劇場喫茶店(掌編・短編集)
涼格朱銀
劇場喫茶店
劇場喫茶店
私は知らない街に行くと、喫茶店に入るのが趣味のひとつになっている。チェーン店でも悪くないが、できれば個人経営の店がいい。
小さい喫茶店には店自体に面白味がある。究極の豆や焙煎を求める求道者のようなところもあれば、絵画や陶器、ビーズアクセサリなどの展示や販売が主で、申し訳程度に喫茶店をやっているだけ、というところもある。
2階の体操教室がメインで、1階の喫茶店は教室帰りの客目当てでついでにやってます、といった風のところもあった。
変わったのだと、理髪店に喫茶店がくっついてるのがあった。コーヒーを飲みながら髪を切るのを待ったりするのである。こういう店に本当にコーヒーだけ飲みに入ってしまうと、すごく場違いな空気が流れて気まずい。そういう気まずさを味わうのも、飛び込みの醍醐味のひとつである。
近所付き合いのお義理で仕方なく来る常連客に泥水のようなコーヒーを出す店にもまあまあ出くわす。そういう店はいわゆる「ハズレ」ではあるが、常連客から「こんな店に入っちゃってかわいそうに」という憐憫の眼差しを浴びながら、井戸端会議に耳を傾けるのも悪くない。
出てくるコーヒーや軽食がまずくても、楽しみ方があるのが喫茶店巡りというものである。
今回は、最近訪れた、とびきり変わっている喫茶店を紹介したい。
その店はビジネス街の外れ、駅とオフィスを行き交う導線から外れた場所にある。周辺には雑居ビルや倉庫、空き地しかなく、その辺に勤めているのでない限り、立ち寄る理由がない。
迷子にでもならない限り、見つからないような立地である。それなのに、いつ行っても客はそこそこ入っている。
店内は、小さな劇場のようになっている。
劇場でいうところの舞台、店の中央にはコの字型のカウンターがあり、それを囲むように半円状にテーブル席が並んでいる。テーブル席の間には仕切りがあって隣の席の様子は見えないが、どの席からもカウンターは見えるようになっている。
カウンター席はテーブル席よりも低い位置にあり、入って正面のカウンターには座席がない。そのため、ほとんどの席からカウンターの客の顔が見える。
店に入ると、入り口で控えている店員から静かに挨拶される。その店員が口髭をたくわえた立派な紳士なので、私は最初、ここは執事喫茶的なものなのかと思った。ビジネス街の外れにそんな趣向の喫茶店をやるなんて豪胆だな、と思ったものだが、実際にはもっと変な店だったわけである。
好きな席に着くよう言われるが、この雰囲気でカウンター席に座ろうとする人はまあいないだろう。
というわけでテーブル席に着くと、はじめて来店した客には店のシステムについての説明がある。
この店では着席するとチャージ料が発生し、すぐに「チャージ料」と書かれた会計表と共にホットコーヒーが出てくる。アイスがいいとか、カフェラテがいいといった要望がある場合は、入り口の店員に告げればいい。
テーブルや店内の壁にはメニューらしきものは見当たらない。少なくとも私は見つけられなかった。
退店するときは、会計表の上に任意の額をテーブルに置いて帰るシステムになっている。いくら払うかは客次第である。
座っていると他のテーブル席の様子は見えないので、手洗いに立つ時や入退店時に盗み見るしかないが、そうやって観察した限りでは、何もないときは五百円玉ひとつや千円札一枚を置いている客が多い。たまに589円とか、何かのセールみたいな金額を置いている人もいる。
金を払わず帰った客は、少なくとも私は見たことがない。まあ、金を払わず入り口の紳士に見送られるのは、まともな人間にはできないことだろうし、店の立地や店内の雰囲気からして、タダでコーヒーを飲みたい下品な人が来る感じでもない。
「何もないときは」という言葉に引っ掛かった人は勘がいい。そう。ここではたまに「何か」がある。
この店に来た客のほとんどはテーブル席に着く。カウンター席に着くのはいつも決まった常連だけだが、たまに、一見なのに、まっすぐカウンターに着く客がいる。
カウンター席に着いた一見の客には、マスターからフォーチュンクッキーが振る舞われる。中に入っているおみくじの文言を見て、マスターがその場で豆をブレンドする。このコーヒーは、店の客全員に振る舞われる。
そして、カウンターに座った一見の客はコーヒーを一口すると、妙な身の上話をするのである。
普段からこの店では、テーブル席の客はほとんど誰も話をしない。話をしているのはカウンターの常連だけ。しかし、この時は常連も黙って、その客の話に聞き入る。時々茶々を入れたりすることはあるが。
話が終わると、客は席を立ち、帰っていく。そして店は何事もなかったように、普段の様子に戻る。ただ、この「ゲスト」が来たときには、テーブル席に置かれる代金が多めになっているのが常である。私は退店時にそれを目の端で確かめて、さっきの出来事は実際にあったのだと再認識する。
私はその雰囲気が面白くて、よく足を運ぶようになった。当然、ほとんどは何もない日だが、それはそれで静かなひとときを過ごせていいし、カウンター席の常連がマスターと喋っているのを聞くだけでも面白かったりする。
出てくるコーヒーも旨いし、メニューにないものも頼んだら出てくることがあって、そういう探求をする面白さ、というのもある。ホイップクリーム乗せなどのオプションや、苦いのとか酸味があるのとか、大雑把な要望を出すと、けっこうちゃんと応えてくれたりする。一度、ケーキを頼んでみたら「ない」と言われたが、次回訪れると、コーヒーと共にショートケーキが出てきた。
変わっているが、普通に喫茶店としてもいい店だし、いろんな人に紹介したい気持ちはある。だが、この喫茶店の特殊な性質上、大勢引き連れて来店するわけにも行かないし、商談とかでは使えない。一人でこっそり楽しむ、隠れ家的な感じなところのある店だといえる。
ところで、私はこの店の名前を知らない。表の看板には「喫茶店」、「コーヒー」としか書いていないし、店の壁や備品、会計表などにも店名らしきものが見つからない。
仕方ないから「劇場喫茶店」と呼んでいる。
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