第8話 幽霊のフィアンセを探せ

 裕星は佐々木澪の事務所に先にアポイントの電話を入れておいた。

 裕星と美羽の二人が、佐々木の事務所の受付に行くと、受付嬢たちは、男がサングラスを外した途端、あの海原裕星と分かって驚きのあまりバタバタと席を立って挨拶している。


「すみません、佐々木澪さんはいらっしゃいますか? 電話しました海原です」


「は、はい、お、おります! 社長室にいると思いますのでお待ちください」と社長室に震える指で電話をしている。


「社長、海原さまが下にいらっしゃいました。あ、はい、はい分かりました。すぐに伝えます」

 そう言って受話器を置くと、「お待たせいたしました。社長が上の階で待っておりますので、ご案内いたします」と立ち上がったのだった。



 エレベーターの最上階で降りると、案内嬢が社長室のドアをノックして開けた。


 裕星と美羽はそのまま一礼をして入って行くと、そこには社長と一緒に佐々木澪が立って待っていた。


「ようこそいらっしゃいました、海原さん。佐々木にご用とか?」

 社長自ら待っていて部屋の奥へ招いてくれた。応接用のソファに座るように促され、裕星は腰を掛ける前に、「すみません、突然の訪問でご迷惑をお掛けします。唐突ですが、実はある人に頼まれて佐々木さんにプライベートな質問をしたいのですが、お聞きしてもよろしいですか?」と社長と佐々木を交互に見た。



「は、はい、私の方は大丈夫です」

 佐々木が少し緊張しながら頷くと、社長は「僕は席を立った方がいいですかな?」とドアを指さして外に出るジェスチャーをした。


「あ、いいえ、もし佐々木さんが気にされなければ、僕は大丈夫ですが……」


「あの、どんなご用ですか?」

 佐々木はさっきより少し強張こわばった顔になった。


「はい、坂口さんのことです」

 裕星に言われて佐々木はパッと顔色が変わった。


「坂口さんって、坂口将太さんのことでしょうか?」

 佐々木は震えるように両手で口を覆って訊いた。


「はい、実は……」

 裕星が美羽の方に促すように目配せすると、美羽はバッグからあの指輪の箱を包んだハンカチを取り出したのだった。


「これ……私がある方から預かったものです。坂口さんが持っていたものですが、見覚えありませんか?」

 美羽が佐々木の近くまで持っていって箱を開けて見せた。



 佐々木はその指輪を怪訝そうに顔を近づけて良く見ていたが、初めて見るような目をしていた。


「こ、これが将太さんが持っていた指輪なんですか?……なぜあなたが?」


 まさか幽霊から預かったとも言えず、美羽が答えに困っていると、佐々木がさらに聞いた。


「将太さんが生前あなたに預けたのですか?」



「い、いえ……私は坂口さんのお葬式を執り行った教会の者です。坂口さんが亡くなられた後で、ある方からこの指輪を預かったのですが、この指輪を持ち主に返すために調べていたら佐々木さんに辿りついたのです」


