運命

 東条蓮太郎の死は、何かの始まりではなく終わりを意味するのだと櫛森は言った。


「どうせまた始まるけど」


 連日ニュースは官房長官の死を報道した。あまつさえ定期記者会見の場での犯行ともあり、警備のざるさを指摘し、未だ犯人が捕まっていないことに関して国民の不安をあおり、煽られた国民は一体何をしていたんだと非難轟々ひなんごうごう、日本の平和ボケは海外からも危険視され、政府関係者は東条の死を悼み、にっくき犯人は必ず法の裁きを受けてほしいと、カメラを前にして語った。


「どうせすぐ忘れるんだ」と櫛森はニヒルに笑った。


 僕には彼がすべての首謀者であり、黒幕であるようにも見えたが、もちろん違った。


「いつから官房長官が怪しいと思っていたんですか?」


「君を拉致した請負人がトナカイで、あの倉庫にいたのもトナカイなんだったら、答えはひとつだよ」そう言うとマスカットを一粒取り、実だけを器用に食べて皮は皿に戻した。それからエチオピア産の酸味の効いた珈琲を飲んだ。


「小学生でもわかることだ」


「リスクを冒す割にやり方が雑すぎませんか?」


「言っただろ、命令系統が一元化されていないダメな組織だって」


「わざとミスをさせられた、みたいなことですか?」


「あるいはただミスったか」そしてさくらんぼを頬張る。


「計画としては、君がオークションに出品されるのが決まってからじゃないかな」


「そんなところからですか?」


「僕から言わせると、色々出来過ぎなんだ」今度は千鶴さんがカットしたオレンジを頬張り、持っていたフォークで僕を指した。


「まず、オークションで人が出品される時、パターンは二つだ。奴隷か、何か特別な能力を持っているか。そして君は『 i 』を持っているし、さらに加えて奴隷になるのにピッタリな『 i 』だった。彼らからしてみれば、『まるで奴隷になるために生まれてきたようじゃないか!』って思ったろうね」


「奴隷になるのにピッタリってどういうことですか?」


「ちょっと脅せば君は力を使ったろ」


「はい」


「で、何も知らずにサインして、まんまと出品された」


「本当ですね」


「さらに、君は人形をモチーフにした自動人形オートマタの『 i 』だった。すると人形遣いである僕が動く」


「どうして人形遣いだったら動くんですか?」


「専門家っていうのは、先天的なものだから」


「全然意味がわかりません」だろうねと櫛森は言った。今度はライチの皮を剥き始めた。


「運命力っていうのかな、人形の専門家だから人形に関わるんじゃない。意図せず引かれ合うから人形遣いになるんだ」


「運命ですか」櫛森は剥いたライチを口に入れ、頷いた。


「ひょっとして、橘さんも人形をモチーフにした『 i 』を持っているんですか?」


「その辺りのことは本人に聞きなよ。僕から喋ることじゃない」


「それで、櫛森さんが動くからなんなんですか?」櫛森は残念そうな感じで僕を見た。


「家主がいる中盗みに入る馬鹿がどこにいる。何もしらず奴隷になって買われた君に僕が一から説明することも織り込んでの犯行だろう」なるほどと思った。


「誤算と言えば、千鶴さんが思いの外粘ったことと、レイの存在だろう。もしかしたら、僕の交友関係は知らされなかったのかもしれない」


「命令系統が一元化されていないダメな組織だからですか?」


「そういうこと」


「目的はなんだったんでしょう?」


「『 i 』だろ」


『 i 』とは一体なんのか。僕が訊くと、櫛森は椅子の背にもたれ、庭にある桜の樹を眺めた。僕も釣られて桜の樹を見た。一枚の枯れ葉が地面に落ちたが、僕には自発的に落ちていったように見えた。


