旧作(高校~大学時代に書いたもの)

世界最後の日

 その日はいつか、だれもが知っていた。

 だれが言ったわけでもないし、そういう迷信が流行ったのでもない。だが、確かにみなが予感していた。


 ――世界最後の日。それが今日である。


 だが、世の中に変化はない。むしろ落ち着いた調子で、すべては動いていた。

 仕方がないのだ。世界は滅亡する。そして、それから逃れることはできない。

 宇宙へ逃げる。それを考えた人もいたかも知れない。だが、世界が滅亡した後、宇宙からどこへ帰ればよいと言うのだ。


 だから私も、いつもの時間に起きた。いつものように朝食を食べ、妻に行ってきますと言って家を出た。


 街はいつもより静かだったかも知れない。いつも道路を忙しく走り去っていく車の音は少しだけ優しくて、いつも急かす電車の出発の合図は、私が乗り込んでからやわらかく奏でられた。


 相変わらず満員の電車だったが、今日はそんなに暑苦しくない。みなが遠慮し合って、互いにぶつからないようにしてるかのようだった。のんびりと電車は走り、私はいつもの駅で降りた。


 会社では同僚が、手をあげて挨拶してきた。私も返す。私はいつもの席について、仕事を始めた。

 私は落ち着いてペンを走らせている。もちろん、いい加減にやってるわけではない。むしろ今日は、非常に集中して仕事をしているのだ。


 会社は静かだった。活気がないわけではないが、つつましかった。日はゆるやかに南の空へ昇っていく。

 私の机にも、だんだんと明りが手を伸ばしてきていた。


 そのうちチャイムが流れた。私は背伸びをする。同僚を誘って、社内食堂へ行くことにした。

 食堂は社員たちでごった返していた。私はいつもの定食を頼み、いつもの席に腰掛けた。

 いつもはうるさいようにさえ感じる他の社員たちの談笑も、今日は全然気にならない。

 静かではない、だが、とても上品な雰囲気が、食堂いっぱいに溢れている。

 いつもよりゆっくりと食べたつもりだったが、トレーを返して仕事場に戻ったら、時計はいつも通りの時刻を刻んでいた。


 仕事を再開する。静まった心で、噛み締めるように進めていく。だれもそれに文句を言ったりはしない。だが、決していい加減にやってるわけではない。むしろ今日は、熱中しているのだ。


 街の喧騒が、静かに聞こえるようだった。昼の太陽は優しくオフィスを照らす。

 なんとなく、みんな黙っていた。だが、緊張はない。ここで私が大声をあげても、だれも私を咎めたりしないだろう。むろん、そんなことはやらない。いつもせわしなく動く時計の針は、今日はなんだかゆっくりと動いてるようだ。


 優しい沈黙。太陽だけが、私にそっと囁いている気がした。


 やがて、終業時間が来た。まばらに一人、一人と帰っていくのは同じだったが、今日は残業をする人もいないんじゃないだろうか。

 同僚と帰りの電車が同じなので、いつものように二人で帰った。

 いつもならどちらかが寄り道しようと言い出したりするのだが、今日はなんとなく黙ったままだった。

 街のネオンも、今日はとげとげしさがない。むしろ花火を見ている気分で、二人して夜の街をくぐり抜けていく。


 電車は今日も、私を家まで送ってくれる。今日はなんとなくラッシュを外れたのか、中にはまばらにしか人がいない。ゆったりと腰を掛け、窓の外を眺める。街明りが、ゆっくりと流れていく。同僚はいくつか目の駅で、私に別れを言って降りた。

 舟にでも乗っている気分で、私は電車に揺られた。ちらほらする街灯が、月明りに輝く波に見える。


 電車は街の海をたゆたい、慎重に私をいつもの駅で降ろした。


 なんだか酔っている気分がしてならない。別に、本当に酒に酔ったのでも、電車で酔ったのでもない。意識もはっきりしているし、足腰だってふらついてはいない。だが、夢心地で私は静かな住宅街を歩く。


 感概深い。今日が終わろうとしている。世界最後の日が。ようやく家に帰っても、まったく感無量であった。


 すべてが終わった。そんな気がした。今日は早々に布団に入った。無重力になったような感覚が、私の全身を支配している。


 世界が終わる日……


 ゆっくりと目を閉じ、私は混沌としていく意識の中で、つぶやいた。

 でも、一体どうやって世界は終わるんだ?


 私は目を開けた。短いようで、長かったのかもしれない。


 上半身を起こす。明るい。

 どうなったのか、わからなかった。今日は昨日なのだろうか。それとも今日なのか。


 私は枕元の時計に目をやった。十一時五十九分だった。

 私は目をこする。今日はまだ、世界最後の日か。


 明日は日曜日だったのだが、今日なのだから仕方ない。私は起き上がり、食堂へ行く。食事を終え、着替え、会社へ向かうため、駅に向かう。


 駅では電車が待っている。私を乗せると、扉が閉まった。


 満員とも言えない満員電車の中、私はふと、すでに南中してしまっている太陽の光を顔に受けた。腕に視線を落とすと、時計は最後の一秒を刻めずにいる。


 なんとなく、わかった。世界は終わったのだ、と。

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