六也試作発電所

 私には、どうしてももう一度訪れたいと思っている場所がある。六也試作発電所である。たぶん「六也」は「ろくや」と読む。あるいは「りくや」かもしれないが、少なくとも「也」は「や」だったはず。「なり」ではない。


 私はその場所に、小学生のときに一度だけ訪れたことがある。社会見学だったかの学校の行事として、先生や同級生と共に行った。

 それは山の中の湖の真ん中にあった。山の麓からその湖までを結ぶ電車があって、それを利用して行くことができた。いくつものトンネルを通過しながら、山の上まで登っていく路線である。私の記憶では電車だったはずだが、もしかするとロープウェイだったのかもしれない。


 電車を降りると、正面には湖の真ん中にある試作発電所へと続く鉄橋が見え、右手にはバスくらいの高さの大仏があった。

 この大仏は、入ると自分が小さくなり、バスくらいの大きさだったはずの大仏の中を探索することができるようになる。もっとも、子供の頃の私の記憶では「小さくなった」と認識した、というだけなので、実際には、なにかそう感じさせるようなトリックがあったのだろうと思う。

 大仏の中にはお土産屋や展望フロアなどがあったように思うが、私はどこにも立ち寄らなかった。ただ、大仏の中を「すげえ」と思いながら歩き回っていただけである。なにしろ、自分が小さくなったと思い込んでいたわけなので。



 発電所のいわれとか、何を試験していたのかとかは、よく覚えていない。一応説明は受けたと思うのだが、小学生の私にとっては理解しがたい内容で、忘れてしまった。ともかく湖の上にあって、どういう形でか、発電していたようである。発電所というくらいだから、まあ、発電していたのだろうし、試作なのだから、何かの理由で水上に試作したのだろう。

 いずれにせよ、私が訪れた頃にはすでに施設は稼働しておらず、博物館に改修されて見物料を取っていた。


 しかし思い出してみると、妙な施設である。ダムがあったわけではないから、水力発電ではなかったはずである。もしダムがあるなら見学しているはずだし、印象にも残っているだろう。私は特別ダムマニアではないが、それなりにダムは好きで、仕事や観光で訪れた付近にダムがあると知れば、とりあえず見学に行く程度には興味がある。もし六也発電所にダムがあったら覚えているはずである。


 火力発電所や原子力発電所を水上に作る理由はないだろうし、風力発電所にしては風車がなかった。波力発電なら海に作るだろう。人工的に波を作って発電する研究を行っていた、ということならありえるかもしれないが。 

 もしかすると、藻発電でも研究していたのだろうか。だとすると夢のある話ではあるが、私の子供の頃にはすでに放棄され観光地になっていたのだから、逆に夢のない話なのかもしれない。失敗したから放棄されたのだろうし。



 発電所そのものや、大仏よりも、私の子供心を惹いたのは、電車の運転を体験できることだった。

 この電車というのが、先に書いた、この発電所に行くために利用する電車(あるいはロープウェイ)そのものなのか、それとは全く別の路線なのかはわからない。普通に考えたら専用の路線だったのだろうと思うが、ともかく、実際の電車の運転を体験できるのである。こんなことは滅多にできることではない。私は本物の運転士の付き添いの下、レバーを操作して電車を前進させ、そして駅で停止させた。あの時の体験は忘れられない。後に電車を操縦するゲームがゲームセンターに登場したが、私はそれを見たとき、ゲーム筐体の運転席を見て「あの時と同じだ!」と感動したものである。



 その後、私はいろんな観光地や博物館などを訪れたが、あの発電所ほど印象に残っている場所はない。後になって振り返れば振り返るほど、あそこは素晴らしい場所だったと思えてならない。下手な遊園地よりも充実していたように思う。そのくせ、その詳細は覚えていないわけだが。

 もしかすると、その印象はただの思い出補正というもので、再び訪れれば「なあんだ」と思うかもしれない。しかし、それならそれでもいい。とにかく、子供の頃の印象の真偽を確かめ、気持ちにケリを付けるためにも、もう一度行ってみたいのである。



