第八話 秘密


 アーグと初めて飲んでから、一週間が過ぎた。あれから二、三回飲む機会があったが、その時は別に変わった様子もなく楽しく飲めた。たぶん、俺を見張る目的もあったんだろうが、それはお互い様だからな。

 この一週間で探れた情報は、正直十分とは言えない。だが城に忍び込む分には問題ないはずだ。どの道、そろそろ中で情報を探らなければならない。


 部屋に唯一ある木製の窓を開け、空を見上げる。

 そこに見える月は細く、数日後には消えてしまうだろうことが伺えた。


 全身に軽く触れ、懐に手を忍ばせ、小太刀を抜き差しする。そして最後に仮面の位置を確かめて、俺は窓枠に足をかけた。


 周囲に人の気配が無いことを入念に確かめてから、向かいの屋根に向かって跳ぶ。着地は、全身の関節を使って柔らかく。まるで、猫のように。


 城に侵入できるルートは、三つ。その内脱出も可能なのは一つだけ。

 まずはその一か所を目指そう。


 音もなく闇夜の街を駆ける。

 走る屋根の上には当然人の姿は無く、時折猫が悠々自適に闊歩するのみだ。魔族の連中も昼に活動するのだから、俺としてはやりやすい。


 魔王の城は街の最北にある。それまでに通るのは、雑多な街。

 魔族に貴族という階級はない。強いものと、賢いものが尊ばれるのみで、血に価値は存在しない。唯一世襲的に指導者の地位にある、現魔王の一族は、強く、賢いからこそその地位にあり続けるのであり、そうでなくなれば簡単にその地位を追われてしまうのだ。

 その王を象徴とし、王の名のもとに議会が執政を行うのが、今の魔族の統治方式。その議会のメンバーは、定期的に行う試験で特に成績の良かった何人かが選ばれるらしい。

軍も完全な実力主義で誰もが最下級の兵から始めるのだから、表向きは、特権階級の存在しない制度ということになる。


 その辺り、工作がやり辛い部分があるのだが、実際にはしがらみが無いわけではない。王室もそうだ。やろうと思えばやれないこともない。


 どういった方針をとるにせよ、城内部の情報は不可欠だ。

 今は余計なことを考えず、この物干し用の紐が張り巡らされた街を抜けて城を目指すべきだろう。


 ――ここだ。


 城を囲う城壁から少し離れた路地裏の、L字に折れ曲がった袋小路の突き当たり。頭上を見れば他と同じように物干し用の紐が張られ、左右の壁沿いにはゴミ入れが備え付けられている。それだけだ。一見すると何ら変わったところはない。だが噂によると、ここには城内から続く隠し通路の出口がある。古の時代に使われた緊急避難用の通路だという話で、当然ながら調査も行われたが、結局何も見つからなかったらしい。


 その噂を聞いてすぐ、俺はこの場所を確認に来た。隠し通路が見つかったとして、それをバカ正直に言うはずも無いからな。そうしたら案の定、何かしらの魔力痕跡を見つけた。魔力を見る目がなければ気づけないような、小さな痕跡だ。

 どうやら特定の強さの魔力を特定の順序で石壁のブロックに流せば良いらしいという事は分かったのだが、それらを解読している余裕は無かった。


 だが問題は無い。

 懐から、風を生み出す魔力を持った巨大な爪を取り出す。縞模様の猫に似た魔物から手に入れた物だ。

 そして胸元に手を添え、自分自身とも言える相棒を呼び出す。


「<魂装>……来い、『喰月さんげつ』」


 胸元から現れた柄を握り、静かに引き出していく。

 やがて姿を見せたその漆黒の剣身は、建物の影に隠れて月明かりの届かないこの場所にあってすら、辺りの闇を飲み込んでいるかのような存在感を放っている。


 その巨剣の切っ先を壁に向け、例の爪を添えて言霊を紡いだ。


「我を隔てしを喰らえ、『喰月』……」


 触媒とした爪の半分ほどが塵となって消え、石壁が剣を中心とした円形に削り取られる。その穴を潜ろうとして、素早く振り返る。


「――っ!?」


 ……誰もいない。気のせいか?

