知らない街で本屋を物色する

 私が通っている文学部の学部長が亡くなり、その葬式に行くことになりました。

 学部長とは特に面識はなく、ゼミ生でもなければ講義を受講したこともなかったので、もともとは出席するつもりはなかったのですが、なぜだか大学の友達を通じて私に声がかかりました。香典とかはいらないし、何も持ってこなくていいから、とにかく来るだけ来てくれ、と。

 なぜ私が出席しなければならないのか、よくわかりませんが、おそらく人数合わせなのでしょう。あんまり人が来ないのも寂しいとか。


 そういうわけで、私は早朝から黒いスーツを着て、よくわからない電車に乗り、よくわからない駅で降り、よくわからない道を歩いて葬式の会場に向かったのでした。


 行ってみると、弔問客は会場から溢れるほどいて、これなら私なんか必要なかった気がしてならなかったのですが、ともかく記帳だけでも済まそうと受付に行くと、なぜか親族席に案内されました。私は親族じゃないし、ゼミ生でもなんでもないと受付の人には説明したのですが、席が空いているからとにかく座ってくれと言われ、仕方なく言われたとおりにしました。

 本物の親族から「何者だこいつ」という視線を浴びながら、私は焼香をあげ、弔辞を聞くことになったわけですが、ともかく葬儀は昼前にはつつがなく終わりました。


 世の中には現在地を確認できる便利な携帯用端末が普及しているようですが、私はそんなものは持っていません。

 にも関わらず、私は、せっかく知らない街に来たんだから、行きとは違う道から帰ることにしました。そして、当然の如く道に迷いました。自分がどこをどう歩いているのか、さっぱりわかりません。

 ただ、道に迷うのはしょっちゅうあることなので慣れていましたし、これから用事があるわけでもなかったので、そのうちなんとかなるだろうといういい加減な気持ちで、ぶらぶらすることにしました。


 やがて、車一台がぎりぎり通れるほどの細い道路の両脇に、古い住宅が並ぶ通りへと入り込んでいました。


 住宅のいくつかは最近改修したらしく、現代的なものもありましたが、多くは年季が入っており、瓦屋根の塀越しに見える木の板の壁はどれも黒光りして、古びてはいながらも威厳を漂わせるたたずまいをしていました。明治とまではいかないにしても、大戦の生き残りではある様子。私は建築についてはよくわからないので、はっきりしたことは言えませんが。


 ともかく、そうやって他人の家を見物しながら通りをいくらか進んでいくと、周囲の雰囲気にはそぐわない、妙な建物が目に入りました。木造住宅の並ぶ中に、ひとつだけコンクリート壁の鉄筋建築物が混ざっていたのです。


 その建物は、周囲の風景からは浮いていましたが、建物そのものとしてはかなり地味で、一言で言うと、二階建ての豆腐でした。つまり、二階建てで、白一色に塗られた壁の、四角い建物だったわけです。白とはいっても、若干くたびれていて汚れもあり、ひびを補修した跡などもあって真っ白というわけではなかったですし、壁には換気用と思われる小さい長方形の窓がいくつかあり、本当に豆腐みたいに一面壁というわけではなかったですが。ともかく、建物としては面白味も何もなく、普段だったら目にも留まらなかったでしょう。この通りだから目立っているだけの代物です。


 とはいえ、目立っているのは事実で、目立っているからには私も思わず注目してしまい、これは一体何なのかと、のっぺりとした白い壁をじっと見つめました。そしてふと、これは本屋なのだと気付きました。

 なぜ私が、この豆腐建物が本屋だと気付いたかは、今から思い返しても不明です。看板や張り紙など、本屋だとわかるようなものは一切なく、窓越しに店内が覗けたわけでも、出入りする客を見かけたわけでもなかったわけですから。ともかく謎の直感で、私はこれを本屋だと悟ったのです。


 本屋にはとりあえず入ってみる習慣のある私は、もちろんこの時も、せっかくだから入ってみることにしました。そして、豆腐の壁にぽっかりとある、ガラスの扉を押して中に入りました。


