第七話 魔族の領域
日の光が直上から降り注ぐ頃、人の領域の外にある深い深い森の中を歩く。けもの道となっているそこは葉と葉の隙間から疎らに光が差すのみで、視界が良好とは言えない。
耳をすましても、風で揺れる木の葉の音すら聞こえない。
ただ青黒い幹の木々と、赤茶けた土に覆われた道が続く。
ここは、人間の国の地図に『死の森』と記された秘境。人間の支配領域と魔族の支配領域を隔てる、大森林だ。
◆◇◆
月が太陽を喰らう仮面を被り、東方の諜報部隊の装束に身を包んだ俺は、死の森の縁近くの樹上で遠見の魔道具を目に当てていた。視線の先にあるのは、魔族の街。
街から見て、日は東。俺がいるのも東。俺の姿は影に紛れ、あちらさんの見張りからは見えないだろう。
もし、魔族が人間側と全面衝突をするとしたら、この街が最前線の軍事基地となる。つまりこの街に動きがあれば、互いの死力を尽くした戦いはすぐ目の前ということだ。
……どうやらまだ動きはなさそうだな。魔族の商人が特別活発に働いているというわけでもないし、兵士が集まっているというわけでもない。
とはいえ、直近ではないというだけで中枢の方では着々と戦争準備を始めているかもしれない。今回は現魔王のお膝下まで探るつもりだ。その為に少々無理をして先行し、この先数か月は次代の英雄パーティ『流星の残光』が苦戦するような問題に直面しないことを確認したのだ。楽に解決できる程度なら、あいつらが超強化されることもない。
不測の事態はもちろん考えられるので、実際の予定はもう少し余裕を見ているが、まあ、先の迷宮の件で強力なドラゴンという手札を切ったのだ。魔族が何か小細工することはあるまい。そうであれば、今あいつらがいる辺りでは何か起こるということもないだろう。
さて、出発は夜だ。変装をすれば街に寄れないこともないが、無駄に危険を冒すこともあるまい。夜、街を避け、人目につかないように移動する。
そうした上で、期限として定めた二か月の間に魔王がいる都市へ潜入。魔王と魔王軍の現戦力と、戦争準備の進捗を確かめる。これが今回の目的だ。
街道をはずれ、地図と星を頼りに先を急ぐ。
死の森を抜けるのに一週間近くかかった。それからここまで、およそ三日。魔族の領域に入ってからの道程としてはまだ半分ほどであるにも関わらず、十日もかかってしまっている。つまり今のペースだと、魔王のいる都市『ディアブロ』についた時点で二週間が過ぎることになる。
偵察を終えた後は、『流星の残光』を追いかけて南西に進むことになるが、地図を見る限り、行きと同じ程度の時間が必要だろう。余裕をもって、二週間半か。
そうすると、ディアブロを探れるのは、三週間と少し。魔王のいる城の中枢まで調べようと思ったら、少なすぎる。
仕方ない。休憩を減らして距離を稼ごう。
道中の街も確かめたかったのだが、街道を行く魔族を見る限り戦争準備に関わるような商人や兵士はいない。それにどの道、人間と戦争するなら中枢に動きがあるはずなので、これでも問題はないはずだ。
そんなこんなで予定より一日半早くディアブロの街に着いた。
この街には、堂々と入って調査をする。門の通行料は以前来た時に手に入れた魔族の通貨を使い、手持ちの薬草や素材をどこかで換金して生活費に充てるつもりだ。
魔力量的には、魔族といってもギリギリ誤魔化しがきく程度まで育っている。あとは、魔族的な身体的特徴についてだが……。
「次! ……仮面をとってもらえるか」
「……はい」
嫌々とっているという雰囲気を意識する。
「……っ! ああ、もういいぞ
「大丈夫です。慣れてますから。これ、通行料です」
「っと、うん。確かに。……あー、この先の通りの、三つ目の角にある『黒猫』って宿に行ってみろ。安いわりに綺麗で、飯もうまい。それに、あそこなら仮面をつけたままでも何も言われないはずだぞ」
「わかりました。ありがとうございます」
ふぅ。どうやら上手くいったらしい。
やったことは単純。見た目を偽装する魔法と、それから化粧の合わせ技だ。瞳が複数ある蟲瞳族に化け、顔全体に酷い火傷の跡のような化粧を施した。門兵の態度はその火傷の化粧が理由だ。
これなら、そうそう仮面を取れとは言われないので偽装分の魔力を節約できるし、蟲瞳族の目には常に魔力を纏っているため魔法もばれ難い。もし万が一偽装魔法が間に合わなくても、瞳なら見間違いだと思ってもらえる確率も低くない。簡単にはバレないだろう。
