第九話 暗夜

 今夜は新月。街にある明かりは星々のみで、夜目の効く種族の魔族たちも既に活動の場を屋内へと移している。

 そんな時間に、音もなく屋上を駆ける。

 時折猫からの視線を感じつつ向かう先は、大将軍ベルガネストの休む王城の一角だ。忍び込むルートはベルガネストのいる部屋のすぐ近くに出られるものを使う。ここ数日の監視で毎回使っていたルートだが、今のところバレている気配はない。


 張り巡らされた魔術式の罠の隙間を縫って城壁を超え、眼下の木へと飛び移る。

 生い茂った葉の隙間から見えるのは、地上四階にある目的の部屋の窓だ。一見すると何の変哲もない窓で簡単に侵入できそうだが、目に魔力の膜を作ってみると、そこにはぼんやりと光る幾何学模様があるとわかる。十中八九防衛用の罠だ。

 今日に限って罠が作動していないなんていう僅かな期待は打ち砕かれてしまったが、もともとそうであれば幸運であるという程度のものだ。予定に変更はない。


 巡回している兵士が通り過ぎて行ったのを確認して樹上から飛び降りると、あらかじめ決めておいたルート通りに姿勢を低くして駆け抜ける。そして地面と建物の壁を一度ずつ蹴って少し出っ張った屋根へと手をかけた。

 

 その屋根の上で一度静止し、周囲の音を探る。


 ――気付かれた気配はないな。


 ここまでは順調。だがどうにも嫌な予感がする。慎重に行こう。


 今いる建物は地上四階。以前忍び込んだ塔よりも低い。つまり見つかる危険があるということだ。

 音をたてないように、かつ素早くベルガネストのいる部屋の真上へ。


 そして『喰月(さんげつ)』を引き抜き、懐から以前も使った魔物の爪の欠片を取り出して添える。


「我を隔てしを喰らえ、『喰月』」


 静かに唱えた始動の言霊が闇夜に消え、生贄に捧げた欠片が塵となる。漆黒の大剣が向けられる先は、数歩先の屋根。屋根は大剣の幅を直径とした円形に削られ、その向こうにある床の紫色が見えた。


 その穴から中を覗き込むと、標的はベッドで寝息を立てていることが確認できる。他に気配は、ない。


 そのまま床に降り立ち、足音を高そうな絨毯が吸収してくれるのを幸いに枕元へ近づく。

 布団から覗くのは厳つく、たてがみを持った猫のような顔。起きる気配はない。


 しかしあの魔王の娘のようなことがあるかもしれない。だから、静かに、素早く。


 一瞬ベルガネストが目を見開き、何かを叫ぼうとする。しかし叶わない。その喉が吐き出すのは鉄臭い液体ばかりで、空気は俺が短剣の刃を通した裂け目から漏れ出ていく。


 大量の血液が布団を染め上げていくが、ベルガネストの目からは未だ光が消えない。それどころか、片手で傷口を抑えながらもう片方の手で貫手を放ってきた。

 中途半端な体勢での一撃をくらうほど油断してはいないが、しぶといやつだ。


 放っておけば死ぬだろうが、時間がかかりそうだな。かと言って即死させられるような急所を狙えば捨て身のカウンターが飛んでくるだろう。この状況で明らかに誘っている。

 ならば動きを封じさっさと退散しよう。あまり長引くと他の奴らに見つかるかもしれない。夜明けが近い時間帯を選んでいるのだから尚更だ。


 逆手に持っていた短剣を翻し、今避けた獣のような腕の腱を切る。続けて伸びてきたもう片方の腕の腱も切り、乱れた布団をはぎ取って両足も裂く。


 ようやく大人しくなった。こちらを恨みがましく睨みつけてくるが、その目にもう力はない。

 再度耳を澄ますと、廊下が少し騒がしい。少し暴れられた事で不審に思われたようだ。

 まだどの部屋から聞こえてきたのかはわかっていないようだし、この部屋へ誰かが来るよりベルガネストが事切れる方が先だろう。


 侵入してきた穴の下まで移動し、屋根へ上がる。穴を塞ぐ必要はない。

 そのまま屋根伝いに走って脱出経路に想定していた隠し通路を目指した。


◆◇◆

 一度宿へ戻り、荷物を持って南西へと向かう。そしてそのまま街の外壁を超えた。


 主に街の外を見張っている兵士たちは俺が通ったことに気付かない。唯一、木箱の陰でくつろいでいた猫だけがこちらに視線を向ける。


 もう外壁は見えない。ここまでくればもう大丈夫だろう。……と思ったのだが、どうにも胸騒ぎが治まらない。スピードを少し落とし、警戒しながら進む。


「……はぁ」


 思わずため息が漏れた。

 先の方に感じてしまった気配に覚えがあった。

 できれば、勘違いであってほしい。だが、次第に見えてきた人影が、その願いが叶わないものだと告げていた。


 足を止め、その人影へ問う。

 