 入ったその先は、まさしく豆腐の中といった印象でした。これまた白くて四角い空間があったわけですが、外の壁よりも汚れていない分、より一層白さが引き立っていたのです。

 その四角い空間の壁に、ガラス製と思われる透明で大きな角棒が、階段状に刺さっていました。その角棒を何個か上った先が、本屋の入り口のようでした。外見は面白味も何もない建物のくせに、入り口だけは妙におしゃれでした。


 ガラスの階段を上り、店内に入ると、中はまあ、普通の本屋でした。こんな住宅地の真ん中にある本屋としてはかなり広いのは意外でしたが、店内の様子としては標準的で、入り口付近にレジがあり、レジの近くに話題の本のコーナーがあり、雑誌コーナーが見えました。客はそこそこ入っていて、レジに並んでいる人や、雑誌コーナーで立ち読みしている人が数人見えます。あと、本屋ではわりとよく見かける組み合わせですが、少しだけ文房具も売っている様子。


 とりあえずざっと一回りしてみると、漫画や新書のコーナーがそれなりに広いのはお約束として、ハードカバーや文庫なんかも充実しており、岩波文庫のコーナーはもちろん、狭いながらも講談社文芸文庫のコーナーまで存在しました。

 これはもしかして、専門的な学術書とかもあるのか? と、過剰な期待をして探し回ってみましたが、さすがにそこまでマニアックなコーナーはない様子。それでも、近くに大学でもあるんじゃないかと思わせるような品揃えです。そうでもなければ、こんなところにこんな品揃えの本屋があるのは不自然でしょう。

 そう思って、どんな客がいるのかとチェックしてみましたが、大学生らしきのも確かにいたものの、そうでなさそうな客の方が多く、特に客層が偏っている印象は受けませんでした。

 また、私にはあまり興味の無い分野ではありますが、児童書のコーナーも結構しっかりあって、子供が遊べるスペースなんかも少し取っていたりしました。何人かの子供が、おもちゃで遊んだり、雑誌付録の電子ピアノをめちゃくちゃに弾いていたりしている。


 その児童書コーナーの奥に、なにやら明るい日差しのようなものが見えたので行ってみると、その一角の壁はガラス張りになっていて、その奥にはテラスのようなものがありました。ガラス張りの一部が押し扉になっていたので、そこからテラスへと出てみると、そこからはこの本屋の裏に建っている、寺の庭が一望できるようになっていました。

 小さいながらも池があって、鯉が泳いでいて、石が配置されていて、ししおどしがあって、松の木などが植わっていて、苔むしていて、奥に寺の建物が見えてと、庭園らしい庭園でした。このテラスからの眺めは素晴らしいものがありますけど、よく考えると、寺側からだと豆腐が見えるわけなので、よく寺の人がこの豆腐の建築を許可したもんだなと思えてきました。たぶん実際には快く許可したわけではなくて、ドロドロしたやりとりがあったんだろうと思われますが。

 テラスにはいくつかプラスチック製の椅子があって、座れるようになっています。おそらく子供連れ用の休憩所みたいな意味合いがあるのでしょう。


 テラスから店内へ戻り、それじゃあもう一度、文学関係の本でめぼしいものがないか探してみようかな、と思っていたところで、私は後ろから突然声をかけられました。

 振り返ると、相手はビジネススーツを来た女性でした。そして、新書コーナーはどこかと尋ねてきたのです。つまり、私を店員と間違えたのです。

 何をどうして私を本屋の店員と間違えたかはさっぱりわかりませんでしたが、新書コーナーは先ほど偵察済みでしたし、私が行こうとしていた「文学関係」の方向に近かったこともあって、そのまま案内することにしました。こちらです、とかなんとか、店員のふりをして言ったりして、新書コーナーへとお連れする。

 と、そのとき、ふと、新書コーナーより奥の方にエスカレーターがあるのが見えました。さきほどこの辺はざっと見回ったはずなのに、なんでこんな目立つものを見落としたのか。


