ことの顛末
食卓には次々に料理が並んだ。白米と味噌汁があり、ほうれん草のお浸し、キノコとベーコンのキッシュ、 筑前煮、天ぷらと、4人分並べると食卓は一気に賑やかになった。楡の木に乗った皿や椀を見ていると、まるで花が咲いているかのようだった。
食卓には櫛森、千鶴さん、橘さん、僕の4人で座り、レイ・ドナントは書斎の方にある机で食べることになった。
「Oleあっちなん。さびしいやん」
「奴隷とはいえ床で食わすわけにはいかないだろ。こっちが食べにくくなる」決して僕への配慮ではないのだ。
「ついでにちゃんと見ておいてくれよ」と付け足すのも忘れなかった。
4人が席につくと、櫛森は真剣な表情で手を合わせ、目を瞑っていた。千鶴さんと橘さんもそうしていた。レイは「おいしいね」と言ってモリモリ食べていた。僕も手を合わせ、目を瞑った。
「もういいよ」というのは僕だけに向けられたものだった。みんなすでに食べ始めていて、少し恥ずかしかった。
「『いただきます』は言わないんですね。待ってたのに」
「言葉が全てじゃないさ。君はあれだな、阿呆な顔して『いたーきやーす』とかやってそうだな」阿保な顔かどうかは知らないが図星だった。
「職があるから食につけるんだ。それは素晴らしいことだ」
「櫛森さんの職ってなんですか?」
「だから人形遣いだよ」
「そうではなく、具体的には何をしているんですか? 人形遣いなんて言われても想像できませんよ」
櫛森はじっと僕の目を見つめた。人を測っているかのような彼の眼光は、熊くらい射すくめることができそうな鋭さがあった。結局教えてはもらえなかった。「秘密」だそうだ。
「それより飯を食え。千鶴さんの料理は旨いぞ」
確かにどの料理もとてもおいしかった。
揚げたての天ぷらはサクサクで、筑前煮は煮崩れせず、それでいて柔らかく絶妙な煮込み具合だった。キッシュのキノコは芳醇さが控えめで、代わりにチーズの濃厚さとベーコンの香ばしさが目立ち、白米も粒がたっていて、とても自分の力量では再現できそうにない出来栄えだ。
「白米は食べないんですか」櫛森は米を食べていなかった。
「炭水化物はあまり摂らないようにしているんだ」
「私もそうしようかな」と橘さんが言った。
「立花はそのままで十分かわいいよ」
「そんな、全然です」
「そういえば一緒にご飯を食べるのは久しぶりだね。もっと来ても良いんだよ」橘さんは首を振った。
「ダメです。千鶴さんのご飯をおいしくて食べ過ぎてしまいます。今日だって、こちらでいただくために一週間かけて準備してきたんですから」
「あら、私は太ってもらった方が嬉しいけどね」
「そしたらお仕事もらえなくなってしまいますよ」
「仕事は楽しいかい?」
「はい、主様のおかげです……」櫛森は満足そうだった。
「お仕事は何をしているんですか」と僕が訊くと、彼女はモデルをしているとのことだった。
「多分日本で一番有名な女子高校生モデルだよ」と言われ、橘さんはまだまだですと言った。
「及川さんが知らないのも当然ですよ。女性誌なので」
「それでも渋谷を歩けばゴミより立花の顔を見る機会がありそうだけど……ああ、君引きこもってたもんな」
「そろそろ本題に入った方がええんちゃうか」と食事を終えたレイ・ドナントが言った。外国人の顔で関西弁を喋られると、後ろに腹話術師でもいるんじゃないかと思ってしまう。
「僕らはまだ食事中だ。君はもう少し落ち着いてゆっくり食べろ」
「でも、良いんですか? 何か盗まれたんじゃ」
櫛森は山菜の天ぷらをゆっくり咀嚼して飲み下し、コップの水を飲んだ。それから味噌汁を飲む。至って焦る様子はなく、まるで事件はすでに解決したかのような振る舞いだった。
「そういえば、よく見ておけ、みたいなこと言ってましたね」
「彼の専門は目だ。空間の微細な動きをキャッチして、どこから入ってどう逃げていったのか、逆行して見れる『 i 』を持っている」
「同業者は隠すんも上手いから大変やけどな」
「どうして同業者ってわかるんですか?」
櫛森曰く、理由は三つあるとのことだった。
