異世界ホテルの事情

 櫛森が30分かけてバラバラになった体を戻すと、ヴァネッサは息を吹き返すように生還した。


 出来上がった女の子は毛量の多い赤褐色せきかっしょくの髪をして、分厚い唇と大きな瞳、頬と鼻に広がる雀斑そばかすが特徴的だった。


「あれ、なんで櫛森さんがいるんですか?」

「あんな手紙もらって放って置けないだろ」

「あちゃー、もしかして私また弾けちゃいましたかね?」

「それはもうバラバラ死体だったね」


 ヴァネッサは体の具合を確かめるように手首足首を回し、首を一回転させて、何度か頭や肩を叩いたりした。頭を叩く度にバネの反動で細かく揺れているのを見ると、本当にバネ式人形みたいだと思った。


「今のはなんだったんですか?」

「彼女は限界が来るとバネが飛んでバラバラになるんだ」と櫛森が説明した。

「すいません。また助けてもらってしまいました」ヴァネッサがうつむき加減に言った。

「で、何があったんだ?」


 ヴァネッサは目に涙を浮かて櫛森に迫った。


「聞いてくださいよ櫛森さぁん。私がんばったんです」



・・・・・・



 櫛森さんにこの世界に連れてきてもらって、オーナーとホテルを紹介されてからは結構順調だったんです。覚えることはたくさんありましたけど、働きながらたくさんのことを学べました。なのに、なのに……。


 おっと、ごめんなさい。また弾けちゃいそうになりました。


 えっと、どこからお話しすればいいのか……、そうですね、まずこのホテル、元々は年に二回闘技場で開催される決闘を見にきた観光客のために作られたものなんです。この国の一大イベントで、国をあげてのお祭りとあってかなり盛り上がるんです。


 私が来た当初も、決闘を見にやってきたお客さんで繁盛しました。イベント時期の繁忙期はかなり忙しいんですが、稼ぎ時ですし、逆にそれ以外で稼ぐ方法がなかなかないんです。商人が訪れたりもしますが、一泊二泊くらいならもっと安い宿屋の方に行ってしまいます。彼らも仕事できていますから宿では寝るくらいなので、それで事足りてしまうんです。


「なのに」とヴァネッサは言葉を濁らせた。

「王政が変わって決闘がなくなっちゃったんです!」


 前の王様の息子が政治を執り行うことになったんですが、決闘好きだった前王様と違って、今の王様は血を見るのも嫌なタイプらしいんです。小さい頃からこのイベントを忌み嫌っていたようで、彼が王様になってから真っ先に執行されました。


 それに、今の王様は結構夢見がちなタイプと言いますか……ここに来るまでにお城がありましたよね。あれは今の王様が建て替えたものなんです。なんでも、この国にいる異世界転生者がアーサー王伝説を書いて出版までさせてしまったみたいで、それを読んだ王様は感化されて、あの城を建てたみたいです。


 あの城か、と僕は思った。

「結構無理して建てたみたいですよ」とヴァネッサは言った。


 前の王様と違ってお金の使い方が下手くそで、割と私欲で使っちゃうんです。だから決闘じゃない他のイベントをやるにもお金がなくて。今は落ち着きましたけど、少し前は決闘を復活させろとデモがあって、お城の前に抗議の列ができたりしていました。


 国に期待できない。そう考えた私は、自分に何ができるだろうと考えました。


 ひとまず考えたのは融資ですが、土地や建物を担保にしたくなかったので、業務計画を考えました。ある程度の売り上げが確保できるなら融資も降りるかと踏んだのですが、なかなかうまくいかず、そうこうしている間に従業員の賃金の問題も浮上しました。


 結局何人かはお給料だけを払って解雇することになりました。給料未払いで辞めてもらうことになりそうだったのですが、そこはなんとか頑張りました。そんなことしたらブラック企業です。それでも、結構恨みは買っちゃったかもしれません。変に粘ろうとしてお話しするのが遅れてしまったので。


 従業員もどんどんいなくなって、もう私しかいません。客は来ないし清掃もできないし、いろんなところに修繕が必要になってるし、でもお金はないし、打つ手もなし。だんだんパニックになってきて、気づけばああなってました。