「――そうですか。でも、その指輪は私へのものではありません」

 佐々木は暗い表情だがキッパリと答えた。



「なぜですか? 坂口さんはあなたのためにこの指輪を大切に持っていたのでしょう?」

 美羽が悲しそうに佐々木に訴えると、佐々木は何か言いにくそうに社長の顔をチラチラうかがっている。

「社長、すみません、少し席を外して頂いていいでしょうか?」



「おお、これはすまない。僕は退散するから、納得の行くようなお話合いをしてください」と気を利かせて出て行ったのだった。



「実は、私……今、別の方とお付き合いしてるんです」

 美羽は佐々木の言葉に耳を疑った。


「え、でも……この指輪は最近のものですよね? 坂口さんが亡くなったのはほんの一週間前のことです。もしかして、初めから指輪は受け取らないつもりだったのですか?」



「受け取らない? いいえ、あ、でも結果としてそうなったかもしれません」


「どういうことですか?」

 美羽は曖昧な答えをする彼女の気持ちが知りたくなった。

 裕星が黙って見守っていると、佐々木はどうしても言いにくそうにしているので、「同じ世界の人間には聞かれたくないなら、無理に訊きませんが」と言った。



 佐々木はしばらくためらっていたが、首を横に振った。

「いいえ、構いません。本当は誰にも話したくないことなんですが、この指輪を見ていたらまた思い出してしまいました」


 佐々木は続けた。

「実は、私、今お付き合いしてるのは柳田涼やなだりょうさんという方で、俳優仲間の……将太さんの友達なんです」



「坂口さんのお友達と?」


「はい、だからとても言いにくくて……。それに将太さんが亡くなってからすぐにお付き合いを始めたので、余計に言い辛かったのです」



「ええ? だって佐々木さんはずっと坂口さんと結婚を前提にお付き合いされていたんじゃなかったんですか?」


「ええ、生きていた時は結婚したいとずっと思っていました」



「そんな……、だったら、なぜそんなすぐに別の方と……」



「――私、以前からずっと将太さんのことを疑っていたのです。その指輪のこともそうでした。

 彼が私に指輪のサイズを聞いたことがあって、私、ずっと彼からのプロポーズを待っていたのでとっても嬉しかったんです。それまでは、彼はなかなか結婚を切り出してくれなくて……。

 でも、その指輪は私ではなく誰か他の女性にあげるために、女性の指の一般的なサイズを知りたくて私に訊いたのではないかと思うようになって……」



「どうしてそうなるんですか? 直接指輪のサイズを訊かれたのに?」


「私達ずっと長い間付き合ってたんですが、実際はとても忙しくて、そんなに頻繁には逢えなくて……だから、嫌な噂を聞いたときについ彼を疑ってしまったんです。他に好きな人が出来て、その人のために指輪を作っているらしいと……」


「誰がそんなことを?」


「今の彼、柳田やなださんです。彼は将太さんの子供のころからの親友だったので、何でも知ってるんです。将太さんの初恋の相手も、好きだった食べ物も、どうして部活を辞めたかということまで。

 だから、彼から将太さんには他に好きな人が出来たみたいだ、と聞かされたときは全く疑いませんでした。

 その証拠に、私はその指輪をまだもらっていなかったし、それにその指輪は、ある女性が好きなブランドなんです」


 美羽は自分が持っている坂口の指輪をもう一度確かめた。それは確かに女性に人気があるブランドの指輪だった。


「そんなあ……でも、噂やこの指輪のブランドだけでそんな風に決めつけるのは可笑しいと思います!」

 美羽は佐々木の顔を見たが、佐々木は美羽からは目を逸らしたまま続けた。


「疑惑は今に起きたことではないんです。時々不安になっていたんです。

 彼、将太さんはとてもモテるから。他の女優さんからもいつも声を掛けられていました。それに、突然、私に相談も無く事務所を変わってしまったり……。自分で新しく立ち上げた事務所で一人で仕事を取ってきたりしていたみたいなんです」


 美羽は黙って佐々木の話を聞いていた。


「その新しい事務所に入る前に、前のマネージャーさんといざこざがあったみたいで。亡くなった後で週刊誌にも書かれていました。元マネージャーの女性と長年付き合っていたって。だから、喧嘩別れして事務所を離れようとしたのではないかとか……本当のことは分かりませんけれど」


「女性マネージャーさんといざこざって、お付き合いされていたって、どうしてそんなことを? だってずっとデビューしたときから佐々木さんと坂口さんは真剣にお付き合いされてきたんでしょ?」


「そう思っていました……少なくとも私の方は。でも、会えない時間が誤解を生んで、その穴が塞がらないほど広がってしまったんです。そして、指輪の噂を聞いた時、一気に私も彼の事が信じられなくなってしまって……そんなときに今の彼、涼さんが支えてくれたんです」

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