長い一日

 一日ぶりに自宅のあるアパートに戻ってみると、吹きざらしの部屋から灯りが漏れ出ていた。ボコボコになった玄関ドアは見るに耐えない形で横たわり、その上を通って部屋に入る。


 中にはスーツを着た男が二人と、制服を着用した交番勤務の警官が一人いた。

 僕が中に入るのに気づいて、三人ともが振り向いた。


「君は?」スーツ姿の一人が僕に訊ねた。

「ここの家主です」三人は顔を見合わせた。

「今までどこにいたの」

「……もしかして警察の方ですか?」


 僕に質問した一人のスーツの姿の男が警察手帳を見せた。スーツ姿の二人は刑事だった。


「それで、今までどちらに」


 この質問には少し困った。何をどう説明して良いものか分からず、結局友人宅にいて、今帰ってきたのだと嘘をつくことにした。刑事に嘘をついてしまった。警察に嘘をつくこと自体が犯罪だったような気がしたが、他にどう言えば良いか分からなかった。


 刑事さん曰く、隣の住民から変な音がすると110番通報があり、後ろにいた警察官が現場に赴くと、強盗が押しかけた後だったらしい。


「強盗ですか?」


 確かに部屋の有り様は酷く、物が散乱していた。その上壁にはカラフルなスプレーで落書きがあり、Fワードやセックスなど、下品な言葉で彩られていた。


「取られたものがあれば、教えてもらえませんか?」


 半ば諦めながら財布や通帳、キャッシュカードを探してみると、やはり見つからなかった。金目のものは全て取られ、持っていたゲームまでもなくなっていた。箱までなくなっているのをみると、どこかに売られたのかもしれない。


「財布も通帳も取られています。他にはゲームのハードやソフトも」


「財布も携帯も持たずにご友人の家へ?」


「ええ、あの、すぐ帰る予定だったんですけれど、盛り上がってしまい」


「ちなみにご友人の家はどちらに?」


「府中の方です」


「ここからだと、電車かタクシーに乗る必要がありますよね? まさか歩いて。そもそもすぐ帰れる距離でしょうか?」


「えっと、その、誘拐されたと言いますか?」


「ちょっとごめんなさい。誘拐されていたんですか?」


「ええ」


「怪我はありませんか?」


「はい」


「それにしては小綺麗なように見えますが?」


「靴もジャケットも友人のものなんです。誘拐したところを友人に助けられたと言いますか……」


「随分勇敢なご友人ですね」


「なんだかすごい人なんです」


 僕は警察署に同行し、取調室に連れて行かれた。


「まるで犯人みたいですね」というと、「いえいえそんな」と誤魔化すような返事が帰ってきた。


 僕は入り口から奥のパイプ椅子に座らされた。窓には格子がはめられ、縞模様になった日の光が机に落ちている。刑事の一人がお茶を飲みますかと訊かれ、僕はもらうことにした。


 もう一人の刑事が入り口側に座り、僕に誘拐犯の特徴やその当時の様子を質問した。二人組の黒い男たちに目隠しと手錠をされ、車で運ばれたのだと言うと、そもそも誘拐される心あたりはあるかと訊かれた。


「あるわけありません」

「恨みを買った覚えも?」

「ありません」

「なるほど」


 僕のお茶を取りに行った刑事が戻ってきて、プラスチックのコップに入ったお茶が僕の前に置かれた。

「これしかなくて」まるで歯磨きの時に使うようなコップだった。


 それからホテルの地下で気を失うと、そこを友人が助けてくれたのだと言った。


「なぜホテルだとわかったんですか?」


「友人が教えてくれました」


「ご友人はどうしてそこにいらしたんでしょう?」


「友人だったのではなく、友人になったんです」


「というと?」


「たまたま居合わせた彼が僕を助けてくれて、彼は僕に付き添ってくれました。その後何だかんだ意気投合して、仲良くなったのです」


「ご友人はどうやって助けたのでしょうか? 結果犯人はどうなったのでしょうか?」とてもじゃないが、その後海に沈めましたので万事解決しましたとは言えなかった。僕は分かりませんと言った。


「ご友人の連絡先は分かりますか?」


「分かりません」


「連絡先を交換は……携帯はご自宅でしたね。連絡先を聞こうとは思わなかったのですか?」


「そこまで頭が回りませんでした」誘拐されたばかりじゃそうかもしれないと、刑事は独りごちた。


「ご友人の家にいらしていたんですよね。住所は分かりますか?」僕は住所はまでは分からないが、なんとなくの場所を言った。刑事はスマートフォンのマップで調べ、具体的な場所を指差してみてほしいと言った。僕がこの辺りだろうというところに指差した。


「でも、おそらく僕と一緒でなければ見つけられないかもしれません」


「どうしてでしょう?」


「見つからないようになっているみたいです」


 刑事は頭を抱えた。僕には同情することしかできなかった。


 僕はその後も同じような質問を何回もされ、何度も同じように答えた。結局、僕が解放されたのは夜になってからだった。僕からは特に情報も得られなかったし、刑事さんも僕の話に付き合うのにうんざりしているように見えた。被害者だったこともあり、混乱しているのだと思われたのかもしれない。