「……どうして俺がこっちへ来ると分かった?」


 見慣れない鎧姿に、見慣れた藍の髪と瞳。


「あの方が教えてくださったんだ」


 その人影、アーグが短く答えた。

 

「あの方?」

「ああ、お前もあったことがあるだろう?」


 近衛のアーグがそう呼ぶ人間など限られている。


「魔王の娘、か」


 返事は、首肯。


「だがどうやって?」

「街中に猫がいただろう。あの方は彼らの視界を通してお前を見ていた」


 ……なるほどな、道理で。しかし――


「教えてもよかったのか?」

「ああ。許可は戴いている。それに、スコル、俺はお前に提案しに来たんだ」


 提案だと?

 一先ずは続きを促す。


「スコル、一度捕まってくれないか?」

「……本気で言っているのか?」

「ああ。もちろん安全は保障する」


 ……嘘をついている気配はないな。


「あの方の意の通り、お前はベルガネストを殺した。その事については礼を言おう。しかしこのままだと、奴の派閥の連中が我々侵略反対派の陰謀だと言って騒ぎ出すだろう。下手をすれば内乱を起こすかもしれない」

「陰謀についてはまさしくその通りだろうが。それに、内乱を起こすなんて馬鹿な真似、本気ですると思っているのか?」

「……残念ながらな」


 ……魔族も人も、やはり変わらないか。


「それで?」

「一度ベルガネスト殺害の犯人として沙汰を受けてほしい」


 ベルガネストの派閥の奴らが反対派を攻撃する口実を潰そうという魂胆か。

 

「王城への不法侵入と重要人物の暗殺で死罪になるだろうが、安心してくれ。処刑したフリをするだけで、その後はあの方直属の裏の部隊の一員として取り立てる手はずになっている」


 ……はぁ。この提案、俺が魔族として転生していたなら、受けていたのだろうな。アーグのやつは本気のようだし、悪い話でもなかった。俺が魔族なら。


「すまんな、アーグ。その提案は受けられない」

「そうか……」


 そのまま歩き出そうとして、飛び退る。

 アーグから感じるものは、先ほどとは打って変わって、強い殺気。


「残念だ、スコル。断るというのなら、殺して連れていくしかない」

「お前とは戦いたくなかったんだがな」

「それは俺も同じだ」


 本当に、残念だ。ここで死ぬわけにも、足止めされるわけにもいかないんだよ。

 魔王を利用して人間の平和を守る俺の目的に、あの娘が賛同してくれるかはわからない。そもそも魔族以外で何かあった時、ここからではすぐに駆け付けられない。それではダメなのだ。


 改めてアーグの装備を見る。

 王国近衛兵の黒い全身鎧に黒い盾。おそらく魔法金属性。それから長めのショートソード。左手に盾、右手に剣のオーソドックスなスタイル。

 正面からやっても勝ち目はなさそうだな。なら。


 真っ直ぐに駆け寄り、剣の間合いのすぐ外で右前へ方向転換。アーグの盾で視界が遮られた瞬間に跳ぶ。

 先ほどまでアーグの右後ろだった位置に着地し、俺の動きに合わせて左へ向いてしまった彼の左肩関節めがけて短剣を振るう。


 しかし流石と言うべきか。風を切る音に反応して、こちらを見ることなく甲冑で刃を逸らしてきた。

 滑る刃を押しながらこちらへ向き直ってくる。俺の体勢を崩しつつ盾で殴りつけるつもりだ。

 勢いに逆らわず進み、盾の届かない位置まで進む。先ほどとは違ってアーグの目はきっちり俺を捉えているから切りつけても簡単に逸らされて終わりだろう。


 だったらと態と隙を晒してみるが乗ってこない。

 本当にやりづらい。デミカスとやりあってる気分だ。


 闇夜の草原に何度も金属音が鳴り響くが、互いにダメージを受ける気配がない。

 彼の攻撃が俺を捉えることはないが、俺の攻撃も彼には届かない。


 距離は取らずにどうにか盾の内側へ潜り込もうとすると、剣撃に邪魔される。隙を作ろうと思ってもその牽制程度の剣撃を逸らしても反撃ができるほどにはならない。体術でどうこうするにはあの鎧が邪魔だ。

