第2話 心優しき不審者

 一昨日おとといの大雨のせいで、教会の敷地にも所々水たまりができていたが、今日はからりと晴れ渡り日差しの眩しい春らしい天気になった。

 美羽は朝から大忙しだった。いつもは結婚式が行われる礼拝堂で、今日は葬式がおこなわれていた。

 葬式はかなり大きな規模で、誰か著名人が亡くなったのだろうかと思われた。弔問客ちょうもんきゃくの顔もテレビで見たことがあるような面々ばかり。若い女性たちの姿も多く、涙も隠さず惜しむように故人の棺を囲んで悲しんでいる。最前列に座っていた故人の母親と思われる中年の女性が震えながら泣き崩れ、隣にいる故人の父親と思われる人物に肩を支えられていた。


 美羽はあまりテレビを見ない生活のためか、故人がどれほど有名だったか知るよしもなかったが、どんな有名な人間でも平凡な人間でも、生きている限りいつかは平等に死を迎えること、残された家族や友人たちにとってこれほど悲しいものはないことを改めて感じながら、礼拝堂のおごそかな雰囲気の中でハンカチを目に当てすすり泣く人々の様子を初めてたりにして、ひどく心を痛めていた。


 祭壇で神に祈りを捧げていた神父が礼拝堂の廊下に出てくると、美羽はそっと近づいて言葉を掛けた。

「お父さんたちは、どんな儀式にも冷静を保たないといけないのね。ご家族のお気持ちを考えると、私は涙を我慢するのが本当に辛かったわ。どんなに悲しいときでも、こうして神様に祈りを捧げるのがお仕事なのよね」



「そうだよ。私達は悲しんでいらっしゃるご遺族の皆様のためにも、そして亡くなられた方のためにも神に祈るのです。どうぞ亡くなられた方の魂が天に召されますように、そして残された方達をこれからも守って下さるように、と――」


「……今日はとても辛い日だわ。私が教会のお手伝いをしてから初めてのお葬式だったんだもの」


 美羽は暗い表情で言葉を震わせていたが、「美羽、あなたが一番暗い顔をしていてはいけませんよ。もっと辛い方々がいらっしゃるのだからね。私たちは大きな愛でその人たちの心に寄り添ってあげることだよ」

 神父の言葉で美羽は改めて人の「死」の意味を考えたのだった。






 ***JPスター芸能事務所***


 裕星は春の5大ドームツアーの準備のため、メンバーの光太と陸、リョウタと共に打ち合わせをしていた。

 新曲を何曲かと、4人それぞれのソロ曲も披露する。裕星のソロ曲は旋律だけは出来上がっていたのだが、どうしても歌詞が思いつかず曲を完成できずにいた。


「今回、ソロはそれぞれに作詞作曲してもらったが、俺の方は曲は出来たが、どうしてもまだ詩が当てられなくて……。もちろんツアーまでには完成させるつもりだけど、もう少し時間をくれないか?」


「裕星、お前らしくないな。いつもは曲と同時に詩も完成させてるお前が。スランプにでも陥ったのか?」

 光太に言われたが、特に何も思い当たる事はなかった。ただ、今回は珍しくどうしてもいい歌詞が思い付かない、それだけのような気がした。


「いや、きっと今は少し感性が鈍ってるんだよ。最近は忙しすぎて何を見ても喜怒哀楽にうとくなってるからかな――」


 裕星は、またコンサートツアーが近くなってきて美羽と会えない日々が続いていた。


 ――今日は美羽に電話してみようかな。


 しばらく練習所と合宿所の往復だけの生活が続いて、夜中までコンサートの準備に忙しく立ち回っていただけに、美羽への連絡は一週間以上もとどこおっていた。



 ――あいつも教会の仕事で忙しそうだったな。もうすぐ大学の卒業式だろうに、どうしているかな……?


