オートマタ

「えっ……と」

 

 僕が戸惑いを見せる中、目の前の男は何も発言しなかった。

 彼は現状把握の時間を授けているかのように、ただ悠然と腰掛けている。


 男は今どき羽織袴を着用し、どこか超然とした雰囲気を感じさせ、鶯色とベージュを合わせた出立は、彼をセンスある人にしていた。


 黒髪を後ろに流し、顕になった耳には控えめな耳飾りがあった。右手にひとつ、これも質素な指輪をしている。男は終始、柔和な笑みを湛えているように見えた。


 それから僕は部屋を見渡した。少し見れば、ここがホテルのスイートなのだと分かる。泊まったことがあるわけではなかったが、なんとなくイメージする部屋そのままだった。


 振り返ると食事ができそうなダイニングがあり、壁に備え付けられた何インチか分からない液晶、開放感のある窓からは皇居周辺を一望でき、壁にある燭台や大きな鏡、一人ではとても持ち運べない壺に生けられた植物などを見ていると、いちいち僕がこの場にいるべきではない人間に思えた。


 入り口付近にはもう一人男が立っていた。

 

 スラリとした長身痩躯ちょうしんそうくな男は和装男とは対照的に、見るからに上質なスーツを着こなしていた。どこかで見たことがあるように見えたが、結局誰かは分からなかった。


「もういいかな?」と和服の男が言った。


「僕はもう書いたから、あとは君が書いてくれるかな」そう言って、机越しに紙とペンを寄越した。


「ここと、ここと、あとここにも目を通して、全部にサイン入れてね」紙は全部で五枚あり、どれも同じ名前が入っていた。


「櫛森さんですか?」


「ああ……そうだね。これからよろしくやっていくんだ。自己紹介しなくちゃ。僕は櫛森葛流くしもりくずる。呼び方はなんでもいいよ。ご主人とか、主様とかご主人様とか、別に櫛森さんでもいいけど。ああ、名前で呼び捨てはやめてね。主従の関係はきっちりしておかなくちゃ」