 短剣じゃあどうにもならないな、これは。


 何度目かのシールドバッシュに足裏を乗せ、一気に距離をとる。

 こちらが何かする気だと思ったのだろう。アーグはより一層警戒を強めた。


「ふぅ……」


 大きく息を吐き、足に力を籠める。

 そして走り出す瞬間、手に持っていた短剣を投擲した。


「っ!?」


 まさか唯一の獲物を手放すとは思わなかったのだろう。アーグは驚いて盾を構えた。

 一直線に飛んで行った短剣は当然その盾に弾かれるが、彼には今、こちらの様子は見えていない。

 胸の辺りから漆黒の相棒を引き抜きながら跳ぶ。そして大上段から全力で振り下ろし、鬱陶しかった黒盾を両断した。


「ちっ」


 今ので決めるつもりだったが、刃が届く直前に盾から手を離したらしい。左腕から血を流しているが、掠り傷程度だ。


「よく躱したなっ」


 そう言いながら振り下ろした刃を反す。

 アーグは半身になってこれを躱し、剣を振るった。

 少し下がって避け、流れるように繰り出された蹴りを剣の柄で受ける。


「ぐっ!」


 やはり鬼の膂力は恐ろしい。さして力を入れていないような蹴りで思い切り吹き飛ばされてしまった。ダメージはないが、間合いが空く。


「……俺の記憶にあるそれは、真っ白な剣身だったはずだが」

「っ⁉」


 思わず駆けだそうとした足を止める。

 なぜアーグがそれを知っている? 確かに、前世の『喰月』は真っ白な刃をもった大剣だった。前世の俺が使っているところを見たことがあったとしても、今の俺とは似ても似つかない姿だ。同じ剣だと判断できる要素がない。


「どういう……いや、答えなくていい。お前が何を知っていようとやることは、同じだっ!」


 一度止めた足を再び動かす。

 

 アーグの姿が地面を蹴るごとに大きくなる。

 大剣を脇に構え、視線の先の鬼の動きに注視する。


 彼は、動かない。

 だが諦めたようには見えない。隠し玉か?


 警戒を解かず、剣を薙ぎ払うが、やはり動く気配はない。

 

 決着だ。

 そう思ったが、両手に感じた感覚は肉を断つものではなく、固い何かにぶち当たった時のもの。


 衝撃で腕が痺れ、大剣を落としそうになった手に力を込めて距離をとる。

 そして、何が起こったのかを確かめようとして、気付いてしまった。


「……おい」


 アーグが右手に持っているものの正体に。その意味に。


「なぜ、お前がそれをもっている」


 色こそ見慣れた黄土色ではなく、俺の大剣と同じような漆黒だが、見間違えるはずがなかった。


「それは、」


 やめろ。


「『奉金(ほうこん)』は……」


 言うな。

 言ったら、もう……。


「デミカスの魂装(こんそう)だっ‼」


 もう、戻れない……。

 

「……そうだ、ロイド」


 ロイド、俺の、前世の名前。英雄としての名前。


 そりゃあ、似てるはずだ。

 アーグはデミカスの転生した姿だったのなら、似ていて当然だ。


「気づきたくなかったよ……」

「ロイド、改めて問おう。一度捕まってくれないか。そして、共にあの方に仕えよう」


 デミカスがそこまで言うものがあの娘にはあるのか……。なるほど、ならば提案を受け入れた方が何かと都合が良いだろう。


 そこまで考えて、仮面を外す。


「これでも、まだ俺を勧誘する気か?」

「それがどうした。スコルが人間だということは、あの方からすでに聞いていたことだ」


 なるほどな。だが。


「俺も改めて言おう。その提案は受け入れられない。俺は人間として、人間の平和を守りたい。だから、受け入れられない」


 デミカス……、アーグの目を真っ直ぐ見て答える。それが変えようのない、俺の考えだと伝わるように。


「何故だっ⁉ 何故人間の味方ができる⁉ 何故お前が、あんな奴らの為に働かねばならない‼ 奴らは、人間は、自らの保身の為だけに俺たちを嵌め、陥れ、処刑したんだぞ‼」

「あの時はな。今はもう、分かってくれている」

「それがどうしたっ! また裏切られるぞ! ロイド、こっちへ来い! あの方は、腐った人間どもとは違う! 決して裏切ったりはしない‼」

「そうかもしれないな」

「ならつ!」


 それでも、答えは変わらない。俺は、人間の平和を守りたい。だから。


「お喋りは終わりだ、アーグ。決着をつけるぞ」


『喰月』を構えなおす。

 