 棚の上の写真は二人が笑顔で写っていたが、その背景は美羽の亡くなった両親の墓がある霊園だった。



「ああ、美羽の両親の墓参りに行った時のだ。でも、もうそろそろこの写真も別のものにしたいな。背景がずっと霊園っていうのもな――」

 独り言を言いながら、美羽に電話をするためにポケットからゴソゴソとケータイを取り出した。







 ***美羽の大学寮***



 ――昨日の夕方の出来事は一体なんだったのだろう、あの人は無事に家に帰れたのかしら?


 美羽は昨日と同じ時間になると、ふと心配になってあの青年のことを考えた。

 その時、階下からシスター伊藤の呼ぶ声がした。

「美羽ー! ちょっと事務室に来てくれるかしら」



 美羽が急いで事務室に下りて行くと、シスターが書類の入ったカバンを見せて美羽に言った。

「美羽、お使いを頼まれてくれないかしら? また昨日の教会に行ってほしいの。わたしくはちょうどこれから来客があって……。これが教会に届ける書類なのよ、すぐに行ってくれる?」


「もちろんです! すぐに支度をして行って参ります」

 書類を受け取ると、部屋に戻って薄手のコートを羽織り、書類を入れた鞄を抱えて外に出た。


 3月の都内の夕暮れ時はまだ肌寒く、美羽は少し襟を抑えて歩いていくと、昨日あの青年がうずくまっていたちょうど同じ時刻にその場所を通りかかり、またふと青年のことを思い出した。


 ――そういえば、ここだったわね。彼はきっと大丈夫よね? だってあそこの交番はすぐ近くだもの。私とはぐれても、誰かに訊いて辿たどりつくことが出来たわよね?


 そう自分に言い聞かせながら通り過ぎようとすると、何故かふとあの青年が近くにいるような気配がして立ち止まった。気になって恐る恐るさっきの方角を再び振り返ると……正にあの青年が昨日と同じ場所に立っているではないか。


「あ、あの人、またあそこに!」

 美羽は驚くと共に何か奇妙なものを感じた。

 ――そんな……。昨日、交番に案内できなかったとしても、またあそこに立っているなんて……。


 すると青年は美羽を見つけると、笑顔でペコリと頭を下げた。


「あ、あの……、昨日は一体どうしたんですか?」

 美羽は思わず青年に駆け寄った。

「昨日は私がご案内してたのに、貴方を見失ってしまってごめんなさい。でも、もうお家に帰れたのものだと思っていましたが……」



「ああ、そうでした。昨日は僕もぼんやりしていて逸れてしまったみたいです。こちらこそ失礼しました。気づいたらまたここに立っていて……」と困惑しながら頭をいている。


「では、とうとうお帰りになれなかったのですか? もしかして、一晩中ここにいらしたとか? まさか、ね……」美羽が心配そうに訊いた。


「……覚えていませんが、こんなところで夜を明かす訳はないですよ。僕はどうやら何か病気か事故で、記憶が飛びやすいのかもしれませんね。

 きっとどこか宿にでも泊まったのかもしれません。それすら覚えていないので……困ったものです」

 本当に困ったような顔で力なく笑っている。



 美羽はとても笑うことは出来なかった。どう考えても、尋常じんじょうではない状態だ。こんな記憶のあいまいな状態の人間が一人でここにいること自体、危険なことなのにと。


 美羽は困っている人を見捨てることなど出来なかった。ましてや自分と関わり合った人を、危険な状態で街に放っておくことなどもってのほかだった。


「あの……もしよかったら、これから私、この近くの教会に行くんですが、一緒にいらっしゃいませんか? そこでしばらくの間お世話をしてくださるかもしれません。私からも頼んでみます。

 私の教会には女子寮しかないので、男子禁制のためあなたを連れて行くことが出来ないんです」



「近くの教会? いいんですか? 俺はもしかすると、凶悪な犯罪者かもしれないんですよ。僕自身全く思い出せないだけで、本当はもの凄い悪人だということもありえますから──」

 青年は、おどおどとした不安な目を美羽に向けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る