「ハァァァァァッ!」


 怒りに満ちた声を上げるベヒモス。それを掻き消したのは、レイの気合いだ。彼の握る白大剣は烈火の如き銀光を纏い、魔獣の喉を易々と切り裂いた。

 いや、切り裂いたというのは不適切だろう。その傷跡は焼きつくされたように大きく抉れている。純粋な破壊の力。それがレイの魂装『滅月めつげつ』の能力だった。


 声を奪われ、全身から血を流すベヒモス。しかしその威圧感は衰えることなく、むしろ増している。明らかにおかしい。全身を襲うビリビリとした感覚に、嫌な予感がぬぐえない。あらゆる感覚が、警鐘を鳴らしている。

 そして気が付いた。やつの口内に集まる、膨大な魔力に。


「ブレスか!」


 恐らく奴の切り札。ドラゴンに匹敵すると言われるその魔力の殆どを込めた一撃だ。あれで薙ぎ払われては、逃げようがない。確実に全滅だ。

 思わず溜め息を吐いてしまう。何故ベヒモスがブレスなんて撃てるのか、小一時間ほど問いただしたい。しかもこの方向。おかげでこいつらに『喰月』を見せる事になりそうだ。

 そう思って、魂装を呼び出そうとした時だった。


「大丈夫です。任せてください」


 俺が何をしようとしたのかに気が付いたわけではないだろう。ただ何も知らない筈の俺を安心させようとしただけだ。このスコルの体と大して変わらない筈の彼女には、そう断言するだけの何かがあるらしい。

 本来であれば、彼女の実力であれを防げるはずが無い。俺が英雄として、ロイドとしてあった頃のレティでようやくどうにかなるレベルの破壊力を、あれは秘めているのだから。

 それでも、酷く懐かしいその姿に、最前列で蒼い宝玉の付いた白色の長杖を構える背中に、俺は大丈夫だと確信めいた予感を覚えた。だから信じよう。彼女を。


 ベヒモスが大きく口を開けた。そして迫る、破壊の息吹。視界いっぱいを埋め尽くした黒い魔力光は、大地も、空も、その全てを飲み込んでいく。広大な範囲を穿つそれを避けるのは、もはや不可能。やがて俺たち全員を飲み込み、遥か後方にあるはずの村にすら終焉を齎すだろう。

 だがしかし、その未来は来ない。それを、彼女が拒んだから。


「汝、その破壊を拒み、絶て『絶光ぜつこう』!」


 呟くように、しかし力強く唱えられた言霊に従い、彼女の杖型魂装、『絶光』はその能力を遺憾なく発揮する。極太のブレス以上に広大な面積を銀色に輝く透明な障壁が覆い、迫る暴虐を正面から受け止めた。

 それに揺らぐ様子はない。至近と言っていい距離から放たれた筈のブレスを、悲劇を拒絶する光。ただ安心感だけを感じさせる白銀しろがね。彼女が張ったのは、それほどに強力な障壁だった。


「ルシアのは絶対防御。どんな攻撃も防ぐよ」

「絶対防御……」


 そうか、お前も、その力を得たのか。レイと言い、そういう物なのかもしれないが、なんと皮肉なことか……。

 そう感傷に浸っている間にも黒色の魔力光はどんどんと薄れ、消えていく。それに合わせ、銀の盾も姿を消す。

 そして飛び出した、虹色の光。


とどめだよ」


 振るわれるのは、虹の剣。全属性の魔力が込められた、新たな英雄を象徴する一撃。


「虹よ、全てを纏い全てを穿て『纏虹てんこう』!」


 本来ならあり得ない、全属性を纏った魔法剣は、これまでで最高の威力を以て振り下ろされた。あのベヒモスがこれに脅威を感じないはずが無く、自信の命に届き得るそれへ残った片角を合わせる。非常識なまでに堅牢なはずのそれはしかし、虹を拒むことは出来なかった。虹の剣は、その軌跡にどす黒い赤を残す。肩口から首を通り、顔の右半分にかけてが切り裂かれ、魔獣の強靭な筋力によって鮮血が吹き出す。そして、それを為した英雄をくれないに彩った。

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