……しかし、以前来た時にも思ったが、やはり魔族の営みも人間と変わらないのだな。人間の街と同じ灰色の石造りの建物に、同じような素材を使った服装。市場だって、王都のそれと大した違いはない。
路地裏を子供たちが駆け回り、道端では女性が集団で円を作って何やら歓談している。
見た目は、角が生えていたり尻尾が生えていたりと微妙に違うが、逆に言えばその程度なのだ。俺たち人間と魔族の違いというのは。これを多くの人々は、人間は知らない。だが、それでいい。それでこそ、人間は平和に暮らせるのだから。
よく見ておこう。これが、俺がこの先、俺自身のエゴのために壊すかもしれないものだから。
門兵の勧めに従い、黒猫という宿の前まで来た。
外観は、人間の街の平均的な宿より多少小綺麗で黒い猫と言う動物の姿を模した看板が掛けられている。人間の世界では珍しいが、魔族の領域ではよく見かける、しなやかな体を持った四足の動物だ。対魔王パーティとして魔族領に入ったときラピスが、『こっちのも同じ姿と名前なのね……』なんて言っていたから、彼女の故郷にも多かったのかもしれないが。……そういえば、デミカスは猫が大好きだったな。普段無口で、屈強な大男がデレデレしながら小さな猫をかまうのだ。よく酒の席で弄られていた。
そんな懐かしい記憶に、宿の入り口で立ち止まって頬を緩めていると、急に目の前の扉が開いた。
出てきたのは、俺より少し背の高い、身長百七十センチ程度の青年魔族。額に短い一本の角……。
彼は開いたドアのすぐ前に俺がいたことに驚いて、その深い藍色の瞳を大きくした。
「っと、すまん」
「いや、こんなところでぼーっとしてた俺が悪い。気にするな」
彼は、ありがとう、と言って、そのままどこかへ駆けていった。すれ違うとき、肩を叩いてきた彼の仕草に覚えがあるような気がして、振り返ってみたが、既に人混みに紛れたのか彼の姿は見つけられなかった。
気を取り直し、彼が開けたままの扉をくぐる。
中は、よくある大衆酒場と言ったところ。外観通りの清潔感で、小汚いとまでは言わないが、綺麗とは言いがたい、そんな程度。
まだ昼前だが、奥のカウンターや過度のテーブル席にはちらほらと客らしき姿が見える。
「泊まりの客か?」
カウンターの中から捻れた二本の角を持った、初老の魔族が声をかけてきた。
「ああ。門兵のおっさんに勧められた」
俺は仮面を指で何度か叩きながら言った。
「……うちに迷惑かけないなら、好きにするといい。朝食はいるか?」
「いや、いらない」
朝は寝ていることが多いだろうからな。
「なら一泊銀貨一枚だ」
「一ヶ月分だ」
「……二階の、奥から二番目だ」
宿の主人らしきその男は、受け取った銀貨の枚数を数えると鍵を投げてよこしてきた。それっきり作業に戻って何も言わないのは、さっさと行けということだろうか。
何にせよ、俺としても今は強行軍の疲れを癒やしたい。店主の態度に甘えるとしよう。
――もう日が落ちる頃か。かなりぐっすり眠っていたようだ。
人間の国の宿なら、そろそろ夕食目当ての客が集まっている頃だな。下の酒場に降りてみることにする。
部屋のドアを開けると、すぐに喧噪が聞こえてくる。どうやら既に人が集まっているようだ。
この宿、料金の割に防音がしっかりしているな。来たときにいた客も、その辺の魔族とは違う雰囲気を纏っていた。ああいう雰囲気の奴らには、人間でも心当たりがある。
なるほどな。そりゃあ、この仮面でも何も言われないわけだ。
ここは情報屋の類いが集まる宿なんだろう。
そんな思考を巡らせながら、階段を降りる。
大通りにあるからか、今見える客の大半は一般人らしい。だが、注意して見れば、その手の輩らしき客の姿もいくらか発見出来る。なんとも大胆、いや、この方が逆にバレづらいのかもしれない。
俺の目的を考えると、この宿は当りだな。
まずは情報屋以外から探りたいところ。そう考えて、
◆◇◆
「ふぅ」
間もなく酒を目当てに酒場へ人が集まって来るだろうという頃、自室のドアを閉めて、一息つく。
この宿を拠点に情報を収集して、早一週間。市井からの情報は概ね出そろった。どうやら、少なくとも一般市民がわかる範囲では何も動きはないらしい。今の魔王についても話を聞けた。なかなかの善政、民にとっても国にとっても良い政策を敷く王らしい。
前回魔族が魔王となった時以来、王として魔族を治めてきたその魔王の子孫が今回魔王に至ったらしく、混乱らしい混乱もない。情報屋曰く、現魔王は元々継承権第三位だったとかで多少お家騒動はあったようだが、なんだかんだ丸く収まったようだ。兄弟仲は良かったので、その取り巻き連中を納得させるために兄二人を重要な役職へ就けるだけで済んだとか。