 視線を感じたような気がしたのだが、それらしき気配はもうない。相変わらず猫の姿があるのみだ。


 それ以上は気にしない事にして、穴を潜る。そして残りの爪を消費し穴を塞いだ。


 穴が塞がると、その隠し通路に残るのはどこかから漏れ出す数筋の淡い光のみ。それでも夜目の利く俺にとっては十分な明るさだ。

 気をつけていてもなお響く自身の足音を聞きながら、ゆっくりと進む。


 通路に入ってすぐの所ではあまり気にならなかったが、一時的にでも風が通ったからだろう。ある程度進むと、かび臭さに顔を顰めることになった。


 足を早めたくなる気持ちを抑えながら石造りの通路を歩き続ける。

 漏れ出る光も無くなり時間感覚が麻痺してきた。体感的には、もう城の敷地内には入っているはずなのだが……。


 それからどれくらいの時間歩いていたかは分からないが、ある時、ふと風を感じた。どうやら近くに隙間があるらしい。匂いは……鼻が麻痺してしまって分からないが、タイミング的に通路の出口では無いだろうか。


 辺りを慎重に調べながら進む。


「ここか」


 壁に不自然な切れ込みを見つけた。少し離れた位置にも同じような切れ込みがある。


 周囲の壁に手を滑らせると、押し込める箇所があった。

 壁の開くであろう部分を避けて体を寄せ、静かにそのスイッチを押す。石壁は音もなく通路側にずれてスライドした。好都合だな。


 石壁にぽっかり空いた穴から見えるのは、地上の方へ延びる階段だ。隠し扉が開いた時、感じる気配はなかった。一応、鏡に階段の先を映してみるが、特に気になるものは見えない。このまま進んで大丈夫だろう。


 時々壁に松明が備え付けれらているだけの狭い階段を、ゆっくり上る。足音を立てないように、慎重に。

 ある程度上ると人の気配や足音が聞こえて来た。少し上の方にはいくつか光が漏れている所もある。


 一番近い光の出所は厨房らしく、食器の擦れる音が聞こえてくる。片付け中なのだろう。こんな遅い時間までご苦労なことだ。

 ここの入り口を塞いでいるのは食器棚か? 時間を選べば、いくらか話が聞けそうだ。


 それから何か所か出入口らしき場所を発見したが、その向こう側がどうなっていたかは確認していない。まずは突き当りまで行くことにした。


 その突き当りを見つけたのは、何度か折り返しながら大体城の四階あたりの高さまで上った時だ。

 光が漏れ出ているようなところはない。あずはずの隠し扉を探しながら慎重に行き止まりまで行くと、すぐ左手から空気が流れ込んでくるのを感じた。同時に、壁の向こうにいる紛れもない強者の気配も。


 先代魔王とに近いレベルの威圧感だ。この先は、まさか魔王の居室か?


 息を殺し、耳を澄ます。

 聞こえてくるのは、すーすーという呼吸音。どうやら寝ているらしい。それでこの威圧感なら、予想戦力を情報修正する必要がありそうだ。……よし。


 他に気配がないことを確認してから隠し扉へ徐に手を伸ばす。どうやら回転扉になっているらしい。そのまま押し込んで僅かに隙間を作り、中を覗き込んで部屋の配置を確認する。場合によっては忍び込む必要があるかもしれないため、今のうちに確認しておきたかった。


 まず目に入ったのは、積み上げられた石でできた何か。おそらく暖炉。

 それから、本棚に、ドレッサー? 王妃のものか?

 床には絨毯か。好都合だ。

 

 視線を右へ動かす。

 入口の扉が左手の壁。取っ手の位置からしてここは死角だな。

 で、向かいの壁に窓。窓際に椅子とティーテーブル。椅子の上に載っているのは、ぬいぐるみ?