・・・・・・



 ヴァネッサは話し終えると溜息をついて、「どうしましょー」と言いながら髪をかきむしった。


「今はどうやって生活しているんだ?」と櫛森が訊いた。

「別の仕事で日金を稼いでいます。オーナーが経営する飲食店を紹介してもらって、そこでウェイトレスをやらせてもらってます」

「それで、そのオーナーはどこにいるんだ?」

「ああ、多分事務所に方にいると思いますよ」と言ってヴァネッサは腰を上げようとしたが、うまく上がらなかった。橘さんが支えに行って、彼女は立ち上がった。


「立花ちゃんもきてくれたんだね」

「すごく心配したんですから」


 事務所は一階の方にあるみたいで、僕らは引き返した。その間、僕とヴァネッサさんは初対面だったので簡単に挨拶をする。


「ふえー櫛森さん奴隷買ったんですか」


「もはや奴隷とは名ばかりのほぼ一般人だけどね」


「なんか仕事与えればいいじゃないですか」


「それが持て余してるんだ。家のことは千鶴さんに立花もいるからいらないし、ドライバーとして使えればと思ったけど免許も持ってないし、この奴隷は何もできないんだ。挙句異世界で楽して稼ぎたいらしい」


「及川さん異世界に興味あるんですか?」


「ええ、さっきもアーサー王伝説を本にした人がいるって。そんな感じでお金稼ぎたいんですよ」


「だいぶ儲かったらしいですよ」ヴァネッサさんはわざとらしく手のひらを上にして親指と人差し指で円を作り、小声でそう言った。僕は生唾を飲んだ。


 窓から外を眺めてみると、外では建築作業を行われているのが見えた。屈強な男たちに混ざって、ひ弱な体つきをした男が何人か混ざっていて、屈強な男たちとは違い明らかに見窄らしい格好をしているし、不健康そうに見えた。


「もしかしてあれって」


「奴隷だよ」と櫛森が言った。


「やっぱりこの国にも奴隷ってあるんですね」


「そうっすね」とヴァネッサさんが言った。


「あの奴隷たちは、国が買っている奴隷なんですよ」


「国がですか?」


「ええ、個人が奴隷を買うことは滅多にないですね。あっても女性が多いです」


「どうしてですか?」


「それこそ性奴隷だったり家事をやらせたり。個人に男性が買われることもありますが、その場合は買主が物好きな女性だったりホモセクシャルだったりですね。でも、この国でお金を稼ぐのは男性でなければかなり難しいので、女性が買主という例はほとんどありません」


「あの人たちはどうして奴隷になったんでしょう?」


「詳しくはわかりませんが、事業で失敗したりして首が回らなくなった人が奴隷に行き着くみたいです。日本でいう自己破産の一種なんですけど、そんないいもんじゃないですね。確かに借金も帳消しにしてもらえるし、衣食住も用意してもらえますけど、扱いは酷いもんだって言いますよ。国は保護を謳っていますが」


 扱いがひどいと言うのは、彼らの虚な顔や痩せ細った体つきを見ていれば十分に分かった。


「私もう見てられません! 明日は我が身かと思うと」ヴァネッサさんは今にも泣きじゃくりそうな顔をして、橘さんが背中をさすった。


「奴隷になるときは僕が買うよ」と櫛森が言った。


「櫛森さんに買われるなら奴隷も悪くないかもです」ヴァネッサさんは一気に取り直した。


 事務所のドアを開けると、中には小太りでビシッとスーツを着こなしたおじさんが一人、椅子に座って書類を読んでいた。


「やあマイルズ」と櫛森が言った。


「櫛森さんお久しぶりですね」マイルズは書類を置き、手を広げて歓迎した。僕らは応接間に通され、ヴァネッサさんが慣れた手つきで珈琲を淹れてくれた。部屋の中は埃っぽく、少し鼻がむず痒くなった。


「芳しくないようだね」

「そうなんですよ」


 マイルズはこのホテルと飲食店、それにテイラーショップのオーナーをしている。彼が着こなすスーツは櫛森が彼にプレゼントしたもので、マイルズは素材や仕立てを研究し、この異国でもスーツ文化を作り上げた。主に貴族階級の人間に好評で、ホテルでも従業員は彼の店で仕立てた制服で接客をしており、これもこのホテルの売りだった。