 ともかくその女性を新書コーナーへと案内し、無事にニセ店員としての役目は果たしたところで、エスカレーターの方へと向かってみようとする。と、またも誰かに後ろから呼び止められました。


 さすがに今度は店員じゃないと言おうと思って振り返ると、相手は本物の店員でした。本屋独特のあのエプロンを見れば、本屋の店員なのは一目瞭然です。どこの本屋の店員も、だいたいエプロンを着て、ポケットにボールペンとか差してますよね。なぜか知りませんけど。あと、この本屋に入ってすぐのところにレジがありましたが、そのレジカウンターで会計業務をしていた人が、同じエプロンを着けていたのを確認していますから、目の前の相手が店員なのは間違いないでしょう。なお、当然ですが、私はエプロンなんかしていません。葬式帰りですし。


 その店員は小さめの段ボール箱を抱えていました。具体的には四十センチメートル四方くらいの箱です。で、私に言うのです。これ、五階のレジまで持って行ってください、と。


 私は少し迷いました。先ほどの客が私を店員に間違えたのは、理由は不明ですが、ありえなくはないことです。しかし、店員が私を店員と間違えることは普通ないでしょう。なのに今、私はなぜか、店員であるかのように雑用を頼まれているのです。これはどういうことなのでしょう。私は店員と間違えられているのでしょうか。それともこの本屋は、客に雑用をやらせるハウスルールでもあるのでしょうか。


 断るべきか。いやまあ、そりゃ断るのが普通なのですけど、私はなんとなく、この状況に面白味を感じていました。せっかく面白いのに、断ってどうするのかと。

 それで結局私は、わかりました、と言って、その箱を受け取りました。幸い、私の両手は空いていたので、箱を持つには不自由しませんでした。箱の中身は謎でしたが、本屋で渡される箱の中身といえば、本くらいしか思いつきません。ただ、この箱いっぱいに本が詰まっているにしては、やや軽いような気もします。少し振ってみましたが、正体がわかるような音などはせず。ともかく、私はそれを抱えてエスカレーターに乗りました。


 エスカレーターから見えた限りだと、三階は音楽CDなどのコーナーで、四階は専門書のコーナーのようでした。

 特に印象に残ったのは、四階の本棚に並ぶ本の背表紙にマックス・ウェーバーの名前を見つけたことです。経済学や社会学は私の専門ではありませんが、こんなところでウェーバーの名前を見かけたことに、私は妙な驚きを覚えました。

 この感覚はたぶん、テレビで見かける俳優に実際に出会った感じに似ているんじゃないかと思います。現実世界に存在していることを頭では理解していても、実物を見ると信じられない気持ちになるのです。

 ウェーバーがいるんだったら、サルトルくらいはいるんだろう。フーコーあたりはいるのかな。もしかするとロラン・バルトとかデリダもいたりして、などと妄想は膨らみ、四階はあとでじっくり物色しなければならないなあ、などと思いつつ五階へ。


 五階に何があるか知りませんが、まあ、ウェーバーほどの衝撃はないだろうと私は思っていたのですが、その予想は裏切られました。とはいえ、五階にとんでもない伝説の書物が並んでいたわけではありません。そこは喫茶店というかレストランというか……なんと言えばいいかわかりませんが、カフェっぽいカフェテリア……というとか。つまり、喫茶店っぽいおしゃれな内装の、セルフサービス式の軽食屋だったのです。フロアをブチ抜いた広いスペースに、余裕をもった間隔でテーブルが並べられており、客がそこそこ入っているわりには、混雑している印象は受けませんでした。

 レジの側では、何人かがサラダやサンドイッチなどを皿に盛り付けたり、ファミレスのドリンクバーコーナーにあるようなコーヒーメーカーからコーヒーを注いだりして、トレイに乗せ、レジで会計をしていました。

 本屋の上がカフェテリアというのは、もしかすると、一般的には珍しくないことなのかもしれませんけど、私はそんな本屋に今までお目にかかったことがなかったため、目の前の光景が信じられず、しばらくぼうっと突っ立っていました。


