マイルズの告白

 異世界といえども、一般性相対性理論は現代と通づるものがあった。


 残念ながら異世界にアルベルト・アインシュタインはいないので、これらを研究している人間はいるが、理論に落とし込める人間はいなかった。彼は紛れもない天才だったのだ。それこそ『 i 』の持ち主だったかもしれない。櫛森は常々、商売ではなく物理学や量子力学を現代社会と異世界の観点から見た『相対性』を研究し、論文にまとめた方が異世界で権威ある人間として扱われそうだと思っていた。


 しかし、問題はそこではない。


 異世界の時間の流れは地球とは異なっていた。櫛森葛流が現実世界に戻った1ヶ月もの間、異世界の方ではまだ一週間も経ってはいない。せいぜい三日四日と言ったくらいだろう。


 もちろん櫛森はこのことを知っていた。


 彼が悠長に局地的な開墾を進め、マイルズが東京観光に繰り出していたのも、こういった事情を知っていたからである。しかし、まさか五日も経たないうちに面倒なことになっているとは、さすがの彼も思わなかった。


「及川さんが奴隷にされてしまいました」


 櫛森は溜息をついた。



・・・・・・



 櫛森が現実世界に戻ってから二日が経った頃、武装した二人の憲兵がやってきた。


「マイルズさんを探していました」とまだ動揺しているヴァネッサをよそに橘立花が言った。


「私ですか?」


「テイラーショップのオーナーは誰かと訊かれて。このホテルもマイルズさんがオーナーですので、探すのは簡単だったでしょう。面倒ごとだろうと思い、こちらも行方が分からなくなっている旨を伝えました」


「憲兵に捜索される覚えはありませんが……」


「それで、なぜ彼が奴隷になるんだ」すでに奴隷だったけどとは、櫛森は言わないでおいた。


「服装です」と橘立花は言った。


「憲兵は朝方やってきたのですが、ヴァネッサちゃんも私も寝巻きのままでした。ヴァネッサちゃんの服を借りていたので、私はこちらの世界の服装でした。ですがその日及川さんは、こちらの世界に来た時の格好をしていました。つまり現実世界の服装だったんです。それが憲兵の目に止まりました」


「処刑でもされるのか?」櫛森がそういうと、ヴァネッサは体をビクッと震わせた。


「そういう感じには見えませんでした。ただ、王様が探しているとかなんとか」


「次の日の朝、見ちゃったんです」と、これまで黙っていたヴァネッサがまるで怯えるように言った。


「及川さんが奴隷の服を着て、他の奴隷と一緒になって働いている姿を」まるで怪談話でもしているような言い草だった。


 話はそこで終わった。しかし、何か結論を導き出すのに、とっかかりがないにも程がある。あぐねたままで先に進みそうになかった。


「憲兵は他に何か言わなかったか?」


 立花とヴァネッサは二人して過去を遡り、考えを巡らせていた。立花は視線を上にして、反対にヴァネッサは下を向きながら考えていた。


 私が記憶している限りですがと前置きし、橘立花は憲兵との発言を起こしてみた。



・・・・・・



 お前のその服装はなんだ?


 服ですか?


 ……どこの国のものだ?


 どこと言われましても……。


 憲兵二人が顔を見合わせる。


 こい、お前のような奴を国王が探しておられる


 及川は駄々を捏ね、喚きながら憲兵二人に連れ去られていった。ホテルの重厚な扉が閉まる寸前、橘立花は憲兵の発言をもう一つ聞いていた。

 

 お前は何ができる?