「部屋は調べ終えているので、片付けてもらって結構です」

「分かりました」


 僕は警察署を出ようとすると、一つ気がかりなことがあった。


「そういえば、僕が誘拐された時、すごく大きな音が何度かしたんですけど、その時に通報されたわけではないんですか?」


「大きな音ですか? 特にそんな話は入ってきていませんよ。もしあれば、その時誘拐に気づけたかもしれませんから」


「そうですか。分かりました」


「ご友人宅に伺わせていただくことになるかもしれませんので、その時は道案内をお願いできますか?」


「ええ」


 警察は送ってくれることなく、歩き通しで帰ることになった。


 やっとの思い出家に帰り着くと、待っていたのは酷い惨状の部屋だった。また強盗が入らないようにと、交番勤務の警官が中で待っていてくれた。


「お疲れ様です」

「そちらもお疲れ様です。見張っていただきありがとうございました」

「また何かあればご連絡ください」

「ええ」


 彼は気持ちの良い笑顔を作って帰っていった。よほど帰れるのが嬉しいのだろう。帰る足は早かった。


 携帯はソファの上に置かれていて充電が切れていた。とりあえず携帯を充電し、警官が出て行った後開いたままの玄関をドアで立てかけ塞いだ。あの警官が暖房をつけたのか、部屋はすでに暖かかく、僕は電気代を請求したい気分になった。


 いろんなことを考えながら部屋の掃除を始めた。じっとして何かを考えるよりも、体を動かしていた方がずっと良い。それに、部屋の掃除は今最も重要視されるべきことだ。荒れた部屋でどうくつろげというのだ。


 まず、なぜか床に放られている衣類を整理した。一つひとつ畳んでチェストにしまい、別れた彼女が来ていた僕のトレーナーやTシャツ、置いていたキャミソールや下着は、思い出としてチェストにしまい、ゴミ袋に入れた。


 ビール缶で埋め尽くされた机はアルコール臭が酷く、息を止めながらこれもゴミ袋に入れた。冷蔵庫の中身をみると、飲み尽くされたビールに合うチーズやちくわなど、おつまみの類も全て食い尽くされ、元々食材が少なかった冷蔵庫は空っぽだった。


 明かに強盗以外の人間がしばらく居座っていたように思えた。話を聞くに警察も同じように考えていて、そちらの方も調査を進めているとのことだった。


 それからエアコンの取り扱い説明書や何かの契約書、漫画や雑誌も元の場所に戻した。漫画はところどころベタついていたので、全て捨てることにした。


 床もベタついていたので、ゴミ袋に捨てたもう着ることがないTシャツを濡らして拭き掃除をし、乾拭きは別れた彼女の下着でした。


 強盗か誰かが何度も携帯の暗証番号の解除を試したのか、あと一回間違えるとデータが削除されるようになっていた。なぜあと一回試されなかったのかは分からなかったが、僕としては安心した。注意してロックを解除して、まずはドアの修理を依頼した。修理を依頼したのだが、新調するかないと言われ、結局そうすることにした。


 今度はハウスクリーニングの業者に依頼し、壁のスプレーをどうにかしようとしたが、これも壁紙を張り替えるしかないとのことだった。総額すると結構な値段になり、櫛森への借金返済が遠のくのを感じた。


 それから上司に電話をかけ、3日ほど出社できそうにないので休ませてほしいと連絡した。


「なぜだ?」


「実は誘拐されていて、その際にドアが破壊されたんです。なので防犯的観点からも家にいるしかないんです」


「誘拐?」


「はい」


「警察には言ったのか?」


「さっきまで警察署にいたんです。誘拐された後強盗も入ったみたいで、部屋も酷いありさまで」


「……じゃあ、休むということで。ああ、その壊されたドアと、部屋の写真を後で送ってくれ。多分誰も信じないから」


「すいません。了解です」


 その後玄関ドアの写真と落書きを写真で送ったところ、びっくりした顔の絵文字が送られてきた。


 それからシャワーを浴びてラフな格好になり、デリバリーのピザを食べた。

 配達員がチャイムを鳴らすと僕はドアを持ち上げて脇に立てかけた。その光景を見ていた配達員は唖然とし、僕からお金だけをもらって帰ろうとした。


 荒らされた部屋は以前とは違った場所のように思えてならなかったが、布団はあまり荒らされることなく、誕生日前日に彼女と寝た時の記憶が蘇ってきた。


 僕にはそもそも、どうやってあの子と付き合えるようになったのかも分からなかった。一体どこで知り合った子だったのだろう。玄関の脇に置いたゴミ袋にある彼女のキャミソールと汚した下着が、そこで息をしているような気がした。きっと悪いことをしたのだろうと思い、僕は布団に潜り込んだ。これからのことをぼんやり考えながら眠りにつく。


 こうして、及川誠一の長い一日が終わった。

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