 そのうち、店員の一人が私に気付いて、近寄ってきました。そして、礼を言いながら私から段ボール箱を受け取り、レジの奥へと引っ込んでいきました。それを見届け、さらにしばらく立ち尽くした後、私は我に返り、これからどうしよう、と思いました。

 なんだか知りませんが、ともかく頼まれ事はこなしたので、後は自由です。そういえば昼食がまだだったな、と気づき、せっかくだしここで食べていこうかな、と思い立つ。

 ただ、私はあまりお金を持ち歩いていないので、そもそもここで食べられるだけの持ち合わせはあるのだろうかと気になり出しました。ポケットに突っ込んでいた財布の中身を改めると、二千百四円という微妙な手持ちがあることが判明。帰りの電車賃は、学割定期が使えない区間分だけあればいいので三百円、余裕を見て五百円も残しておけば足ります。つまりはまあ、千五百円くらいならなんとかなる。

 レジ側の料理が並べられたコーナーをじっくり観察すると、パスタやサンドイッチなど、軽食的なものが中心で、ガッツリ食べようとすると、カレーライスとかハンバーグとかチキンソテーなどがある。あとはケーキとかワッフルとかのデザート系ですが、これは予算的に厳しいので見なかったことにする。


 しばらく考えた末、トンカツサンドとサラダとコーヒーで七百円というセットにしようと決意。正直、七百円というのは大学の学食換算で二食分なので結構痛いのですけど、せっかくの記念なのだから、何も食わずに帰るのもどうかと思ったのです。何の記念か知りませんが。

 値段に対する摂取カロリーの効率を考えたらごはんものを選ぶべきで、サンドイッチなんてものすごくコストパフォーマンスが悪いのですけど、見ていると客の多くがサンドイッチを選んでいるので、たぶんここではサンドイッチが正解なのだろうと判断。

 カツサンド単品だと四百五十円で、正直言って、サラダやコーヒーに興味の無い私は単品の方が賢明だったのかもしれませんが、二百五十円足すだけでセットになるというお得感と、大学生にもなってこんなおしゃれな店でサンドイッチ単品食いってどうよという謎のプレッシャーに負けて、セットにすることにしたのでした。

 サラダは皿に好きに盛っていいので、キャベツと大根を中心に盛り、レモン汁と粉チーズを振ってシーザードレッシングをかけることに。生卵は六十円するのでケチって落としませんでしたが。コーヒーは数種類から選べましたが、ホットのカプチーノに。カプチーノがなんなのか知りませんが、語感でなんとなく。

 レジで会計を済ませて、窓際の席に着く。実のところ、金のない私は喫茶店なんかそうそう入ることはなく、おしゃれな店でコーヒーとサンドイッチを頼んだ自分にやや酔いしれている感がありましたが、と同時に、格好付けのために七百円はやり過ぎだったか、と後悔の念も若干ありました。


 七百円の高級ランチにいきなり手を出すのは畏れ多かったので、私はふうやれやれなどと心の中でつぶやきつつ、余裕たっぷりに窓の外を眺めることにしました。

 窓の外の景色は、高所から街並みを見下ろす、という点ではある種の爽快感というか優越感というか、なんと言っていいかわかりませんが心地よさがありましたが、景色そのものが特別感動的かというと、そういうことはありませんでした。よくある中途半端な都会の風景、といった感じ。中途半端に高いビルが並んでいたり、その後ろに古い住宅街があったり、中途半端に緑があったり、自動車や鉄道用の高架が見えたり。

 と、そこで私は意外にも有益なものを発見することになりました。鉄道の高架を目でたどっていくと、たぶん今朝、私が降りたであろう駅らしきものが見えたのです。

 道というのは行きたい方向にまっすぐ延びているとは限らないので、方角がわかったから必ずしもそこへたどり着けるとは限りませんけど、何の手がかりもないよりはずっとマシでしょう。それに、とにかくおおざっぱにそっちの方角へ歩き、高架に行き着きさえすれば、あとはそれを伝っていけば駅に着くはずです。