 私が調べてみた限りだと、「六也」という地名はどこにもないようである。「六也」という人名はあるようなので、もしかすると発電所の何かに関わった人の名前が付けられたのかもしれない。日本ではこうした施設に人名を付けるのは珍しいことではあるが。六也という名前の、発電に関係する偉人がいないか調べてみたが、見つけられなかった。となると、名前から場所を推測するのは難しいようである。


 小学校の社会見学で行ったという私の記憶が確かだとすれば、私が通っていた小学校の近くにあるはずである。しかし、調べた限り、それそのもの、あるいは、それらしいものは見当たらなかった。

 すでになくなっているかもしれないので、「六也試作発電所」そのものはもう存在せず、いくら調べてもないかもしれない。しかし、それがあった場所そのものは残っている可能性が高い。電車だかロープウェイでしか行けないようなところにある、山の中の湖である。

 あるいはそれこそダムに変わっている可能性もあるので、小学校周辺のダムにはすべて行ってみたが、どれもあの場所ではなかった。


 施設として、土地としてはもう跡形もなく、見つからなくなっていたとしても、同級生の記憶のなかには残っているかもしれない。そして、その中には、場所を知っている人もいるかもしれない。そう思い、私は小学校の同窓会があったらできるだけ参加し、六也試作発電所について尋ねてみた。しかし、誰もそれを覚えていなかった。みんな口を揃えて「そんなところ行ったっけ?」と言う。湖の上にある発電所とか、自分が小さくなる大仏とか、電車の運転体験とかの話をしても、誰もピンとこない。

 同窓会に小学4年生の頃の担任教師が顔を出したことがあったが、彼も覚えがないと言っていた。生徒を缶詰工場やごみ処理場、あるいは神社などに連れていった記憶はあるが、発電所や発電所跡はなかったと言っていた。ごみ処理場でごみ発電ならやっていたけど、山の中の湖の真ん中じゃなかったな、あれは町の外れの川の近くで、今でも稼働しているよ、と。



 行く先々で、私はこの話をする。仕事で知り合った人や、旅館の人、お土産屋の人、居酒屋や喫茶店で世間話ができる程度に親しくなった人、とにかく機会があれば片っ端から聞いている。しかし、いままで知っている人や、それらしい施設に行ったことがある人は一人もいなかった。


 そして、暇があれば地図を見て、それらしいところを探し、有望そうなところには近くまで行ってみたりもしたが、たいがいは立ち入り禁止区域で、そもそも行くこと自体が困難、あるいは不可能だったりした。とりあえず関係者や周辺の店で話を聞いた限りでは、私の思い出の地でないことはほぼ確認された。



 最近は、実はあれは私の勘違いか何かで、本当はそんなところは存在しないし、私もそんなところには行ったことがないのかもしれないと考えるようにもなってきた。その可能性はなくはない。なにしろ、誰も知らないし、どこにもないのだから。、

 しかし、それなら、あの湖の上の発電所(もしくはそれっぽい施設)や、バスくらいの大きさの大仏、電車運転体験といった私の記憶はなんなのだろう。なにか全く別の場所で体験したことが継ぎ接ぎされて、「六也試作発電所」という架空の場所の記憶が作られたのだろうか。

 それならそれで、別の場所に、私の妄想の基となった、湖の上の施設とか、湖にかかった橋とか、大仏とか、電車体験とかができるところがあるはずなのだが、思い当たるところが全くない。


 そもそもなぜ「六也試作発電所」という名前なのだろう。私は「六也」や、それに近い名前の何かとは何の縁もない。そもそもそんな名前があること自体知らなかったし、考え付いたこともない。なのに、私が妄想で作り出した施設の名前に無意識に「六也」と付けたのはなぜなのか。そのネーミングの発想ははどこから来たのか。


 それを考えると、やはり「六也試作発電所」という施設は本当に存在したように思える。私の想像力ではとても作り出せるようには思えない名前だからである。私が何の材料もなく「六也」などという言葉を思い付くとはどうしても思えない。



 もし、この発電所、もしくはこの勘違いだか妄想だかの基になったと思われる場所や施設を知っている人がいたら教えて欲しい。もし実在するなら再び訪れてみたいし、実在しないとわかれば、それはそれでいい。とにかく、この謎になんとか決着を付けたいものである。

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