「っ……! そうか……。そうだったな、お前は、そういうやつだ」


 本当に頑固な奴だと小さく呟き、アーグは己の『魂装』を構える。

『奉金』の能力は防御した攻撃の力を自身に上乗せするものだったが、今もそうかはわからない。『魂装』は進化する。


「一撃で決めるぞ」


 俺の『喰月』のように純粋強化なのか、はたまた……。いや、左手に先ほどまでとは違う、盾と同じ色合いの剣を握っていることからすると、多少違う能力となったとみて良い。


「ああ、分かっている」


 だとしたら、この勝負は俺に分があるはずだ。

 以前なら能力を使っても『魂装』であるあの盾を破壊することは出来なかった。もしあの盾が純粋強化されていたら結果は変わらなかっただろう。


 しかしそうでないなら、別の力にエネルギーを使っていたとしたら。


 どの道今の俺にできるのは、この一撃を確実に当てることだけ。利き手に盾という本来のスタイルになったあいつの防御を搔い潜ることは出来ない。


 だから、一撃に全てをかけて走り出す。


 魔力の殆どと、予備にとっておいたドラゴンの爪を贄として。


「我が敵を喰らえ、『喰月』‼」


 俺の叫びに呼応して愛剣が漆黒に光る。


「其を受け止め、我に捧げよ、『奉金』!」


 アーグの盾もまた、金の光を放つ。


 彼の姿がどんどん大きくなる。

 

 距離が、一気に消えていく。


 頭上へと振り上げた剣は、重力と俺自身の力に惹かれて振り下ろされていく。

 そして、ぶつかった。


 魂より生み出された二つの武具が、激しい音を立ててぶつかり合う。

 互いに譲れない。

 だから、無理矢理通すしかない。

 例え友を殺めることになったとしても。


 俺とこいつの正義は、食い違ってしまったのだから。


 能力を発動しているにもかかわらず、『喰月』はなかなか黒金の盾を喰らうことができず、バチバチと火花を散らしている。それでも少しずつ剣は沈んでいき、友の魂を喰らおうとしている。


「ぐぅっ……!」

「奉げ、られたるを、……」


 これは、カウンターか!

 左手の剣に力が集まっているのを感じる。


「仇へと帰(き)せ、『奉金』の剣!』

 

 これが『奉金』の新しい力。

 アーグの突き出した剣が、脇腹を掠める。よけ損ねた。多量の血が服を濡らす。


「くっ、ここまで、か……」


 だがそれと同時に、盾に剣の沈む速度が上がった。

 アーグの顔が歪み、そして緩む。


「なあ、ロイド……。最後にお前と会えて、良かったよ」

「くっ……!」


 馬鹿野郎が。俺もだよ、デミカス……。


「ああああああああああっ‼」


 絶叫しながら更に力を込めると、途端に腕に伝わる重みが消える。

 俺の剣は、『喰月』は、その使い手ごと、黒金の盾を切り裂いていた。


 支える力を無くした鬼の体が倒れていく。

 右肩から左脇腹にかけて大きく削り取られたその鬼の目に、もう光はない。


 デミカスがまた転生するのかは分からない。転生が『魂装』を具現したことによるものだとすれば、彼が転生することは二度とないだろう。デミカスの盾はたった今、俺が壊してしまったのだから。

 どちらにせよ、もうかつての友と会うことはないだろう。なんとなくだが、そんな予感がするのだ。


「……いこう」


 冷たくなっていくアーグから視線を逸らし、目的の方向を向く。

 そして歩き出そうとしたとき、前方に舞い降りる影に気付いた。


 魔王の娘だ。


「……そう、彼を殺してしまったのね」


 アーグの横たわっているはずの場所をみて、彼女が言う。


「残念ね。彼は、私の数少ない話し相手だったのに」


 そういう少女の表情は見えない。


「……怒らないのか?」

「怒らないわよ。だって、私はこの子が力を暴走させないために埋め込まれた疑似人格で、感情なんてないもの。だから、怒れないのよ……」

「……そうか」

「本当は、直接お礼を言おうとおもって来たんだけれど、なぜだか、何も言葉が浮かばないの。だから、もう行ってちょうだい」

「……」


 ……俺は何を期待していたのか。

 

 『喰月』をしまい、歩き出す。

 東の空が白んできたから、急いだ方がいい。


 少女の横を通り過ぎるときに何か拭くものを渡そうかと思ったが、すぐに思いとどまった。俺がしていいことではないと思ったから。


 仮面をつけなおし、まだ残る闇へと駆け出す。

 向かう先には月があるはずなのに、新月だからか、俺には何も見えなかった。

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