 櫛森にも『 i 』のことはよく分からないようだった。しかし、確かなことはふたつあると言った。

 ひとつは、『 i 』にも先天的な例と後天的な例があるとのことだ。僕は後天的で、レイ・ドナントは先天的らしい。

 もうひとつは、後天的なものに関しては、サンタクロースが配っているとのことだった。


「彼は無闇矢鱈むやみやたらに配るんだ」と櫛森は言った。


「サンタクロースは悪い存在なんですか?」


「まさか、いつだって良い子の味方さ。ただ、良い子はいつまでも良い子じゃないし、善行は裏返る時がある。専門家なんて、彼の尻拭いのために存在しているみたいなもんだよ」


「サンタクロースが嫌いなんですか?」


「君はちょっと質問が多いな」最後にメロンを食べ、フルーツ盛り合わせは完食された。

 

 僕の質問には答えてくれなかった。



・・・・・・



 芝浦埠頭からの帰り道、櫛森葛流くしもりくずるは僕に訊いた。


「結局、君は僕の奴隷として生きるのか?」


 僕には、彼が僕を必要としているようには見えなかった。


 確かに奴隷は自由がなく決定権もないものなのかもしれない。しかし、奴隷だって求められた役割がある。それがどれだけ非人道的でも。僕の役割はドライバーだろうか。しかし、僕はすでに解雇通達を告げられているようなものだ。奴隷としての僕に興味はないと、すでに言われているのだから。


「櫛森さんは僕の『 i 』が欲しかっただけなんですよね?」


「そうだね」と少しも考えることなく彼は言った。


「なら、僕はお役御免ではないでしょうか?」


 すると彼は溜息をついた。「確かに僕は君を買って、君の『 i 』を奪ったし、君にはもう人権もないけど、自由までは奪ってないんだよ」


「人権がなければ、僕に自由はないんじゃないですか?」


「人権を剥奪すると言っても、別に何かが変わるわけじゃないんだ」


「じゃあ、本当に普通に生活できるんですか?」


 櫛森は頷いて言った。「オークションに出品させるのに人権が邪魔になるから剥奪しただけで、あのオークションの存在は知られるわけにはいかないから君をどうこうできないんだ。手続きが少し増えるだけで漏洩のリスクは高まるものだし」


「なんだかよく分かりませんね」


「何が?」


「人権なんて剥奪しなくても、オークションが本当に秘匿なら、黙って僕を売ればよかったんじゃないですか?」


「君を買ったのが僕だったからそう言えるだけで、そうじゃなければどうなっていたかは分からないよ。とっくに虐め抜かれて死んでいたかもしれない。その時、国は何もしてくれない。そういう死に方をしても責任を取らないための人権剥奪だ」


「なんだかよく分からないですね」


「君はあれだな、本当に頭が悪いな」と櫛森は言った。「要は国からしてみれば、君の存在なんてどうだっていいってことだよ」


 それから櫛森は夜空を見上げた。僕らはそのまま黙って歩き続けた。するとまた櫛森が口を開いた。彼は案外お喋りなのかもしれない。


「今日は星がよく見えると思わないか?」


「東京はあまり見れないって言いますけどね」


「視力が違うだけで、見える星の数は違うんだ。前よりはよく見えるようになったんじゃないか」


「きっと0.1も上がってないですよ」


「数字の話をしてるんじゃない。見方の話だ」


 僕は星を見上げてみた。星は詳しくない。だからどれがどれかだなんて分からないし、そもそもこれまで星を見上げる機会なんてなかった。


「僕は正直、櫛森さんが怖いです」櫛森は黙って話を聞いた。


「冷酷な鬼が傀儡を操るように見えて、すごく怖かった。でも、屋敷での櫛森さんはとても優しい人に見えました。千鶴さんや橘さんに対しても気遣って、レイさんとも良好な関係を築いているように見えました。僕はそっちのあなたを信じてみようと思いました。どれだけ性格悪くて陰湿で冷酷な一面があっても、受けた恩は返してみようと、さっきそう思いました」


 僕の目の前には、綺麗な星空があった。星の海とまではいかなかったが、十分綺麗だと思える星だと僕は思った。これ以上を求めるのは、僕にはまだ早計なのだ。 


「恩とかはどうでも良いけど、金は返してもらうよ」と櫛森は言った。


「まけてもらうことはできませんか?」


鐚一文びたいちもんまけてやらないよ」

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