領土欲も無く、というか人間の領域を支配するメリットの小さいことを理解しており、侵略の意思はないという見方が彼ら情報屋の中で優勢。とは言え周りの連中は分からないが……。あの迷宮の一件が魔王の指示ならば、人間側からの侵略を危惧したと言うことだとは思うが、決めつけるのは危険だ。現時点と将来的にその意思が有るか無いかで、今後の動きが変わってくる。これはしっかり確かめねばならない。
もう一つ、気になる情報があった。
魔王の娘が、近い将来魔王を越えると言われるほどに大きな才能を持っているという噂だ。もし魔王を越える魔族が現れた場合、『魔王』という称号がどうなるかは分からない。その新しい『最強』に移るのか、元の魔王が死ぬまでそのままなのか……。
ならば、その魔王の娘についても探る必要はあるだろう。
これからの一週間は城へ忍び込む準備の比率を上げて活動する。
万が一の装備以外を置いて酒場へ降りると、ちょうど入り口から入ってきた一人の青年と目が合った。深い藍色の瞳に、同じような色の髪、そして額の短い角。
目が合ったと感じたのは、向こうも同じらしい。まっすぐにこちらへ近づいてくる。
「あんた、この間ここの入り口で会ったよな?」
「よく覚えてたな」
「そんな覚えやすい仮面をしてるやつ、忘れるわけ無いだろ」
彼は少しあきれたように言う。やはり、どこか既視感がある。
「それもそうだな」
「どうだ、一緒に飲まないか?」
「ああいいぞ」
そう答えて、空いている席を探す。奥の席が空いていた。
しかし、こいつは何故、目が合ったと分かったのだろうか。俺は仮面をしているというのに。
そんなことを考えながら、彼を伴って見つけた席へ移動した。
「そういえば、自己紹介がまだだったな。俺はスコルだ」
偽名を使うのは、それはそれで危険なので本名を言う。別に隠すような名前でもないのもあるが。
「ああ。俺はアーグだ」
「アーグか、いい名前だ」
「俺たち鬼にはよくある名前だよ」
彼、アーグはそう謙遜しながらも、どこか嬉しそうだ。
「あんた、近衛なんだってな」
酔った客の一人が言っていた。
「ああ。下っ端だけどな」
「だとしてもその若さで、大したもんだよ」
「運が良かっただけだ」
これには本当にそう思っているのか、反応らしい反応は示さない。
そこに頼んでいた酒と料理が来た。アーグは一気に酒を呷り、すぐに二杯目を注文する。
「おいおい、それそこそこ強い酒だろう。大丈夫か?」
「ああ、俺たち鬼は酒に強いからな」
まただ。彼は自信の種族の話になると、途端に嬉しそうにする。
「それより、スコルは薬草に詳しいらしいな」
「誰から聞いたんだ?」
確かに、前世でも今世でも、薬草について学ぶ機会は多かったから、人より多少詳しいとは思うが……。
「あんたが薬草を売ってる商人にだよ。昔なじみなんだ」
「ああ。あのおばさんか」
情報を集める傍ら、近くの森で採取した薬草を売って生活費を稼いでいたのだ。薬草の状態がいいと少し色をつけてくれるので、あのおばさんの所へばかり売るようになったのだ。
それから暫く、とりとめも無いことやちょっとした愚痴を言い合って過ごした。彼は基本的に、必要以上話さないと聞いていたし、多少話した印象もそうだったのだが、お酒が入ると途端に饒舌になった。俺も多少酒が回っていたのか、思わず楽しい時間を過ごせた。……いや、酒は関係ないか。ただ、その感じが懐かしかった。
宵もたけなわという頃、俺はふと思い立って、そのことを聞いてみた。
「なあアーグ。近衛なら、姫様の事は知ってるだろ? 近いうちに魔王様を超えるって言われるくらい凄い才能を持ってるって聞いたんだが、実際どうなんだ?」
俺としては、何気なく聞いただけだった。しかしこれを聞いたアーグは、途端に真顔になった。
「スコル、それ、誰に聞いた?」
一瞬で酔いが覚める。これは何かある、そう思った瞬間、俺もスイッチが入ってしまったのだ。
「
「……あいつか」
アーグは苦虫をかみつぶしたような顔で呟いた。そして俺へ向き直り、言う。
「いいか、その事は忘れなくてもいいが、あまり人に言うなよ? その方が、長生きできる」
「あ、あぁ。わかった……」
それっきり、会話らしい会話は無くなり、微妙な雰囲気のままお開きとなった。
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