 今後の展望が見えたところで、そろそろランチに手を付けることに。学食の定食の二倍するランチは、くやしいことに確かに美味ではありました。サラダからして全然違う。私はサラダなんか嫌いで、野菜嫌いなのだろうとずっと思っていたのですが、単にいままでうまいサラダを食ったことがなかっただけだったのだということに、初めて気付いたのです。

 コーヒーも、いままでの私の世界観では苦くて酸っぱくて黒い水という認識だったのですが、なんだか知らないけどやたらとうまい。コーヒーの苦味をうまいと感じなきゃ一人前の大人じゃないという話を聞いたことがあり、コーヒーの良さがわからない私はお子ちゃまなのだろうと思っていました。しかし、コーヒーをまずく感じるのは、大人か子供かという年齢や経験の問題ではなかったのだと、私は今日悟りました。私が今まで飲んできたコーヒーはコーヒーではなく、苦くて酸っぱくて黒い水だったのです。コーヒーを騙る偽物を掴まされていただけだったのです。

 私の脳内予算委員会は当初、二百五十円も出してサラダとコーヒーを頼むのは愚行であるとの意見が大勢を占めていました。野党からは見栄で無駄金を費やしただけだと非難されることもありました。しかし、結局はたった二百五十円で、世の中の真実を知ることができたわけです。ああ、あのとき見栄を張って二百五十円出して良かった。

 私はなぜ、本屋の上にカフェテリアがあるのか、全く理解できませんでした。しかし、今ならその理由がわかります。本がしばしばそうであるように、このカフェテリアは新たな知見と真実を伝えるために存在するのです。ここは食する図書館だったのです!


 ……感動のあまり無駄に妄想が捗りましたが、ここは一旦落ち着いて、高級なトンカツサンドを大事にかじりつつ、店内を見物することにする。

 客のほとんどはビジネスマンらしくて、ノートパソコンを広げたり、黒革表紙のノートに何か書き込んでいたり、打ち合わせらしきことをしていたりしました。主婦らしき人も少しいましたが、学生らしきのは見当たらず。ここはやはり我々にはまだ早すぎる領域なのか。

 しかし、こういうところでパソコンを使っている人は、一体何をやっているのでしょう。小説家が喫茶店で原稿を書く、という話は聞きますけど(見たことはありませんが)、まさか、ここでノーパソを広げている人みんなが小説家ということもないでしょう。キーボードを打っているので文書作成をしているっぽいのですけど、会社の仕事って、そんなに書くべき文書が多いものなのでしょうか。そもそも外でパソコンを広げて、情報漏洩とか大丈夫なんでしょうか。働いたことのない私にはよくわからん世界ではありますが、何を打っているのかは興味があります。とはいえ、わざわざ覗き見しに行くのもどうかという気もしますが。

 私は外で書き物をしたりする習慣はなく、特に今は手ぶらでボールペンの一本も持っていないですから、食べるものがなくなると、もうここでやることは何もありません。カツサンドを食べ終えてしまった私は、しぶしぶカップとトレイを持って席を立つと、返却口にそれを返し、下りのエスカレーターへと向かいました。


 下りのエスカレーターは、上りとは逆の方向にあり、つまり、上るときに見えたウェーバーのあった棚とは反対方向の店内の様子が見えるわけですが、こちら側は科学や数学の本が並んでいるようでした。「素数」とか「代数」とかいう言葉がちらちら見えたのでたぶんそうでしょう。

 よく考えたら、科学はともかく、数学の専門書というのは、本屋や図書館でほとんど見かけたことがない気がします。数学コーナーのある本屋を見たことがない。まあ、実際には本当に「ない」のではなく、単に私が見つけられなかっただけなのでしょう。探そうとしたことがないですし。