 ……まあいい。

 入口の向かいの位置にベッドがある。最後に魔王の寝顔でも拝見するとしよう。


 更に扉を押し、広がった隙間に体を滑り込ませる。

 そして静かに天蓋付きの豪華なベッドへと近寄った。


 ……思わずため息を吐きたくなってしまった。まさか、まさかだ。これだけの威圧感を放っているのが、魔王ではなくその娘だなんて。


 以前遠目に確認しただけだが、間違いない。

 どうする? まだ十歳かそこらでこれだ。もしこの少女が侵略を目論むことがあれば、人間側は抵抗することすら叶わないかもしれない。そうなれば『人間の平和を維持する』という俺の目的を叶えられないかもしれない。


 今なら、殺せる。『喰月さんげつ』を使うまでもない。右手でこの短剣を引き抜き、ただその喉元へと、突き立てれば良いだけだ。やるか? どうする?

 ああ、くそ、鼓動が煩い。唾を飲み込む音すら無駄に大きく聞こえる。落ち着いて考えさせろ。どうするのが正解だ?


 …………やめておこう。もしこの子が、今の魔王の意志を継いでくれるなら、俺にとっても都合がいい。態々危険を冒して、まだなんの罪もない十歳の少女を、可能性を潰す必要はない。ああ、これでいいはずだ。


 踵を返して、隠し扉へ向かう。


 今日は戻ろう。収穫は十分にあった。明日からは、昼間に張り込ま――。


「そう、そのまま、動いちゃダメ」


 すぐ後ろから聞こえた子どもの声に、首へ添えられた冷たい感触。視界の端に見えるのは、氷でできた刃。

 しかし殺意は感じない。


「起きていたのか」


 出来るだけ落ち着いた声を意識して、声の主、先ほど殺すかを思案した魔王の娘へと問いかける。


「いいえ、寝てたわ。ね」


 この子は?


「どういう意味だ?」

「そんなことより、いいことを教えてあげる」


 いいこと?


「国全体としては、人間の領域に侵攻する意思はないわ」


 ……俺が人間だとバレている。


「それを信じろと?」

「まあ待って。まだ続きがあるんだから」

「……」

「ふふ。ええ、国全体としては確かにない。国全体としてはね」


 国全体としては、ね。回りくどい言い方をする。


「何が目的――」

「大将軍ベルガネスト」

「……」

「その名前だけ覚えたら、まっすぐ、『黒猫』まで帰りなさい。いいわね?」


 首に添えられた冷たさが離れたのを感じる。もうこれ以上話すことはないらしい。

 気になることはいくつかあるが、答えてくれないだろう。


 背中に伝わる圧力に押されるようにして、開け放たれたままの隠し扉を潜った。


◆◇◆

 あれから二日程かけて、大将軍ベルガネストを探った。あの少女の言うことを信用したわけではないが、無視のできる情報ではない。

 結果から言えば、たしかにベルガネストは独断で人間の領域への侵攻を企てていた。確信の決め手になった書類があっさり見つかったのは、何者かの意志によるものなのか、はたまたベルガネストが間抜けだったのかはわからない。彼は武力に秀でるのみで、おつむの方の出来は然程良くなさそうだったから、どちらもあり得る話だ。


 もし前者であったなら、その下手人と思われるのは魔王の娘だが……。

 ベルガネストを探る傍ら、彼女にも注意を向けていたが、どこからどう見ても年齢通りの少女でしかなかった。あの夜のような怜悧な雰囲気は感じられず、圧倒的な威圧感を放っているわけでもなく、ただ無邪気に遊び、勉学に励んでいた。


 彼女には何か秘密がありそうだ。

 何か知っているとしたら、アーグだが……うん?


 手に持っていたコップを机に置き、窓から顔を出す。

 視線の先にいるのは、挙動不審に路地裏へ入っていくアーグだ。

 何か手に持っているようだったが、それが何かまではわからなかった。


 ……俺の勘が囁いている。今すぐアーグを追えと。

 こんなことをしている場合ではないのかもしれないが、いや、時には息抜きも大事だろう。

 彼は職務に忠実で、まじめな男だ。それは間違いない。実際、危ないことをしているという雰囲気、そう、魔王の娘の話をした時のような鋭い雰囲気は感じなかった。

 どちらかと言えばあれは、夜中にこっそり家を抜け出して、好きな子のところへ遊びに行くときのような……。


 そう思った時には、もう足が動き出していた。

 足早に宿の階段を降り、通りへ出る。


 ああ、こんな気持ちはいつ以来だろうか。間違いなく、肉体に精神が引っ張られている部分はある。そうでなくても、男にはいつまでも子どものような部分が残ることが多いのだ。今俺が、いたずら小僧のような気持ちで友人の跡を追いかけているのは、何ら不思議なことではない。