「何か良い手はありませんでしょうか?」マイルズはかなり櫛森を頼りにしているようだった。


 櫛森は珈琲に埃が被らない内に飲み干そうと、一口でカップの半分ほどの量を飲み、机に置いた。それから肘をつき手のひらに顎を乗せ、考えを巡らせた。


「ホテル辞めちゃえばいいんじゃないかな」と櫛森は言った。


 ヴァネッサさんの顔が深く沈み込んだのを感じた。


「ホテル業界からは撤退しろということですか」とマイルズが言った。


「ねえマイルズ。正直僕は、このホテルがどうなろうとどうでもいいんだ」櫛森はそう言うと珈琲をすすった。


「今回僕がこっちに来たのは、ヴァネッサが不穏な手紙を寄越したから様子を見に来ただけで、このホテルをどうにかするためじゃない。どうにかするのは君たちの仕事さ」


 マイルズとヴァネッサは気まずそうに、そして不甲斐なさそうに顔を見合わせた。


「少しくらい協力してあげても」と僕が言うと「じゃあ君が協力してあげるんだ」と、まるで意に返さない様子だ。


 僕は万国共通だと思っていることが二つある。一つは溜息の音と、もう一つは時計の秒針がうるさく感じる空間の気まずさだ。それは異世界でも同じだった。


 この部屋にも大きな時計があり、秒針が1秒進むごとに僕らをわずらわしさの深みにはまらせていった。まるで泥んこに足を取られるみたいに。蟻地獄に飲み込まれていくみたいに。そんな空間の中で、櫛森はつけた指輪でカップを触れ合わせた。音は鈴を鳴らすみたいに部屋全体に広がっていく。


「ヴァネッサ、もういいじゃないかな?」

「──何がですか?」

「現実に帰る時じゃないかな?」ヴァネッサさんはうついた。その視線は夢見がちな少女の目をしていて、まだ手付かずのカップに注がれている。


「でも私、立派なホテル経営者になりたいんです。ずっと。お祖父さんの話を聞いてから、私の夢なんです」

「そうやって、いつまでも夢の中で生きるのかい?」


 顔を上げたヴァネッサさんは目をしばたたかせた。


「実のところ、僕がヴァネッサを異世界に連れてきたのは、夢を諦めさせるためだよ」彼の口ぶりには、温もりも冷たさも感じ取れなかった。まるでエスプレッソみたいに合理性のみを抽出したような、そんな話し方だった。


「どういうことですか?」


「ホテルとはいえここは異世界だ。現実世界じゃないホテルで学んだところで、現実で活かせる部分は少ない。現実世界に冒険者はいないし決闘もない。減価償却とかデッドクロスとか、顧問弁護士も税理士もいらない、整っていない世界でホテル経営を学んで何になる。君だって分かっていたはずだ。だけど分からないフリをしていた。動いていれば夢に近づいていると思い込もうとしていた」


「櫛森さんは私の応援をしてくれていたんじゃないんですか?」


 櫛森は笑って答えた。「応援はしてるさ。これまでだって僕にできることはしてきただろう。君が出来る出来ないはまた別問題だよ」


「そんな言い方」と言ったところで、櫛森からの冷たい視線を感じた。彼の視線には刃渡10センチくらいの鋭さを感じる。


 ヴァネッサさんはまたさらに目を瞬かせた。目は目一杯見開かれ、瞳孔も開いていった。体がカタカタを音を立てる。まるで爆発寸前のぬいぐるみ爆弾みたいだった。


 櫛森が合図をすると、橘さんがヴァネッサさんを羽交締めにし、彼女は気絶した。僕が彼女を抱き上げ、橘さんと一緒にヴァネッサさんが寝泊まりしている部屋にまで運び、ベッドに寝かせた。


「精神的苦痛には肉体的苦痛が効くんだと、主人様から仰せつかっていたんです」と橘さんは言った。


 部屋は質素なもので、あるのはキャビネットとベッドと工場とかに置いてありそうなミシンだけだった。キャビネットには幾つかの瓶と、把手のないコーヒーミルが置いてある。ミシンは何か作業の途中で放られたままになっていた。それ以外には窓にかかった麻のカーテンくらいで、窓を開け放つと気持ちの良い異国の風が入ってきて、カーテンを膨らませた。


 気絶した彼女はなかなか目を覚まさなかった。


「お仕事の不安から、なかなか寝付けなかったのではないでしょうか」確かに彼女は少しやつれ気味に見えていた。髪もボサボサで唇も乾燥していたところを見ると、身だしなみにまで意識がいかなかったのだろう。


 彼女が目を覚ましたのは夕方になってのことだった。


「ごめんなさい。私また助けてもらってしましました」


 彼女は羽交締めされたことを責めるのではなく、助けてもらったと言った。ヴァネッサさんが人形になる──櫛森は人形化現象と言っていた──のを防ぐことに繋がる行動だったのかもしれないが、その辺のことは僕にはまだ予測の域を出なかった。


「そんなこと言わないで。私たちの仲じゃないですか」

「でも……」


 橘さんはベッドに腰掛け、ヴァネッサさんに寄り添った。


「私ね、主人様に言われたことがあるの」


 

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