・・・・・・



「私が覚えている範囲ですが」と橘立花はさらに付け足した。


 櫛森は顎に手のひらを乗せ、視線は宙の一点に注がれていた。いつも考え事をしている仕草だと、橘六花は知っていた。彼の邪魔をしないようにと、その場の全員が唾を飲むのも気を遣うくらいだった。


「これは推測だが」と櫛森は喋り始めた。「アーサー王伝説を書いた異世界人が、異世界人だとバレたんだろう」


「それとこれと一体なんの関係があるんですか?」マイルズが訊いた。


「まず、憲兵はマイルズを探していたというよりも、異世界人を探していたんだ。マイルズと彼の共通点なんてそれくらいだ。テイラーショップのオーナーとして探されていたところを鑑みると、画期的な商売をしている人間に当たりをつけて、異世界人を捜索していた」


「なぜ異世界人を探していたんでしょう?」


「今の国王はアーサー王に感化されてあの城を作ったんだね?」櫛森はヴァネッサの方を見て言った。彼女は頷いた。


「なら簡単だ。娯楽を求めたんだろう」


「娯楽?」誰かの発言に櫛森は頷いた。


「アーサー王伝説を読んで城を建て替えるくらいだ。そうとう愉快な性格をした王様なんだろう。彼は他にも自分を楽しませるものはないかと思い、異世界人をピエロとして集めた。最後の『お前は何ができる?』って言ったのも、そういうことじゃないかな」


「それがどうして奴隷に」


「何もできなかったからだろう」にべもなかった。


「だとしたら、なぜ解放されなかったのでしょうか?」


「手元に置いておきたかったんだろう。貴重な人材だと思ったのかもしれない。それに立場上、彼らは密入国者と大して変わらない。異世界人で戸籍なんて持ってるのは、ヴァネッサくらいだよ」


 櫛森葛流はヴァネッサをこちらに世界に送り出した時に、戸籍と住民票の手配をマイルズとともにしていた。従業員として雇う以上必要であったし、今後こちらで商売を始めるなら早い方が良いということだったからだ。


 しかし、現代のウェールズ人はそうではなかったのだろう。


「もしかしたら、アーサー王伝説を書いた人が異世界人だとバレたのも、戸籍がなかったからかもしれませんね」


 日雇いくらいなら面倒な手続きは必要なく、ただ募集を見て指定の時刻に指定の場所に行き仕事をすれば、少ないが宿と飯代くらいにはなる。彼もそういう暮らしをしていたのかもしれないと、マイルズは言った。


「この世界で戸籍が必要になる場面があるんですか?」橘立花が訊いた。


「商売を始める時や持ち家を購入する際、それに別の国で冒険者になる時などは必要ですね」


「そういう事情を知らずにアーサー王伝説の著者はアクションを起こして、そして自分が異世界人であるとバレた。アーサー王伝説は現国王からも作品を賞賛され、一躍時の人だ。誰が情報を漏らしたとしてもおかしくはない。成功して金もあったろうし、新しく商売を始めたり家を買おうとしたかもしれない」


 しばらく沈黙が続いた。


「及川さんは助かるのでしょうか?」とヴァネッサが言った。


「それはマイルズに訊いた方が早いだろう」


 立花とヴァネッサの視線がマイルズに注がれた。


「抜け出すこと自体そう難しいことではないんです」とマイルズが言った。「チャンスはいくらでもあるし、実際成功率は高いです」


「ならなぜ、奴隷たちは奴隷を続けるのでしょうか?」


「チャンスを利用できない人間が奴隷になるんです。イメージして、シミュレートして、そうやって模擬戦だけしてエリートパイロットを気取るような人間が奴隷です」


 マイルズの声には厳しさがあった。温厚な彼の顔には眉間が寄り、深いシワができている。自分でそれに気づいてから力を抜き、息を吐いた。


「私は奴隷だったんです」彼は誰に訊かれるまでもなくそう答えた。


 そして窓の外を眺めた。朝の陽光はまだ続き、異世界には公正に太陽の光が降り注いでいる。日陰から出れば誰もが平等に光に包まれ、暖かな光は肌を覆う霜を撫で、溶かし、凍った体をじんわりとほぐしていく。毛穴がさらされ、柔らかな熱が体の中心に向かっていく。


「奴隷とは厄介なものです」と言った。


「光を忘れてしまうんだから」

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