「主従ですか?」


「そうだよ」


「なぜ?」 櫛森は入り口付近にいる男の方を見た。


「ちゃんと説明はしたんだよね?」


「勿論です」と男は言った。


「聞いてなかったの?」今度は僕の方を見て言った。


「何をですか?」櫛森は肘を立てて手のひらに顎を乗せ、面倒くさそうな表情をしたが、「ああ……なるほど」と言うと居住いを正した。


「じゃあ僕から説明しよう」僕は頷いた。


「まず、君は奴隷として僕に買われたんだ」櫛森はそう言った。


 君は奴隷として僕に買われたんだと、櫛森と名乗る男は僕にそう言った。


「奴隷?」


「そうだよ」


「なぜ?」


「君はなぜが多いな。物分かりの悪い子は嫌いなんだけど、まあしょうがないか。君ボケッと生きてきたからね」


 それは書類に書いてあることを事実として言ったかのような、悪意のかけらもない言い草であった。しかし、無自覚に嘲笑されている気分は不愉快になる。


 もし本当に僕が彼に買われたのであれば、ハズレを引いてしまったのかもしれない。


「君はどこまで覚えている?」櫛森は僕に訊いた。


「そういえば、家にいたら急に変なのに拉致されて、どこかの地下駐車場に……」櫛森はまた入り口付近にいる男を見た。


「乱暴はしてないだろうね。傷物とか嫌だよ」


「無論です」男は何か言いたげな表情をしたが、すぐに取り直した。


「変なのって言うのは、よく分からない言葉を喋っていなかったかい?」


「そうです」


「あれは彼らが雇った請負人だ」と言って入り口にいる男を親指で指した。「で、地下駐車場はきっとこのホテルのものだ。それから?」


「そこまでです」 櫛森はなるほどと言って頭を掻いた。


「君はどうして奴隷になったと思う?」


「あなたに買われたからですか?」


「違うよ」と櫛森は言った。


「僕は奴隷の君を買ったんだ。奴隷である君を買ったんだ。つまり、君は奴隷として売りに出された。買われる前から奴隷だったんだ」


「奴隷というとあれですか、人権を持たず、家畜のような扱われ、主人の身の回りの世話を全てして時には性処理とかもやらされるあれですか?」


「まあ、人によりけりさ。知らない? 人によりけり。『時と場合による』と『人によりけり』は僕がこの世で最も好きな言葉さ」


「奴隷になった覚えなんて……」


「確かに、別に誰かの奴隷だったわけじゃない」


「意味がわかりません」


「君は人生の奴隷だったんだ」


 それで僕が納得すると思っているのだろうか。思っている訳がない。櫛森の方も、分からせようとして喋っているわけではないのだから。


 ただ彼は事実を喋っていて、それについていけていないだけだ。


 だってあまりに非現実的すぎる。


「君は特別な『 i 』を持っているね」


「『 i 』?」

「もらっただろう? サンタクロースから」


「力のことですか?」


「君がそう呼んでいるのなら、それでもいいよ」


「これは『 i 』というんですか?」


「そうだよ。『 i 』を授かった人間のことは調べられている」と言って櫛森が手を伸ばすと、すかさず入り口にいた男は封書を渡した。


「2000年生まれの23歳。すごいね、ミレニアム世代ってやつだ。君がすごいわけじゃないけど。本日11月7日が誕生日、最悪の誕生日だね。東京都練馬区生まれ。2011年12月25日午前2時18分、サンタクロースから『 i 』を授かる。以降力を徐々に発揮していき、次第に乱用。授業参観の作文も、受験や就職時の面接も、女の子の初体験も経験なし」


「経験してます」


「してないも一緒だよ。君にあるのは結果と知識だけで、それも授かっただけみたいなもんだ。だから君は人生の奴隷なんだ」


「どういうことですか?」


「授かったものでしか生きていけないんだよ、君は。その記憶の大半も、君の『 i 』も、経験も、全部貰いもんじゃないか。君の人生、案山子かかしと大して変わらないよ」


 僕は何も言えなかった。この男といるのが嫌になる。痛いところを突かれ、自分の惨めさが形作られて、くっきりはっきり分かってしまう。そんなものに直面したくはなかった。泣きたくなるほど悔しくて、自分が情けない。


「僕だって変わろうとしたんだ。それに、人生の奴隷とか言っても、これから自分の人生を歩めるようになるかもしれないじゃないか」


「麻薬漬けになった人が更生プログラムに参加したみたいなセリフだね。そのほとんどが上手くいかないんだけど」


 僕はまたも何も言えず、櫛森も方も何も言わなかった。勿論入口の方で立っている男も。しばらく重い沈黙が続いた。


 重くしているのは自分だとわかっている。


 なんとか言い返してみたかったが、10分あっても1時間あっても1日あっても、何も言えそうになかった。


 大きな振り子時計が秒針を刻む音が嫌に大きく聞こえてきた。僕はサンタクロースと出会ったの日のことを思い返していた。あの出来事が僕を狂わせたのだろうか。


 沈黙は櫛森が溜息をついたことで破れた。


「君にとって、僕と出会ったことは悪いことではないと思っている」と櫛森は言った。


「どういう意味ですか?」


「言葉通りの意味さ。僕はね、君の『 i 』を取り出すことができる」


「そんなことができるんですか?」


「そりゃできるさ。あげることができるんだから取り上げることもできる。あと、君に選択の余地はあまりない。死にたいんだったらこのままでも良いけど、もし君が人生をやり直してみたいのなら、僕がそれを叶えてあげる」


「あの、死ぬって?」


「もちろん形而上的な意味ではあるけれど……そういえば、自分の『 i 』はどういうものだと思っている?」


「どういうと言われても……えっと、時間を送る、みたいな」


「最後に鏡を見たのは?」


「鏡ですか? 顔洗ったり髭剃ったり、毎日見てると思いますけど」僕がそう言うと、櫛森は立ち上がって部屋を見渡した。


「ちょどいい、あそこに君を映すに良い鏡があるから、ちょっと見てきなさい」


「はあ」と言って僕が立ち上がるのと同時に、櫛森はまた長椅子に座った。


「ただ見るだけダメだ。よく目を凝らして見てごらん」


 僕はダイニングの方に備え付けられている大きな鏡の前にまでいき、正面から自分の顔を鏡越しに見据えた。相変わらずパッとしない顔だなと思ただけで、これと言って何も感じなかった。


 一度櫛森の方を見ると、彼はもっとよく見てみろという感じで顎を使った。


 またもう一度、鏡をよく見てみる。一点をよく見つめ、焦点が絞れていく感覚を味わいながら、鏡の中の自分を注意深く観察した。


 そこまでしてようやく、彼の言わんとしていることが分かった。


 僕は、人形のような顔つきをしていた。


 まるで生気を感じられない、目の瞳孔も感じられない、まるで僕を模したマネキンみたいだった。


「顔だけじゃないよ」と櫛森は言った。


「体のあちこちに、その兆候がある」今度は肉眼で手を見つめた。手はつるりとしてプラスチック製のようで、血が通った人の手にはとても見えない。


「君の『 i 』はオートマタ。君は時間を送っているんでも早送りしていたわけでもない。ただ無意識に自動で動いていただけだ。自動人形オートマタのように」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る