お友達

 事務所の方に戻ると、まだ櫛森もマイルズもいた。二人は書類を眺め、何やら議論を重ねていた。複数店舗で食堂の採算が落ち込んでいたのだ。


「どこで出しているんだ」マイルズが地図を広げて印をつける。


「冒険者が多い地区に出すのは分かるが、他の場所は?」


「要望の多かった地区に。実験的ですけど出してみたんです。売れ行きもそこそこでした」


「物珍しさも加味してだろうな。撤退した方がいい」


「そうでしょうか? 確かに浮き沈みがありますが、まだ撤退するほどでは」


「早い方がいい。それと、ギルド近くにまだ物件はあるか?」


「探してみます。けれどどうして?」


「冒険者が多い区域に集中して出すのがいい。王都付近にも出しているようだけど、貴族連中に出すには味はともかく、外装内装はなっていない。それなら、食にありつけるだけで満足する冒険者に旨いものを出せる方がいい。中途半端なことをすると、客層がどっちつかずで結局どの層も得られない」


「けれど、わざわざ密集させる必要はありますか? すでにギルド近くには1店舗あるのに」


「もう1、2店舗は欲しい。冒険者は国を渡り歩くだろ。観光じゃないから彼らの行き先ははっきりしている。ギルドだ。自国民だけじゃなくて他所の国からの客も取れるなら、下手に散らばらせるより密集させる方がいい。この国でのブランディングとしては十分だ」


「もし貴族を相手に商売するには、どうすれば良いでしょうか?」


「それは」と櫛森が言ったところで、マイルズが僕らに気がついた。マイルズが気づくのをみて櫛森も気づいた。


「よく眠れたみたいだね」と櫛森が言った。マイルズは少しだけ、腫れ物に近づくような感じでこちらに歩いてきた。


「それで、ヴァネッサちゃんはどうするかな?」


 ホテルは売却する方向でいいかな?

 他にお客さんを呼び込む方法はあるかな?

 この後はどうする? 

 現実に戻る?


「……現実に」これを聞いた彼女は、すでに夢から覚めたような顔をしていた。しかし、彼女は人生の大半を占めたであろう、体の中枢にあるものを見失ってはいなかった。


「彼女は努力家だし野心もあった。でもストレス耐性がまるでなかった」櫛森の言葉が蘇った。


「櫛森さん、お願いがあります」

「言ってみな」

「燕尾服とモーニング、それからタキシードを一揃え用意してもらえませんか」


 彼女は一呼吸おくことも深呼吸することもなく、滑らかな口調でそう言った。


 彼女は人に何かをお願いするのがめっぽう苦手なタイプである。しかし、彼女はここに来るまでに間に1ダース分くらいはあった緊張の種をすべて論理的に捨てていった。結果として彼女に残った緊張の種は、慣れないことをしていることのみに限定された。それだけなら、彼女は十分はったりでもかますかのような態度で臨むことができた。


「理由を聞こうか」


「私すっかり忘れていました。このホテル、あるものがないんです」


「あるもの?」マイルズが首を傾げて訊いた。


「ホテルなのにレストランがないんです!」


「でも、ホテルがないレストランだってありますよね」と僕が言った。


「確かにあります。ですが、そういうホテルはビジネスホテルとか、比較的ホテル代が安価な場合です。先ほど櫛森さんもおっしゃっていました。どっちつかずな客層ではどの層も得られないと。客足が他所の安い宿屋に流れていた理由は、このホテルがまだホテルではなく、ただの高い宿屋の域を出ていなかったからです」


「わかりませんね」と僕が言った。「ヴァネッサさんはホテルの経営を学んだんですよね。それくらいのことすぐに思いつきそうですが、どうして今まで放っておいたんですか?」


 ヴァネッサさんはマイルズの方を見ると、頭を下げた。彼女は言い辛そうに口を歪ませた。


「ごめんなさいマイルズ。私あなたのやり方に反対だったの。特にテーラーショップを開いていることを聞いたとき、よくないことをしているとして思えなかった」


「どうして?」


「だって異世界で現実の物を売るなんて。そんなのインチキですよ。そんなの自分の力じゃない。確かにスーツはこの世界の人たちにしてみれば。斬新な衣類に映るかもしれません。ですが、フォーマルという言葉すらないこの世界でスーツを売るなんて、道理に外れています。この世界にも正装がありますが、スーツとは全然違います。もし異世界で正装を売るなら、それはもっとこの世界に則った物にするべきです」


 彼女には彼女が守るべきと思った理念があり、マイルズのやり方は彼女からしてみれば、気持ちの良いものではなかったのだ。


「マイルズの良いところはね」と、これまでただ話を聞いていた櫛森がそう言った。


「人との縁も自分の力にできることさ。この世界でアーサー王伝説を書いた人も」


「そんなの、まるで侵略者です。自分たちの趣向を植え付けようしているみたい。私の祖父もそうやって、外から来たのに荒らされて、追い出されたんです」


 彼女はそれっきり黙ってしまった。橘さんはヴァネッサさん手を握った。マイルズは頭を掻き、少し困った顔をした。


 すでに日は落ちていたが、この世界の夜は明るすぎるように思えた。夜の光源には事欠かないのだろう。だが、ここからでは月があるのかさえ分からなかった。月なんてないのかもしれない。なんせここは異世界なのだから。それを異世界だからで済ませないのが、きっとヴァネッサさんの良いところでもあり、潔癖すぎるところでもあるのだろう。まるで融通の効かない警察官みたいに。


「本質を見誤ってはダメだよ。君のお祖父さんが自分の会社を追い出されたのと、今回のは全然違う」


「分かっていますよ」とヴァネッサさんは言った。


「立花ちゃんとお話しして、何だか私、もう少し我儘になってみようかなって思えたんです。及川さんとか、この世界のウェールズ人みたいに。だって私困ってるんです。それに、もう少しこの世界にいたいんです。私はまだ夢を見ていたい」


 櫛森は立ち上がった。「僕は一度帰るよ。千鶴さんも待たせてるし」


「私が参りましょうか?」と橘さんが言った。櫛森は首を振った。


「ヴァネッサは僕に頼んだんだ。僕が行ってくるよ。燕尾服とモーンングはマイルズのサイズでいいんだろ?」


「さすがでございます」とヴァネッサさんが言った。


「じゃあ行こうマイルズ。今から行けば採寸くらいはできるかもしれない」


 そうして二人は暗い街道を歩いていき、彼らの姿が不自然な消え方をするまで、僕らは見届けた。


 僕はホテルの一室を借りて寝ることにした。布団はこの世界のものとは思えないほどふかふかしていた。しかし、現実世界ではなかなか拝めないタイプの布団だった。生地の感触やらが、ここが現実世界ではなく異国にいることを感じさせた。 


 橘さんとヴァネッサさんは二人で一緒の部屋に泊まった。橘さんの話は、チープな現実のチープなフィクションみたいに聞こえたが、もちろん笑えるようなものではなかった。彼女が櫛森を慕うのも頷けたし、彼女が櫛森と出会えたのも、なるほど運命なのだろうと思った。人形と人形の専門家の。


 今の橘さんからは、教えてもらった彼女の過去なんて想像できない。彼女は克服できたのだ。そしてヴァネッサさんも、過去を清算しようとしている。二人は互いに良い影響を与えているのだろう。


 二人はなのだ。


 あの二人の輪にはとても入っていけないなと思いながら、僕は眠りについた。



・・・・・・



 翌日、僕らは櫛森とマイルズの帰りを待っていたのだが、二人は帰ってこなかった。それどころか。一日経っても二日経っても、彼らは戻らなかった。

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