 年甲斐もなく踊る胸を抑えつけながらアーグが消えた路地まで来ると、一度止まって気配を探る。

 まだもう少し先にいるらしい。

 すぐさまその路地へと入る。


 一気に人の気配が消え、代わりに猫が増えた。

 アーグの姿は見えないが、少し先の小道から押し殺したような声が聞こえる。少し高いがアーグの声だ。


 足音がしないように慎重に進み、小道を覗き込む。

その先では――。


「ははは、タマちゃん、そんなに焦らなくても大丈夫だよー。ちゃんとみんなが食べられるだけ持ってきたからね!」


 ……あれは本当にアーグか? いや、外見は完全にアーグだ。深い藍色の髪に同色の瞳、額に短い角。うん、間違いない。

 たくさんの猫に囲まれて少し、いや、かなり緩んだ顔をしているが。


 声をかけるべきか、少し迷ってしまうな。


 ……よし。


「よう」

「っ! ス、スコル?」


 とりあえず声をかけてみたが、驚きの声を上げた後はすっかり固まってしまった。あ、タマとやらがジャーキーを根こそぎ咥えていったな。

 他の猫も追いかけて行ったから、もうこの場に猫はいない。

 アーグもそのことに気が付いたのか、無骨な顔に寂しそうな表情を浮かべている。


「悪い、邪魔したな」

「あ、ああ、いや、いい。気にするな。……なんだ? 俺の顔に何かついているか?」

「……いや、そういうわけじゃない。古い友人に似たようなやつがいてな、懐かしくなってたんだ」


 そう言うとアーグはキョトンとした顔をした。


「似たような?」

「ああ、今のお前と同じように、酷く緩んだ顔で猫をかまってたんだ。もっとも、そいつはもっとガタイの言い大男で、おっさんだったがな」

「はは、そりゃいい。気が合いそうだ。今度紹介してくれ」


 ……ああ。紹介できれば、気はあっただろうな。


「……」

「……すまん」

 

 絶句してしまい、返事を返せなかった俺の雰囲気から察したのだろう。アーグは表情を曇らせ、謝ってきた。


「いや、いい」


しばしの間、沈黙が続く。

 そうしていると、猫が何匹か戻ってきた。

 その内の一匹の所へしゃがみこんで、あごの下を撫でてやりながら口を開く。

 

「……そいつは、お前にそっくりな性格でな、頼りになる大楯使いだったよ」

「……そうか」


それからゆっくりと、アーグにデミカスとの思い出を語った。

 今、アーグがどんな表情をしているかはわからない。どんな思いで俺の話を聞いているのかも。

 アーグはただ相槌を返すばかりで、何も言わない。だから俺は、それをいいことに、自身の胸の内を吐露した。どこかに、あいつを、あいつらを死なせない道があったのではないかと。


「――悪いな、こんな話を聞かせて。無性に話したくなったんだ。どうかしてた」

「気にするな」


 どれくらいの間話していたかはわからない。なんでアーグにこの話をしたのかもわからない。さすがに精神的に参っていたのかもしれない。これまで周りに心を許せる者もなく、独りで戦っていたのだから。そんなときに、デミカスそっくりのアーグと、会えたのだから。


「そろそろ宿に戻る。どうだ? このまま一緒に飲まないか?」

「……そうだな、いや、やめておく。……実は休憩中に抜け出してきてるんだ」


 アーグはそう言って、右頬をかいた。

 

「……そうか。それなら仕方ない。それじゃあな」

「ああ」


 ……本当に、デミカスそっくりなやつだな。


 なあ、アーグ。

 なんでそんな嘘を吐く? なんでそんな、思いつめた顔をする?

 

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