 この本屋でも、数学コーナー自体は棚一つ分だけで、あとは物理とか電気とか量子とか、つまりは自然科学分野の棚でした。

 興味が出てきたので、ざっとその界隈を見物しましたが、すがすがしいほど見事に意味がわかりませんでした。「幾何」とか「楕円」とか、数学らしいワードを断片的に拾うことはできるのですけど、書名を見て「すげえ!」とか「この本探してたんだ!」とか、そういった感動が何一つ沸きません。それ以前に中身が全く想像できない。

 ただ、棚の中に『現代数学』なる雑誌を見つけたときは、謎の感動がありましたが。なんというのでしょう。民明書房の本が実在していたみたいな感動、というか。

『現代数学』なんて雑誌名は、いかにももっともらしすぎて、かえってウソくさい名前だと思うのですよね。それが本当に実在して、しかも本屋で売られているという事実が、にわかに信じられなかったのです。……数学の関係者に対してすごい失礼な言い草なような気がして申し訳ないですが、思ってしまったものはしょうがない。

 理解が追いつかない領域の本に囲まれていると、無駄に自分が偉くなった気がして楽しいですが、無意味なことでもあるのでそろそろ切り上げて、わけのわかる領域を物色することに。


 上りで見かけたウェーバー棚は、やはり経済学棚だったようで、岩波文庫の『資本論』が全九冊ずらりと並んでいたりするのは壮観でした。あとは、アダム・スミスとかエンゲルスなど、専門家でなくとも、高校生でも見知った名前が並んでいますが、先にも言ったように私は経済学は専門外なので、あまり惹かれるものはありません。それより文学関係の専門書はどこなのか。

 しかし意外なことに、このフロアをざっと見回しても、文学のコーナーはありませんでした。哲学もない。あるのは医学や法学、あとは『ブリタニカ』や『バイルシュタイン』(有機化学のデータベースらしいですが、私がこの本のことを知っているのはアシモフの小説経由で、具体的なことは知らない)などのやたらと分厚い本ばかりが並ぶ辞典コーナーとか。

 普通、本屋の専門書コーナーは哲学や文学がのさばっていて、他の学問がないがしろにされているものなのに、このフロアにはそれがないのです。よくわかりませんが、ここは実用的な学問のみを扱うフロアなのでしょうか? 文学は別のフロアにある? もしくはこの本屋の店主は文学なんかクソだと思っていて、あえて置かないことにしたのでしょうか? だとしたら人として正しい感覚の持ち主だとは思いますが、本屋の店主として正しい感覚なのかは疑問です。


 ともかく、これからどうするか決めなければなりません。これだけの品揃えの本屋で、文学の専門書だけがないなんてことは普通考えられないので、たぶんどこかで見落としたのでしょう。しかし、もう一度このでかい本屋を全部ぐるぐる回るのも、なんとなく億劫な気分になってきました。その気分の理由の多くは、さきほど昼飯を食べたせいで眠くなってきたためだと思われますが。あと、先ほど確認した駅の方角を忘れない内に出発したい、というのもあります。

 また、よく考えたら、たとえこの本屋の文学関係の品揃えが充実していたとしても、私にとってあまり意味がないんですよね。今は手持ちがないので欲しい本があっても購入できないですし、ここまで来る電車賃のことを考えたら、必要な本は近くの本屋で取り寄せた方がいいです。

 ここがもし図書館だったら、品揃え次第ではここに入り浸ってもいいかもしれません。しかし本屋である以上、ここにたくさん本があるからといって、それが読みたい放題、というわけではないのです。せいぜい背表紙を眺めてハアハアすることしかできません。

 というわけで、私はそのままエスカレーターを下りきり、ガラスの階段を下りて、豆腐本屋を後にしたのでした。


 後に大学のパソコンで調べたところ、やはりあの本屋の周辺に大学などはなく、結局のところ、なんであんなところに妙に充実した本屋があったのかは謎のままです。ネットで本が気軽に買えてしまう今日、あんなところにでかい本屋を建ててしまって経営が成り立つのかどうか、他人事ながら心配ですけど、なんとか頑張ってほしいものです。

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