劇場喫茶店・作品解説
劇場喫茶店・作品解説
私は映画やアニメのDVDを買ったりレンタルするとき、コメンタリーが付いていたら必ず聞く。制作者が何を考えて作品を作ったのかを聞くのは興味深いものがある。本編よりコメンタリー目当てでDVDを買っているところもある。
というわけで、ここでは私のようなコメンタリーマニアのために、各作品についてコメントしていく。
作品解説が嫌いという人もいるだろうから、そういう人は飛ばせばいい。
■「劇場喫茶店」
これはもともと、毎月定期的に開催される自主企画に参加しようとしていて、その際に考えたアイデアだった。
「劇場喫茶店」という舞台を用意しておいて、参加作品を書く時はこの設定を使う。すると、作品が集まった時に統一感が出る、という。
結局、その企画には参加しなかったので、この設定は浮いてしまったのだが、自分の掌編を全部まとめることを思い付いた時、プロローグとしてこの喫茶店を描いたらどうかと思って書いてみた。
特に出来事は何も起きないので、エッセイ風にして、「最近こんな喫茶店を見つけましたよ」的な形で書いている。
■「ポッキーにまつわるミステリー」
「劇場喫茶店」の設定が、思わぬところで復活を遂げた作品。
みょめもさんの自主企画「ポッキーにまつわるショートショート」に参加するために書いた。
この企画は11月11日の1日限定で開催され、つまりは締切もほぼ1日だった。なので、あんまり考えている暇はなく、とにかく使えるネタを一発思いつくかどうかが勝負だった。
とりあえずネットでポッキーの歴史について調べたりしたものの、思い付いたのは、ポッキーをくわえた探偵が活躍する話とか、プリッツにチョコをかけて売る偽造ポッキー商人を摘発する話とか、どうしようもないものばかり。
最悪どうしても思いつかなかったら偽造ポッキーの話を書くつもりだったが、最終的には、1日で書いたにしては、だいぶマシな形に仕上がったと思う。
「劇場喫茶店」の設定を使い、アイザック・アシモフ『黒後家蜘蛛の会』風に。
『黒後家蜘蛛の会』は、レストランに集まった知識階級の客達が謎解きをしようとするけど、最後に真相を言い当てるのはいつも給仕、という短編ミステリーの連作。読んだことがある人なら、かなり似せているのがわかると思う。
■「六也試作発電所」
実際にはどこにもない場所に行ったことがあるように感じる、という経験は、誰しもあるんじゃないかと思う。たぶんそういう場所は、現実と夢で見た内容がごちゃごちゃになった結果生まれるんじゃないかと思うのだが。
これはそういう、勘違いの既視感を描いた作品。
展開もオチもないじゃんと思う人は多いだろうし、それはそのとおりだし申し訳ない気持ちでいっぱいだが、この作品にそういうのを入れたら、この感じは出せなくなる。
現実にありそうだけど、実際にはないものについて語っている、というのがこの作品のミソで、実際に見つかってしまったら台無しだし、この場所を探す展開を延々とやったところで、その結果は「ありませんでした」なんだから、あまり無意味な謎解きに読者を長々と付き合わせるのもどうかと思う。
私がこの作品を書く時に考えていたのは、『黒後家蜘蛛の会』の一作「静かな場所」だった。人が多くてやかましいのにうんざりしたゲストは、とある人に連れられて、全く音のしない、静かな場所に連れて行ってもらう。またあの場所に行きたいけど、行き方がわからない、という話。
当然、最後に給仕のヘンリーが行き方を探り当てるわけだが、この作品の場合、謎解きはメインじゃないだろうと私は思う。それより重要なのは、一度しか訪れたことのない、二度と行くことのできない場所への憧憬みたいなものなんじゃないかと思う。
■「行きつけの店の、ある常連客」
解決しない日常ミステリー。
ミステリーというのは、謎が提示されて、最終的に解決される形式だが、現実のミステリーの多くは未解決に終わることが多い。
私はミステリーは好きだが、探偵小説のように最初から答えが用意されており、それに向かって進む話よりも、線文字Bの解読とか、考古学的なミステリーの方が好きだったりする。
エジプトのファラオの墓発掘ドキュメンタリなどを見ていると、眼の前の遺跡を掘れさえすれば答えは出るのに、発掘シーズンが終わったからまた来年とか、そういうじりじりした展開がザラにある。何年もかけて掘ってみたけど、大した発見はありませんでした、ということもよくある。そういうミステリーの方が私は好きなのである。
