バネ式人形のヴァネッサ

 〈バネ式人形〉ヴァネッサの夢はホテル王になることだった。


 ヴァネッサの曽祖父はホテル創業者で、彼のホテルの歴史は戦前にまで遡る。かつては政財界の大物や大地主、文豪、海外からもVIPが訪れ、当時の日本の栄華が詰まった場所だった。


 その一方、戦時中には避難場としてロビーや部屋を提供し、温かいスープや蒸した芋を振る舞い、ポツダム宣言受諾後も炊き出しを行うなど、戦後復興までの長い期間を多くの人と寄り添った。


 しかしこれらの行いは、曽祖父が引退し祖父がホテル経営を継いだ頃には負債として経営を逼迫させ、かつてない財政難に陥っていらせていた。祖父はこの状況を打開できるほどの手腕がなく、取締役会によって社長職を追いやられた。


 その後ヴァネッサの祖父は海が見える丘に小さなホテルを建設し、再起を図った。開業当時はサーファーや観光客で賑わいまずまず繁盛したが、次第に客足は遠のき、地味に営業を続けてはいたが父の代で売却することとなった。売却後は古びたラブホテルになり、その後は老朽化により取り壊された。今は土地だけが残っている。


 ヴァネッサは一族の話を父から聞いたとき──特に曽祖父の話を聞いて──自分もホテルの経営者になりたいと思った。


 華やかな宴会や大物たちとの輝かしい交流など、その身を過去の栄華に投影させては鼻息を荒くした。彼女は華やかな世界に憧れがあったし、世界を動かすような会合が自分が経営するホテルで行われたらと考えるだけで、日本の未来を担っているような気がして楽しかった。


 ヴァネッサは大学生になるとアメリカでホテル経営を学んだ。彼女の母がアメリカ人で、彼女の家では英語が飛び交っていたので語学の心配もなかった。授業の内容も聞き取れたし、ディスカッションにもついていけた。膨大すぎるレポートの数には泡をふかしたくなったが、彼女は必死に食らいついた。


 櫛森がヴァネッサと出会ったのは、コロラドでのことだった。彼女は死にかけていた。


「死にかけてたんですか?」櫛森は頷いて話を続けた。

「彼女は努力家だし野心もあった。でもストレス耐性がまるでなかった」


 異国の地で誰も知り合いがいない中勉強の毎日。彼女は疲弊していた。櫛森は死にかけた彼女を見て『 i 』の持ち主だと分かると、少しは手を貸してやっても良いと考えた。


「それがどうして異世界に行くことになるんですか?」

「異世界にいる僕の友人がホテルを経営していているんだ。結局あの後大学は中退したし、勉強が無理なら実地で学んだらどうかと提案したんだ」

「ちなみに、どうして彼女が『 i 』の持ち主だって分かったんですか?」

「……多分、見たらわかるよ」


 彼女を異世界に送り出し、それから一年経ってあの手紙である。あの当時死にかけだった彼女を見た櫛森としては、またあんな感じになっているのだろうと思った。



・・・・・・



 櫛森の話を聞きながら、三人は暗い空間を歩き続けた。特に予兆も前兆もなく、気づけば異世界の裏路地に辿り着いていた。


 裏路地から大きな道に出ると、確かにそこは異世界だった。石畳の道に、中世の面影を残したような建物がある。

「ここはどういう世界観なんですか?」

「知らん」


 大きな道路の両脇には市場なのだろうか、露店が立ち並んでいた。

「僕らも何か買えますか?」

「知らん」


 大通が続く先には一際大きな建物がある。街の景観に不釣り合いとも言える白亜の建築物にはドーム型の屋根に避雷針のような槍状のものが天を刺していた。

「あれは王様の城でしょうか?」

「知らん」


 及川は本当に異世界に来たのだと興奮し、本当にあったんだ後驚愕した。一体日本の人口の何割くらいが異世界転生やら転移やらを果たしたことになるのだろうと思案した。


「及川さん、主人様が先に行ってしまいますよ」


 通りを出ると、コロッセオにも似た円形の闘技場の方へ歩いていき、さらに大きな時計塔がある広場を通り過ぎ、一行は他の煉瓦造りの建物とは違う、一際大きな建物に到着した。人通りもあり街の喧騒も聞こえているのに、この建物周辺は異様に静かで、この建物自体が静けさを演出する装置みたいだった。櫛森は中へ入って行き、二人もそれに続いた。


 中は伽藍堂がらんどうとしていて、ホテルなのに人の気配がまるでしなかった。外の喧騒も一気に締め出され、光線に混じった塵が日の光で滲むように輝きながら、ロビーを局所的に照らしていた。


 櫛森は正面にある階段を登った。登り切った先を左に行くとたくさんの客室が並んでいるのが分かる。ナンバープレートは木板で黒の印字がされ、ところどころ傷になっていた。今でも経営されているホテルのようには思えなかった。窓の桟には埃が積もっているし、天井の角には小さな蜘蛛の巣があるように見える。とても人を歓迎するような状態ではない。


 ずんずん奥へ進むとさらに階段があり、三階分は登るとさらに左の方へ進んだ。


 しばらく行った先で足を止めると、そこには四肢や首がバラバラになった人が横たわっていた。目は眼球が飛び出し、足や手首は見るのも嫌な方向に捩れていた。顔には雀斑そばかすがあり、縮れたような髪の毛をさせていた。


「彼女がバネ式人形の『 i 』を持つヴァネッサだ」


 彼女の体はバネで飛び出し捩れバラバラになった見るも無惨な死に体で発見された。 

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