まず、一般人が『 i 』を盗むのは考えられず、その界隈の人間の仕業しか考えられないということ。
そして、もし一般人が盗みに働いた際、この屋敷を無事では出られないとのことだった。
「どうしてですか?」
「千鶴さんは〈からくり人形〉の『 i 』を持っている。そしてこの屋敷は千鶴さんのからくり屋敷になっているんだ」
「どういうことですか?」
「この屋敷で何かあれば、それはからくり人形の千鶴さんが感知できる。もし侵入を許しても、千鶴さんが屋敷のからくりを発動させて追っ払う」
「ちなみにどんなからくりですか?」
「針千本とかかしら」千鶴さんは穏やかに言った。
「旦那様がお帰りになる前に始末できればと思っていたのですが、不覚をとってしまいました。申し訳ございません」
「千鶴さんでも対処できないとなると、あっちも手練れだね」
「三つ目はなんですか?」
「そもそもこの屋敷は一般人には認識できないんだ」と櫛森が言った。
「たとえば立地や店構えは良いのに、なぜか人が入らない飲食店とかあるだろ。見込み客がどうとかもあるけど、もう一つは景観だ。どの看板がどんな色をしていて、あのビルは何階建てで、どこが死角でどれくらい交通量があるのか。そういう全ての要素が、存在するひとつの場所を殺していることがある」
「ここもそうだということですか?」
「それに加えて、さらに気づかれないよう仕掛けを施している。毎日ここを通っている人でも、この屋敷の存在を気づいている人はいない」
「同業者ならわかる術があるということですか?」
「それもあるけど、慣れもある。君が自分を鏡で見た時みたいに」
「
「立花、主人が侮辱されているぞ、怒らなくていいのか?」
「えっと、レイさんのそれは愛称ですので」
「
櫛森は無視して、筑前煮の山芋と椎茸、人参を食べ、キッシュを平らげた。蓮根の天ぷらをつゆにつけて食べ、さつま芋とかき揚げは塩で食べた。ほうれん草のお浸しの残りを食べ終え、最後に味噌汁を飲み干して完食した。
櫛森はまた静かに手を合わせ、目を閉じた。その場にいる全員が彼と同じようにした。
「今日もおいしかったよ千鶴さん」
「お粗末さまでございました」
「立花も今日は上がっていいからね」
「かしこまりました」
「さて、行くぞレイ」
二人が玄関まで行くのを千鶴さんと橘さんと僕がついていき、千鶴さんが櫛森に羽織を着せ、レイ・ドナントは先に出て愛車のベントレーにエンジンをかけに行った。僕も二人を見送くろうとすると、櫛森が振り返った。
「何してる? お前も来るんだ」
「僕も行くんですか?」
「僕の仕事が知りたいんじゃないのか?」
「いや、あの……そうなんですが」
「なんだ?」
「靴貸してもらえませんか、あと何か僕にも羽織るものを」
「……ああ」
僕は何も履かず、上一枚で拉致されたため、秋も深まるこの季節に夜上着もなしに外出するのは寒過ぎた。それに靴もないのは現代っ子にはあまりに辛い。
「ごめんよ、君ってばただでさえ見窄らしいもんだから、靴がないくらいじゃ何も気づけなくて、本当にごめんね」
彼が思ってもないことを言っている間に、千鶴さんと橘さんがスニーカーとジャケットを用意してくれた。僕は借り物を身につけ外に出た。櫛森も外に出る。
「行ってらっしゃいませ、旦那様」
「行ってらっしゃいませ、主様」
・・・・・・
ことの顛末を語るなら、僕が語るべきことは二つある。
まず、盗まれた類稀なる『 i 』は櫛森邸に戻ってきた。
僕らはレイのベントレーで芝浦埠頭の倉庫街に向かった。そこには、僕を拉致した鹿の頭蓋で顔を隠し、黒い頭巾と黒衣を纏う、櫛森が〈請負人〉と呼ぶ奴らがいた。倉庫の一角を一時の寝ぐらにし、明朝にはここを離れているため、今取り返さなければ難しいと櫛森が言う。
レイは倉庫から少し離れた地点で、櫛森に降りるかと訊いた。
「車は目立つで」
櫛森は後部座席の方に座り、窓の外を眺めていた。窓に息がかかり、若干の結露ができている。
「面倒だからいいよ」
目的地が近づくにつれ、車の中は冗談みたいに重苦しい空気をしていた。濃い感情が密閉された空間を満たし、僕の鼻や耳や口から、体を犯していくみたいだった。