私と同じ趣味を持つ人は少ないだろうが、これはそういう変な趣味を持つ人向けの作品となっている。こんな中途半端な作品は商業作品としてはまず書かれないから、ある意味で貴重と言えるだろう。需要があるかは知らないが。
■「うちのパン屋が襲撃される」
村上春樹「パン屋襲撃」のディスり作品であることをタイトルから隠そうともしないやつ。
「パン屋襲撃」は、腹ペコの2人組が、ワーグナーを聴いている共産党員のパン屋を襲撃するが、そのパン屋の脳天にナイフをブッ刺したりするでもなく、パンはくれてやるから一緒にワーグナーを聴けとパン屋に提案され、それに同意し、ある意味で平和に終わる。
村上春樹はアウトローを気取っているが、実際はヘタレ野郎で、自分の手を汚そうとしない。登場人物を殺す時は主人公のせいじゃない形で自殺させる手を使う。私はその作風がどうも気に入らない。
あと、村上春樹は自分の作品が分析されることを嫌い、「感じるままに読めばいい」的なことを言うのだが、実際はゴリゴリに論理的に作品を組んでいる。ワーグナーを聴く共産党員を襲撃するという展開自体、かなり作為的で文学崩れ受けする設定だろう。いかにも文科省が喜びそうな内容。「共産党員を襲撃するのはナチスのユーゲント的な快感がどうとか」という一文が引っかかったとかで、教科書への掲載は控えられたとか控えられなかったとか聞いているが、詳しくは知らない。どうでもいい。
実のところ、これを書いている時は、そこまで村上春樹ディスりを考えていたわけではなかった。ただ、いきなりわけのわからん奴らに襲撃されるパン屋の気持ちってどうなんだろうなと思いながら書いていたら、結構ケンカを売っている作品になってしまった気がする。
まあ、どこの誰とも知れない無名な人がネットの片隅で吠えたところで、村上春樹本人にとっては何でもないだろうから、このまま公開することにした。
■「知らない街で本屋を物色する」
かつて「ことどり図書館」という小説投稿サイトがあり、そこに投稿したのが初出。
この作品は、私の実体験、私が夢で見た内容と完全な創作シーンがいろいろ混ざっている。ところどころ実話だが、実話の中に夢で見た内容が入り込んだり、創作が入ったりする。それによって、非現実的なんだけど変なリアリティがある感じが出せるんじゃないかと思った。
読者にとってはどうでもいいが、私にとって重要なのは、この主人公が文房具コーナーに対して無関心だったところ。
私だったら文房具コーナーを見かけたら、真っ先にそこに行って隅々まで物色するだろう。
この主人公の言動は私に限りなく近いが、あえて少し外すために、そういう設定にしている。私小説にはしたくない、ということ。
■「ある日の試験」
これも「ことどり図書館」初出。
私の作品はだいたいマニアックだが、これは特に文学部ネタが多いために、だいぶ読者を絞ってしまっている気がする。
私も「これはダメだろ」と思いながら公開しているが、意外と文学について詳しくない人から好意的なコメントが寄せられることもあり、人の趣味ってわからんものだなと思う。
ただ、難しくて意味のわからない話を、難しいまま聞く面白さというのはあると思う。数学オリンピックとか、何をやっているのか全くわからないが、見るとなぜか面白かったりするのと同じ感覚。
■「丹後ちりめんの足袋入れ」
ある程度実体験が混ざっているが、私小説と言えるほどでもない感じの作品。私の作品群の中では、最も私小説的ではあると思う。
この掌編集の中では最も異色で、一緒にするのはどうかとも思ったが、これだけ別にするのも変なので、一応収録しておいた。
私は子供の頃から結構多くの葬儀だの何回忌だのに参加してきたので、葬儀ネタはいろいろある。ただ、私が参加した葬儀の多くは、親戚が多く集まり、ゲストはほとんどいない場だったので、私の持ちネタは特殊かもしれない。
友人の父親の葬儀に参加した時は、身内よりもゲストが多かったので、「こういう葬儀もあるのか」と思ったもんである。私が知っている葬儀とは全然違ったが、本来よくある葬儀はこっちのタイプなのかもしれない。
この作品では現代らしく、客を呼ばない家族葬となっているが、その経験はあまりなかったりする。なので、意外と手持ちネタの多くは使えなかった。
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