目的地に着く櫛森は黙って車を降りた。
「僕たちは行かなくていいんですか」
「かまへんよ。なんかあったらOleのカール・グスタフが火吹くわ」と言って、徐に陸上自衛隊が使うバズーカを取り出した。櫛森は堂々と正面から倉庫の中へ入って行った。
するとすぐに、請負人の奴らが倉庫から出てきた。彼らは隊列を作りながらまっすぐ歩き、海に身を投げていった。まるで操られた人形みたいに。意思を持たず、二人が同時に身を投げ、順番待ちの二人がまた身を投げる。その光景が何度も繰り返された。二つの絵を、ただ何度も見せられた。
二人が身を投げる。前に詰める、また二人が身を投げる。
櫛森は僕にこの光景を見せるために僕を連れて来たのではないかと思った。裏切った時、逃げ出した時、契約を破った時、いつか成り得る可能性を、僕に見せつけているのではないかと思い、怖くなった。
身投げの列の最後尾には櫛森がいた。彼はただ後ろを歩き、全てを見送ってから車に戻ってきた。
「出していいよ」
車が走り出し、芝浦埠頭から戻る時、3人の間に会話らしい会話はひとつもなかった。
櫛森は屋敷に着く前に降りると言った。
「ご苦労だったね、レイ」
「報酬忘れたらあかんで」
「分かってるよ」
「奴隷の及川君も、ほなまたな。奴隷根性見せなあかんで」
「ええ」
車は走り出した。僕らは歩いて屋敷に戻る。いくつかの街灯を通りすぎた時、僕の方から口を開いた。
「あの、ご、ご主人」
「なんだい急に、僕が怖くなったか」
「……はい」
「毎度あんなことがあるわけじゃないよ。ただね、彼らが僕の目的の邪魔をしようとしているんだと思うと、ちょっと虐めたくなってね」
「櫛森さんは」と言いかけて僕はやめた。
「それがいいよ」と櫛森が言った。
「何がです?」
「別に櫛森さんでいいんだよ」
「櫛森さんは、僕を強引に奴隷にすることができたんですね」
「そうだね」
「あれが櫛森さんの『 i 』なんですか?」
「あれは『 i 』じゃないよ。僕は『 i 』を持たないんだ」
「じゃあ、あれはなんですか?」
「あれは僕が専門家として活動していく中で身につけた能力さ。専門家とはいえ、全員が『 i 』を持っているわけじゃない。『 i 』の前では人は平等さ」
「あの請負人たちは独断で動いているわけじゃないんですよね? 黒幕がいるじゃないんですか?」
「さすがの君でもそれくらいは分かるか」
「黒幕の正体は誰なんですか」
「君が知ってどうする?」
どうすると言われれば、僕にどうすることもできない。
「あの請負人はね、トナカイなんだ」
「トナカイ? サンタクロースが乗るあのトナカイですか?」
「ああ。ただ、あれはサンタクロースの範疇にないトナカイだ」
「どういうことですか?」
「命令系統が一元化されていないダメな組織なんだよ」
「ではサンタクロースは関与していないということですか?」
「関与はない。ただ、サンタクロースに責任がないとなるとそんなことはない。彼はなんというか……あまりに抜けている」
「そういえば、昔サンタにあった時、失敗談みたいなの聞きました」
「どれもくだらない失敗だろ」
「そうでしたね」
「不思議だね」と櫛森は言った。
「世界はこんなにも『あい』で満ちているのに、どうして僕から盗むんだろう」
彼の言う「あい」が、『愛』か『 i 』なのか、僕には分からなかった。
・・・・・・
ことの顛末ふたつ目は、今朝の臨時ニュースにある。
あの日僕は櫛森の書斎のソファで眠った。
僕が目覚めると櫛森はすでに目覚め、テレビを見ていた。
── 速報です。今日午前の内閣官房長官定期記者会見において、東条蓮太郎官房長官が何者かに狙撃され、先ほど死亡が確認されました。──
テレビに映る官房長官の顔は、ホテルのスイーツでずっと入り口に立っていた、あの男の顔だった。
「日本はパニックだ」と櫛森が言った。
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